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ネット上で激化するバッシング(追記)

【佐藤あずさ八王子市議と“積極的断筆”】

 先日、社会民主党の八王子市議である佐藤あずさ市議が、SNSの「積極的断筆」を決定し、11/28を最後に更新が停止されました。更新停止については、来年市議を引退されるということで、その公表をめぐって一部メディアとのトラブルがあり、それが主なきっかけとなったようです。

 私自身は、2年程前にTwitterを通じて佐藤市議のことを知り、以降、時折佐藤市議が書かれているブログなどに目を通していました。とてもしっかりとした思想信条に基づいて言葉を書かれていて、なによりE.フロムについて書かれている記事がとても興味深く、今年になってからは私自身も影響を受けてフロムの著作を読み始めていたところでもありました。
 
 それだけに今回の佐市議のSNSの断筆はとても残念に思います。
いったいなぜこのような事態になってしまったのかと思い、更新を停止した11/28前後の佐藤市議のブログを改めて読んでみると、どうやらトラブルは一部メディアとの間だけのものではなかったことがわかりました。


【“市議引退”をめぐってSNSに寄せられた声】

 佐藤市議は11/21のFacebook上で、『任期満了後の引退について』というテーマで改めて引退について語っています。投稿後、続々と「保守」「愛国者」「自民党支持者」と名乗るいわゆる“ネトウヨ”の方々から嫌がらせのメールが届き始め、その一部には極めて悪質なものがあり、刑事告訴したものもあったとのことでした。

 そして私が気になったのは、佐藤市議の元に届いていたメールの中には、こうしたネトウヨからの嫌がらせだけではなく、左派・リベラルを名乗る方からのものも数多くあったということです。

 佐藤市議は自身のSNS上で、実際に寄せられたメールやSNS上の投稿をアップしており、(※佐藤市議が転載を禁じているため、ここには掲載はしませんが)それらを読んでみると、最初は佐藤市議を擁護することを目的としているのかな、と思いつつも途中から“自分語り”もしくは少し配慮が足りない“叱咤激励”になっているのかな・・というような印象を受けました。

 もちろん、全てがそうした配慮の足りないものだとは思いませんが、とかく確かそうなことと言えば、こうした方々は、佐藤市議を擁護することに目的があるわけではなく、自身の人生や希望を佐藤市議に投影している。例えるならば、親が子どもに自分の願望を押しつける状況と酷似しているような印象を受けました。


【SNS上で顕在化する“負の感情”】

 私の前回のブログの記事において、“ネット上で激化するバッシング”というテーマでSNS上におけるバッシングについて書かせていただきましたが、今回の佐藤市議の件もこうしたバッシングが炎上につながった事例の1つだと思います。

 経過をみても、市議引退表明をきっかけとして“ネトウヨからの執拗な嫌がらせ”→“まとめサイトへの転載”→“マスメディアによる拡張作用”といった前回の記事で書かせて頂いた“炎上”の流れがそのまま見られます。
 
 ただし今回は、佐藤市議がマスコミに大々的に報道される前に自身への取材やSNSの更新をシャットアウトしているのでこれ以上の拡大はなさそうですが、いずれにせよ当事者の佐藤市議としては不本意な結果だったと思います。

 そして、前回当ブログにおいて私が投稿した記事の最後に、「バッシングを繰り返すマイノリティの心性には、少なからず私を含む日本の幅広い人たちの間にも共通して存在するものがあるのではないかということです。」と私は書かせていただきました。
 
 正直、この時はそこまで大きな問題意識を持っていたわけではありませんでした。しかし、今回の佐藤市議の件において、左派・リベラルも含めて幅広い思想信条を持つ方からも“お説教”に似た投稿がみられたことからも、私はこうしたSNS上でのバッシングに類する言葉の背景には何かとても大きな“負の感情”が渦巻いているのではないかという思いを強くしました。
 

 【誰もが心に抱く“負の感情”?そしてそれを生み出す構造

 前回の記事で指摘したように、ネット上での“炎上”は、確かに最初は一部のネトウヨなどのマイノリティが執拗に嫌がらせの書き込みを繰り返し、ネットメディア・マスメディアによって事が拡張され“炎上”に発展するのかもしれません。

 しかし、事は本当に一部のネトウヨなどのマイノリティやネット・マスメディアだけの問題なのでしょうか。私たちが日々行っているSNSへの投稿、それらは本当に純粋な他者や社会、そして自身の人生をより豊かにするためのものとなっているでしょうか。
 
 私たちが日々抱えている満たされない思い、そうした“負の感情”の発露の場としてSNSが存在していないでしょうか。

 とはいえ、私がここで訴えたいのは、「一人ひとりが気をつけよう」というような月並みな、自己啓発的な回答ではありません。

 もし、一部のネトウヨなどのマイノリティだけでなく、私たち自身も含めて、バッシングに類する書き込みをする動機が、そうした“負の感情”の発露に由来するものであるとするならば、本当に問われなければならないのは、なぜ私たちはそうした“負の感情”を抱くのか、そしてなぜそのはけ口をネット上での他者に向けてしまうのか、ということを社会構造的にも一人ひとりの心象からも探っていくことなのだと思います。
 

 【さらなる犠牲者を生まないために・・】
 
 私がこの間、本当に残念でならないのは、ネット上でのバッシングや炎上によって各分野の数多くの有能な方々が、そのあゆみを止めざるをえない状況に追い込まれているということです。対象となってしまった当事者にとってはどれだけ辛い経験であろうかという思いはもちろん、この社会のそれぞれの関わる分野にとってもどれだけの損失であろうかとも思うのです。

 私が本当に見たいのは、人と人との争いや足の引っ張り合いではありません。本当に見たいのは、この世の中や各人に潜在する、他者や社会、そして各人自身をより豊かにするような能力の発現です。それはきっと誰もが心の奥底では願っていることなのではないでしょうか。
 
 これ以上、ネット上での不毛な争いでさらなる犠牲者を生まないためにも、私たち一人ひとりがこうした構造について冷静に分析していく必要があるのではないかと思います。


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☆★☆とも☆★☆

『権力と新聞の大問題』望月衣塑子/マーティン・ファクラー(集英社新書)より

「私が官房長官の会見に出るようになってから、産経のwebサイトには、『望月記者、またトンデモ質問で菅官房長官の逆鱗に触れる!』というおうな記事が半年の間に30本アップされているそうです。
 これは、書いた記者側が『望月は会見を荒らして記者としてけしからん』と思って書いているのではなく、単純に『こういうことを書くとネット右翼が喜んで、アクセスを稼げるからということのようです。
 実は私がかつて地方支局にいた時に、現場でよく一緒になって仲のよかった産経の記者が、この件について謝罪のメールを送ってきたことがあります。『申し訳ないことをしているけど、アクセスがすごくいいからやめられないみたいだ』というわけです。


産経新聞みたいな大手メディアがネトウヨ目当てにこういう挑発的な記事を書いているんですね・・
by ☆★☆とも☆★☆ (2018-12-15 08:42) 

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