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子どもたちから教えてもらったこと(1)-他者への理解と想像(前編)-

☆母の一周忌の機に

 先月27日に母の一周忌の法要を行いました。実家の市内の病院で母が息を引き取ったのが一昨年の11月の末。本当にあっという間の一年でした。

 一周忌の法要が年をまたいでしまったのは、母の命日が私の妹の2人目の子どもの出産予定日とほぼ重なっていたためです。結局、その子(姪っ子)も無事に生まれたわけですが、母の存命中にはまだこの世には存在していなかった子です。これから母の分まで元気に育って欲しいなと心から願っています。

 そんなわけで母の一周忌の前日には、その時すでに3か月になっていた姪っ子を含む妹一家も集まり、我が家は久しぶりの大賑わいとなりました。

 姪っ子のMちゃんとは、出産直後に一度顔を会わせていましたが、Mちゃんが我が家に来るのは初めてのこと。いつもは見慣れない景色に少し緊張気味だったかもしれません。


☆もうしっかり“お兄ちゃん”だね

 その日の夕食は、お寿司とオードブルをみんなで食べました。その後、みんなが気ままに過ごしており、妹がちょうど部屋にいない時のこと。Mちゃんが突然泣きだしてしまいました。その時部屋にはまだ9歳のMちゃんのお兄ちゃん(※私の甥っ子にあたります)と、私の父、そして私の3人だけ。甥っ子はゲーム中で、父もそれを見るのに夢中になっていたので、仕方なく私がMちゃんをだっこしてあやしますがなかなか泣きやみません。あの手この手でMちゃんにいろいろ働きかけますが、全くもって泣きやむ様子はなく私自身困り果ててしまいました。

 しばらくしてゲーム中だった甥っ子が、そんな私の様子に業を煮やしたのかゲームを中断し、『Mちゃんかして』と私に声をかけてきました。私は甥っ子の言う通りMちゃんを渡し、甥っ子が慣れた手つきでMちゃんをあやしはじめると、なんとものの数秒でMちゃんが泣きやんでしまったのです。私が思わず『すごいっ!』と称賛すると、甥っ子も『まあね』と得意気な様子でした。

 甥っ子はMちゃんより9歳年上です。逆に言えばまだ9歳です。でも、もうしっかり立派な“お兄ちゃん”なんだ・・としみじみ感じさせられる出来事でした。


☆赤ちゃんとのコミュニケーションに必要な“理解と想像”

 そんな風に、まだお兄ちゃんになって3か月の甥っ子が立派に姪っ子の面倒をみている姿に心底感心したわけですが、同時に私自身がMちゃんをあやそうと試みても全くどうにもならなかったわけで、生まれたばかりの子どもの面倒をみるということはいかに大変なのかということも思い知らされました。
 
 改めて、甥っ子と親である妹夫婦も大変な苦労をして子育てに携わっているんだろうな・・と痛感させられました。

 ところで当たり前のことですが、赤ちゃんは大人のように言葉を話すことはできません。Mちゃんについてもそうですが、実際に表現するのは、快・不快の感情を笑い声や泣き声などで示すことなどに限られますし、だからこそ赤ちゃんに向き合う大人は不断に注意することを迫られ、その時々の赤ちゃんの行動に対する応答、そして理解や想像することが求められるのです。

 もし赤ちゃんが泣いていれば、『お腹がへったのかな?』『うんちしちゃったかな?』『寒いのかな?』と想像をめぐらし、笑っていれば『この体制が楽なのかな?』『このおもちゃが好きなのかな?』と考えます。大人であれば、一言伝えればすむであろうこの過程を、赤ちゃんの場合は常に“あれかこれか”と理解と想像をめぐらす作業が求められるわけで、それは多くの苦労や困難が伴うことでしょう。

 そんな大変なことをまだ9歳の甥っ子は、両親の力を借りながらもこの3か月ずっとMちゃんに対して根気強く繰り返してきたのだと思います。改めて甥っ子のこれまでの努力と苦労に感心させられます。


☆衰退する“他者への理解と想像”する力-栗原心愛ちゃんの虐待死事件にふれて-

 一方巷では、甥っ子のように他者に対して理解や想像を巡らすということをあまりしようとしない大人が少なからず存在します。何か問題があると、当事者に対する表面的な部分だけを見て“レッテル貼り”をし、そのイメージそのままに誹謗中傷やバッシングを繰り返す。そんな光景を見ると、『9歳の子どもですら出来ていることなのに、なぜ大のおとなができないのか・・』と思ってしまいます。

 直近の出来事で例を挙げるとすれば、千葉県野田市立小学校4年生の栗原心愛ちゃん(10歳)の虐待死事件についてでしょうか。この事件において千葉県警は、心愛ちゃんに暴力をふるった疑いのある父親以外にも父親の心愛ちゃんへの暴力を黙認し、また同調した疑いで共犯として母親も傷害容疑で逮捕しています。

 この事件において、実は母親自身が父親にDV(ドメスティックバイオレンス)を受けていた疑いがあることが事前に判明しており、『なぜ母親が逮捕?』という論調で報道するメディアも多数存在していました。

 一方そんな中で、逆に母親に対して厳しい視線を投げかける人々も存在しました。
ハフポスト日本版News:2月6日付では、「虐待事件に尾木ママ『保身のために共犯』DV被害の母親への非難は真っ当?背景を医師に聞いた-生死の間際に立たされたとき、愛情や人との関わりを考えられるものなのか-」の記事において、母親の逮捕を機に、SNSなどで、「(父親を)殴り返しても子どもを守るべきだった」「母親おかしい」「母親なら死んでも守るべき」などと言った非難のコメントがあふれかえったことが紹介されています。

 どうして父親にDVを受けていた母親に対してこのような誹謗中傷がされるのか、正直私には理解ができません。こうした当事者の実態を鑑みない理不尽な誹謗中傷は、今回の事件においてだけではなく、近年日本の至るところで目に付く状態です。こうした状況をみていると、日本社会において「他者への理解と想像する力が衰退しているのでは・・」という危機感を私自身強く感じてしまいます。


☆DV支配下にあった母親が冷静な判断を下せる状況だったのか?

 そもそも今回の事件において、父親のDV下にあった母親が、そのような状況下で冷静に子どもを守るための適切な判断をすることがそもそも可能だったのでしょうか。

 上記のハフポストの記事において、厚木市立病院の岩室紳也医師は「“子どもへの愛情があるから守れる”とか、“虐待を黙認するとは最低”だという叱責や指摘は、こうした状況に置かれた人には見当違いと言っていい」とはっきりと指摘しています。

 母親は父親からの持続的なDV下にありました。そんな状況でもし母親が、周囲に助けを求めたり、子どもを連れて逃げたりしたら後で何をされるかわからない、そういう恐怖感は母親の中では私たちが想像する以上に大きなものだったと思います。

 岩室氏は「(DV被害者が)孤立して、その中でしか生きていけないと考えてしまうようになれば、逃げることは難しく、本能で身を守るために動いてしまう。」と述べているように、父親の暴力を含む脅迫にさらされているがために、他者に助けを求めることも子どもを連れて逃げることもできなかった母親は、孤立と原状受任が強制され、本能的に自身の身を守るしかなく、子どもを守るという判断が冷静にできる状態ではなかったということは明白なのではないでしょうか。


☆求められる“レッテル貼り”しない力=“ネガティブ・ケイパビリティ”

 しかし今回の心愛ちゃん虐待死事件もそうですが、他者への理解と想像を巡らすわけではなく、表面的な部分だけみてレッテルを貼り、誹謗中傷を繰り返すような人々がなぜこのように少なからず存在するのでしょうか。近年のこうしたバッシング、特にSNS上での発言の辛辣さには本当に目に余るものがあります。

 確かに、甥っ子がMちゃんにしていたように、言葉を話せない赤ちゃんではないにしろ、一般的に他者に対して理解と想像を巡らすというのはそれほど簡単なことではないことも事実です。

 ライフカウンセラーの袰岩奈々氏は「“先生のものさし”だけでははかれない子どもの心」(児童心理2018年9月号)」において、「“レッテル貼りをしない”ということはかなりエネルギーを使うことでもある。ある人に対して、カテゴリー分けをせず、判断を一時棚上げにしておくということは、新しい情報をキャッチしては、その人に対するイメージを常に更新し続けることでもあるからだ。」と述べています。

 このように他者に対して“レッテル貼り”をしないということは、私たち自身が不断に当事者に対するイメージを常に更新し続ける、かなり“エネルギーを使う”作業であり、そこには努力や苦労が伴うことでしょう。

 しかしそうはいっても、心愛ちゃんの母親のように“レッテル貼り”によって傷つく人がいる以上、私たちは当事者に対して最低限の理解と想像を巡らす努力が求められるのではないでしょうか。

 袰岩氏は、このように当事者に対して容易に答えを出さないことに耐える力を“ネガティブ・ケイパビリティ”と呼び、その必要性を説いています。

 心愛ちゃんの事件における母親へのバッシングのように、なぜ私たちは他者を“レッテル貼り”し、理解と想像を巡らすことをしないのか、そしていったいどのようにしたら袰岩氏の述べる、他者を“レッテル貼り”をせず、常に他者に対しての理解と想像を巡らし続けるちから=“ネガティブ・ケイパビリティ”を培うことができるのでしょうか。

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