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25年ぶりの”けんけんぱ”

★久しぶりに通った通学路で

 先日、近所で行われた講演会に参加する機会がありました。参加するにあたり、当該会場では車の駐車スペースが限られていたこともあって、車ではなく歩いていくことに。昨年まで住んでいた山梨でも今いる実家でもずっと車移動ばかりの日々だったので、歩いての外出は久しぶりのことでした。
 
実家から会場までは歩いておよそ30分の距離。偶然ですが、通り道には私が以前通っていた小学校があり、およそ25年ぶりに当時の“通学路”を通って会場に向かうことにしました。

 出発してしばらくすると、何やらアスファルトで出来た道の真ん中に、白いチョークのようなもので何かが書かれているのを見つけました。近づいて見てみると、“けんけんぱ”で使う〇や△のマークが書かれていたのです。

 みなさんは、“けんけんぱ”という遊びはご存知ですよね。地面などに白いチョークなどで〇や△を書き、その中を片足、または両足で「けんけんぱ」などと声を出しながら進んでいく遊びです。きっと、このマークが書かれていた道の前の家の子がここで遊んでいたのだと思いますが、よくよく考えてみると、私が小学生だった頃、この道を通学のために通っていた時も、まったく同じこの場所に“けんけんぱ”のマークが書かれていたことを思い出しました。おそらくこの家の親御さん、もしくは祖父母の方が当時と同じように自分の子どもに教えたのでしょう。

いずれにせよ、25年程前に子どもだった子が時を経て親となり、その子どもがまた同じ場所で“けんけんぱ”で遊んでいる、そう考えると何か感慨深い気持ちになりました。


★世界中の子どもが遊ぶ“けんけんぱ”

 日本において世代を問わず知られている“けんけんぱ”。実は調べてみると、日本だけではなく世界中の子どもたちの間で遊ばれているということがわかりました。

 もちろん、国によって呼ばれている例を挙げれ名前は異なりますが、いくつか例を挙げると、米・英『ホップスコッチ』、ロシア『クラスィキイ』、フランス『マレル』、イタリア『カンバーノ』、ドイツ『ヒーゲルカステン』等々。ルールも同様に国によって微妙に違う点はありますが、いずれにせよ“けんけんぱ”に類する遊びが世界各国に存在するのです。

 いったいなぜ、“けんけんぱ”は世界中に類する遊びが存在するのでしょうか。このことについて、教育学者の太田堯さんは、「こどもの遊びに歴史や地域が違っても共通性がみられるのは、それが生物に共通の発達要求にもとづくものだから」(『教育とは何か』P133 岩波新書/1990)と指摘しています。

 “遊び”と“発達”という言葉が出てきましたが、この2つのことがすぐには結びつかない方も中にはいらっしゃるかもしれません。しかし、“遊び”と“発達”というものは非常に強い関連性を持っているのです。

 フランスの精神科医でもあり、児童心理学者でもあったH.ワロンによれば、「こどもの遊びは、あらわれたばかりの機能を使うことからはじまる」(『科学としての心理学』P172 誠信書房/1960)とされ、子どもはある要求を実現するために、自身の中でばらばらに存在する身体の諸機能について、遊びを通じて利用し、それらを統合することによって諸能力を発達させ、その達成を可能にします。

 このように子どもにとっての遊びとは、自身の諸能力を発達させるものであり、また同時に「子どもが、さまざまな能力をもった自分というものを体験することができる」(H.ワロン)行為でもあるわけです。

 こうしたことを踏まえると、“けんけんぱ”という遊びには、生物に共通の発達要求に基づいてその諸能力を発達させるような、何か合理的な要素が含まれているのではないかと考えられます。


★発達診断にも利用される“けんけんぱ”

 実は、“けんけんぱ”という遊びが人間の発達と深く関わっているという事実は私たちの身近なところでも確認できるのです。事実、3-7歳児の発達診断においてよく利用されている「新版K式発達検査」では、その検査項目の一つとして“けんけんぱ”が全身運動としての姿勢運動領域を検査する目的で幅広く用いられています。

 “けんけんぱ”を通じて身につけることができる諸能力は、子どもの発達にとって非常に重要なものであり、生物学的な発達要求にもとづく合理性が存在する。だからこそ“けんけんぱ”は世界中の親子に今でも愛され続けているのではないでしょうか。


★“けんけんぱ”のわかちつたえから垣間見える愛情の連鎖

 あの場所で“けんけんぱ”をしていた子どもに教えていたのが、その親御さんもしくは祖父母の方なのかはわかりません。しかしいずれにせよ、“けんけんぱ”を子どもに教えるその過程において、教える側の大人のかたは、自身が幼かった時にそのまた親御さんもしくは祖父母の方に”けんけんぱ”を教えられた時のことを思い出したに違いありません。

 太田堯さんは、「こうした遊びは、一人ひとりの子どもが大人になる過程で、人間性の開花を促す意味をもった行動として、世代から世代へと伝えられてきた」(前掲P134)と述べています。あの場所で“けんけんぱ”を子どもに教えた大人のかたも、そしてその大人のかたが幼かったときに”けんけんぱ”を教えたおとなのかたも、いずれもその時々の子どもの発達と成長を願う強い気持ちがあったに違いありません。そして同時に親から子へと、”けんけんぱ”という遊びを教えるプロセスを通じて、その愛情とぬくもりも代々一緒に伝えられていったのでしょう。

 私が先日そして25年前にみた、あの“けんけんぱ”のチョークの文字は、そうして代々伝えられてきた、大人たちの子どもを想う愛情の連鎖ともいえるその片鱗だったのかもしれません。

 先日、“けんけんぱ”を教わった子も、自身が親になった時に代々受け継がれてきた愛情とともに“けんけんぱ”を子どもに伝えることでしょう。

 それが20年後、もしくは30年後かいつになるかもまだわからないですが、またあの同じ場所に“けんけんぱ”の跡を見られる日を楽しみに待ちたいと思います。

KIMG2153.JPG

※教育学者の太田堯さんは、昨年12月に他界されました。心よりご冥福をお祈りいたします。





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