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15年目の夏~Kちゃんから教わったこと~(3)

【これからも私たちにできること】


☆改めてこの15年を振り返って・・

改めて、この15年間をKちゃんの思い出をふまえて振り返ってみると、正直複雑な想いです。この間、私がいったいKちゃんに対してどれだけのことができたのだろうと思うからです。
時々Kちゃんのことを思い出したりはしたけれど、具体的な行動としてはほとんどしてきた実感はありません。


☆日本における自殺を取り巻く状況

 今、日本では、若い世代(15歳~39歳)の各世代の死因の第一位は“自殺”となっており、特に15歳~34歳の間で自殺が死因の1位を占めているのは、先進国では日本のみ(※平成30年自殺対策白書・厚生労働省刊より)という驚くべき結果になっています。
 
 今各方面で自殺対策として様々な試みが国・民間・市民の間でなされていますが、自殺を生み出すこの社会環境が抜本的に変わらない限りは、自殺をなくすことは難しいかもしれません。しかし、今この瞬間にも自殺という選択肢を選ぶ人がいる現状で、ただ手をこまねいているわけにもいけません。私たち一人ひとりが、少しでも自殺という選択肢を選ぶ人が少なくなるように日々何かをしていく必要があります。


☆自殺をなくるために出来ること

自殺をなくすためにできること、いったい何があるでしょうか?厚生労働省が出している「自殺予防のための行動~3つのポイント~」では、①周りの人の悩みに気づき、耳を傾ける。② 早めに専門家に相談するように促す。③温かく寄り添いながら、じっくりと見守る。
 どれも大切なことです。全く異論はありません。

・・・と、当たり前の正論をあえて述べさせていただきましたが、「自殺をなくす」。極めて大事な当たり前の命題ですが、私は何か違和感を感じるのです。心のどこかで「本当にそれだけで良いのかな?」という思いを感じるのです。

 私たちは一人の人間として、自殺のない世の中を築いていかなくてはなりません。しかし、Kちゃんという一人の人間と同じ生の時間を共有した私たちには「自殺のない世の中を」ということにとどまらない何かが求められている気がするのです。


☆”死”という事実に覆い隠される当該者の”生き様”

よく、漫画でも小説でもキャラクターが命を落とすと「〇〇の死は無駄にはしない・・」という言葉が出てきます。志としてはとっても素晴らしいと思いますが、じゃあ逆に、その「〇〇の死」ではなく、逆に“生”についてはどうなのか。

私たちは、人が亡くなるとその圧倒的な喪失感から当事者の“死”についてとらわれすぎて、逆に“生”について考えることが疎かになってしまいがちになるのではないでしょうか。個人が亡くなるまでの生きざま、Kちゃんの場合は、20年間のその生きざまの中にこそ、本当に無駄にしてはいけない、受け継ぐべきものがあるのではないでしょうか。


☆改めて私たちにできること~故人の生き様から学ぶ~

Kちゃんと私との付き合いは、実質的には1年にも満たない期間だったけど、その中で私がKちゃんから学んだものは決して少なくありません。

前回のブログで紹介したKちゃんの言葉は、形を変え、私自身の周りの人にとっても大きな影響を与えてくれたという実感があります。個人情報の都合上その事例はこの場で紹介できないのがとても残念ですが、確かにこの15年間、Kちゃんの生きざま、そして残してくれた言葉が多くの人の支えとなってきたのです。

Kちゃんの死から15年。もう二度とKちゃんのような悲しい事例を起さないように私たちは努力していかなければなりません。

そしてそれだけではなく、Kちゃんの生に直に触れた経験の私たちに求められているのは、彼女の生きざまから学んだ経験を、多くの人に還していくこと。きっとそれが私たちに課せられた使命なのだろうと思います。

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15年目の夏~Kちゃんから教わったこと~(2)

【私が知っているKちゃん】


ここからは、私自身が知っているKちゃんの記録です。


☆Kちゃんとの出会い


私自身がKちゃんと初めてあったのは、私が大学2年生の春のことでした。Kちゃんは大学入学をして、一番最初に所属したのが大学の学生自治会でした。Kちゃんのお父さんの話だと、当人が高校3年生の時には生徒会活動に熱心だったと言っていたのできっとその影響だったのだと思います。
学生自治会には、私たちが所属していたサークルのメンバーも何人か参加しており、そのつながりで、Kちゃんは私たちのサークルにも所属することになりました。

当時、私たちの所属していたサークルは、構成人数が比較的多かったため、毎週行われる定例会は2グループに分かれて活動していました。私とKちゃんは別のグループだったので、日常的に接する機会はそれほど多くはありませんでした。

そんなわけで、Kちゃんとの具体的なエピソードはそれほど多くはないのですが、しかし私自身Kちゃんからはとっても大事なことを教わったという気持ちを持っています。



☆社会運動への誤解と偏見


少し話がそれますが、私たちの所属しているサークルは大雑把にいうと社会運動、具体的には最近話題になったSEALDsをイメージしてもらえれば一番わかりやすいかもしれませんが、学びを中心に、そうした社会活動も行っていました。そうした類の運動をしている団体・個人にとって常につきまとうのは、周囲からの偏見や誤解の目です。SEALDs自身も、数々のバッシングの対象となっていましたが、私たちもそこまでひどくはないながらも、周囲のそうした偏見や誤解などの目にさらされることがありました。

SEALDsの活動に対して実際にあったバッシングの一つとして、「SEALDsに関わると就職が不利になる」というものがありました。(※この指摘の事実についてはSEALDsの当事者からも否定されています。)

社会への異議申し立てを命題とする団体については、常に周囲からそうした指摘や目を向けられるこの世の中なので、就職活動が厳しさを増す社会背景も伴って、真実がまだわからない新しい仲間にとっては、こうした噂や風刺は大きな不安材料でしかありません。

私自身、こうした活動に参加することで、実際に就職に不利を抱えた事例というのは稀だということを理解していながらも、自分以外の他者に対して、自分と同じ道に誘うこと、具体的には仲間としてこのサークルに誘うことに対しては、一歩踏み切れない思いを抱えていた時期でもありました。



☆Kちゃんから教えてもらったこと ~相手の想いを本当の意味で実現できる場所~


 Kちゃんたち新しい仲間が増えてから2か月程度たったある日、サークルの仕事の関係で、偶然Kちゃんを含めて数人の仲間が一緒に作業をしていた時のことでした。

 いつもと変わらず何気ない話をしながらみんなで作業を進めていた時に、たまたま将来の話題になり、Kちゃんが「私、教師になりたいなって思ってるんですよね」と口にしました。
私たちのようなサークルが就職活動に関して、不利になってしまうという偏見などがつきまとうということは、先ほど述べた通りですが、この時、Kちゃんに対して先輩が、そうした懸念への配慮もないまま「こういう活動していると先生になれないかもね」などと冗談とも本気ともとれない軽口のようなことを言ってしまったのです。

先輩が口にした瞬間、私自身、「なんでそういうこと言うかな」って怒りとともに、そのことに対するKちゃんの反応が心配になったわけですが、予想に反してKちゃんの反応は特に迷った素振りもなく、「それでも続けますよ。」との一言だったのです。正直私もKちゃんがそういう反応を返してくるとは思ってもおらず、とても驚いたことを覚えています。

あの時、迷った素振りも見せず、「それでも続けます」と答えたKちゃん。きっとあの時Kちゃんは、自身が教師になることが目的ではなく、自分が教師として本当の意味で良い教育をしたいと思っており、そのためにいまこの場所を必要としている。だから迷わずに「続けますよ」と答えたのだろうと私は考えています。

 このサークルでの活動は周囲からの偏見や誤解の目を受けるかもしれない。でもこの場所でともに学び、活動することは、本当の意味で自分の良心を実現することにつながる。私はそのことをあの時のKちゃんの姿を見て気づかされました。

この時の衝撃はいまでも忘れられません。Kちゃんのこの一言があったからこそ、初めて私はこの活動への参加をよびかけることは、相手の想いに本当の意味で応えることなんだと思うようになり、それまであったよびかけへのわだかまりを解消することができたのです。



☆垣間見えるようになった変調のきざし


その後に行われた8月の合同の定例会で、Kちゃんとはまた顔を合わせる機会がありました。その定例会の冒頭で、Kちゃんが「最近ちょっと気分の浮き沈みが激しいんですよね・・」ってうかない顔で話をする場面がありました。

いま思えば、この頃からKちゃんの変調が私たちの眼前でも表れ始めていたのかなと思います。
実際にその後、8月の終わりに開催された合同の定例会後に先輩が気づいて私に教えてくれたことですが、この時Kちゃんの腕にリストカットをしたような跡があったというのです。この時は、自分の目でみたわけでもなかったし夏休み中でそれほど会う機会もなかったので、私自身そこまで気にしていませんでした。

9月の末に行われたキャンプ合宿では、Kちゃんも参加し、夜に行ったきもだめしでは、Kちゃんが仕掛け人となって、夜中の真っ暗な廃屋のトイレの中に1人潜んで来た仲間を脅かすなど比較的元気な側面がみれたので、まあ大丈夫かな・・と私自身思っていました。



☆最初で最後の事件と活動休止


 そんな最中の10月のことでした。突然先輩からKちゃんがアパートの前で倒れていたという報告がありました。直接の原因はいまでもよくわからないのですが、早朝にKちゃんがアパートの前に倒れているのが発見され、救急車で搬送されたということでした。

 この頃、Kちゃんは相当体調が良くなかったということは間違いなかったのだと思います。
 この事件のすぐ後に、Kちゃんのお父さんから連絡があり、「サークルをやめさせて欲しい」という旨を伝えられました。
 
 その後、Kちゃんの扱いについては、詳細な記録がないので、はっきりとしたことは言えませんが、ただ辞めさせるのも心配だということで、当面活動休止状態とし、学生自治会の活動は継続する形をとったように記憶しています。

 当然、この事件を知ったサークルのみんなは驚いていました。事件のあとの定例会で、Kちゃんのお父さんから直接連絡をもらった先輩が、お父さんから離されたKちゃんの体調の現状についての報告をしてくれたのですが、その時はじめて私はKちゃんがメンタルの病気を抱えていて、精神科に通院していることを知りました。

 仲間うちでは、活動休止の状態とはいえ体調が気になるので、時々サークルとしても声をかけることを確認してその日は解散しました。

 その後、私がKちゃんと顔を合わせたのは、事件から1か月半後のやきいも企画の時だったと思います。久しぶりにKちゃんと会ったので、「体調はどう?」「大丈夫です。」くらいしか声をかけられなかったのですが、さつまいもに新聞紙とアルミホイルをまくKちゃんからは、以前のような覇気はまったく感じられなかったのをよく覚えています。

私がKちゃんとまともに話をしたのはおそらくそれが最後のことでした。Kちゃんが2年生になってからは、何度か挨拶をしたくらいで、それでもKちゃんは2年生の時は学生自治会の副会長を務めていたと思うし、しかし3年生になるときには自治会にも顔をださなくなったという話を仲間から聞いていました。


☆最後の出会い


 そして最後に私がKちゃんを目にしたのはKちゃんが3年の春に、コンビニで買い物をしている姿でした。その時の雰囲気は今でも忘れられません。その時のKちゃんの表情にはまるで精気がなく、能面のような表情をしており、声をかけるのをためらうほどでした。私自身はコンビニの外から見ただけでKちゃんが何を買おうとしていたのかはわかりませんでしたが、後々に気になってその場所を確認してみると、包帯やばんそうこうなどの医薬品が並んでおり、明らかに体調が良くなかったことは一目瞭然です。

 
これが私がKちゃんを見た最後となり、その数か月後、Kちゃんは自ら命を絶ちました。
今でもあの時に一声かけることができていればと思うと悔やんでも悔やみきれません。

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15年目の夏~Kちゃんから教わったこと~(1)

昨年7月に祖父・11月に母が亡くなりました。
それぞれ99歳と63歳。身近な家族が亡くなるということ、自分にとって家族とはということを嫌というほど考えさせられた1年でした。

母の闘病については、また落ち着いたときに書きたいと思います。

そんなわけで、母が亡くなったために、今年の6月に私自身、実家に戻ってきました。

引っ越しの際に、昔書いた日記等が出てきて、ブログにもまだUPしてなかったものも散見されたので、順次掲載していきたいと考えています。

今年もまた夏がやってきて、日本各地で経験したことのないような暑さが私たちを襲っています。連日40度近くまで気温が上昇する毎日、みなさんも体調管理には気を付けてくださいね。



【15回忌を迎える後輩のお話】


 ところで来週の2018年8月29日に、大学時代の後輩が亡くなってから15回目の命日を迎えます。1級下の埼玉県出身の女の子だったKちゃん。今から15年前、本人が大学3年生の夏に自ら命を絶ちました。

 同じサークルの後輩だったKちゃんとは、亡くなる1年半前、Kちゃんが大学1年生の冬くらいからほとんど顔を合わすことがありませんでした。Kちゃんが大学1年生の夏くらいから、私たちの前でもKちゃんの体調不良が顕著になってきて、本人もサークルを休みがちになってしまったためです。

 結局、Kちゃんは大学3年生の夏に亡くなってしまったわけですが、その連絡を聞いたときは本当に「まさか・・」という気持ちでした。
私自身、Kちゃんが亡くなったときに、別のサークルの大会期間中だったこともあり葬儀には参加できませんでした。それでも「一度お線香をあげに行きたいな・・」という想いはずっとあって、結局亡くなった4年後の夏に、勇気をもって、Kちゃんの実家に足を運ぶことができました。。

Kちゃんのことは、このブログの初期に少し触れたことはありますが、詳細については書いたことがありません。今年が15年という節目の年ということもあり、彼女のことを忘れないためにも、今回少し長くなりますがここに書き留めておきたいと思います。

今回掲載させていただいたのは、私がKちゃんの実家を訪問した後に、私が書いた日記をもとにそれを加筆・修正したものです。
なるべく人物が特定されない範囲で事実をなるべく正確に記述できるように心がけましたが、ところどころ読みにくいところがあると思いますが、ご了承いただければ幸いです。


【あれから4年後・・はじめての訪問】


 2003年の8月、Kちゃんが大学3年生の時に亡くなってから4年経った2007年の夏、今回はじめて私はKちゃんの実家を訪問することができました。本当はもっと早く訪問したかったのですが、なかなかその一歩が踏み出せず、4年もの月日が経過してしまいました。

 Kちゃんの実家は、埼玉県の郊外の街の中にありました。駅を降りるとおそらく新装したばかりであろうロータリーが広がっていて、一見都会らしい雰囲気を感じさせますが、駅から少し離れると田んぼが一面に広がる片田舎の風景も垣間見ることのできるような街でした。都会過ぎず田舎過ぎず。住むには良いところだなと思いました。

 実はKちゃんの実家の情報は住所しか知らなかったので、事前にGoogle mapで調べた地図だけが頼りでした。そうはいっても駅からだいたいの距離と方向はわかっていたので、Kちゃんの生まれ育った街になるべく直に触れてみたいという気持ちもあり、電車を降りてからは公共機関は利用せず歩いていくことにしました。
駅からKちゃんの実家まではおよそ1時間30分程で到着することができました。

 玄関の前に立ち、深呼吸をしてからインターホンを押すと、若い男の子が出迎えてくれました。Kちゃんには弟さんがいると聞いていたのできっとその弟さんだったのでしょう。その後すぐにお父さんが出てきてくれて、私を居間に招き入れてくれました。

 
【父親から見たKちゃん】


 お父さんに居間に案内してもらい、腰を下ろして部屋を見回すと、すぐ横に仏壇があり、飾ってあった位牌には“平成15年(2003年)8月29日”と書いてあったので、おそらくそれがKちゃんの位牌だったのでしょう。

 お線香をあげさせていただいた後に、お父さんからKちゃんの小さい頃からのお話を聞かせて頂きました。

 Kちゃんは、平成5年、おそらく小学校4年前後の時に、自宅が全焼するという事件を経験していました。当然、Kちゃんもとてもショックを受けていたようです、あと、その火事のせいかどうかはわかりませんが、Kちゃんがお母さんを早くに亡くしていて、弟さんとともに、父親の男手ひとつで育てられたとのことでした。

 Kちゃんは小さな頃から絵を描くのが好きで、高校時代では、最初の2年間は絵画部のようなものにも入っていたと言います。3年生になってからは生徒会の方に熱を入れるようになったそうですが、将来は「絵に関する仕事をしたい」と夢見ていたそうです。

 Kちゃんの様子が明らかに変だと、お父さんが初めて気づいたのは、Kちゃんが高校2年生くらいの時だったそうです。この頃、お父さんにも内緒で、一人で勝手に精神科のクリニックへの通院を始めていたということで、お父さんも驚いたようです。

そしてこの頃から徐々に、この精神科のクリニックへの受診のことだけにとどまらず、大事なことは何も相談してくれなくなったとのことでした。お父さんが心配になり、ちょっと突っ込んで聞いてもKちゃんは適当に嘘をついてはぐらかしてしまうことが度々で、お父さん自身もこの頃からKちゃんのことは良くわからくなってしまったとお話していました。

 Kちゃんが高校を卒業し、大学進学の際には、お父さんもKちゃんのことが心配だったために、自宅から通える範囲の大学に行ってほしいと思っていたようでしたが、合格の可否の都合上で県外の大学にしたそうです。

 Kちゃんは、大学に進学後も相変わらず精神科のクリニックには通院していたようです。Kちゃんの精神科通院のことは、本人の口からは一度も聞いたことがなかったので、本人としては周囲に知られたくない気持ちが強かったのかもしれません。

進学後、医療費の通知書が家に届く度に、徐々にKちゃんの内服の副薬量が増加していることにお父さんは気づいており、平均して月に1万円、多い時には2万円ちかくにのぼることもあったそうです。

 そうした心配する気持ちを傍らに、結局、本当に残念な結果としてKちゃんは亡くなってしまいました。

亡くなった後、Kちゃんの大学の友人も何人か訪ねてきてくれたそうで、その子たちの話してくれたところでは、大学時代のKちゃんは何事に対しても無気力な印象があったということ。また、Kちゃん自身の意志で、うつ病の自助サークルにも顔を出しており、そうしたつながりの友人も何人か家を訪ねてきてくれたそうです。

お父さんから私が聞いた話は以上のような内容でした。

改めて、私が知らない事実がとても多かったことを痛感させられました。
お父さんにはお礼とともに、大学時代にKちゃんが映っている写真を何枚か渡し、帰路につきました。

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