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15年目の夏~Kちゃんから教わったこと~(1)

昨年7月に祖父・11月に母が亡くなりました。
それぞれ99歳と63歳。身近な家族が亡くなるということ、自分にとって家族とはということを嫌というほど考えさせられた1年でした。

母の闘病については、また落ち着いたときに書きたいと思います。

そんなわけで、母が亡くなったために、今年の6月に私自身、実家に戻ってきました。

引っ越しの際に、昔書いた日記等が出てきて、ブログにもまだUPしてなかったものも散見されたので、順次掲載していきたいと考えています。

今年もまた夏がやってきて、日本各地で経験したことのないような暑さが私たちを襲っています。連日40度近くまで気温が上昇する毎日、みなさんも体調管理には気を付けてくださいね。



【15回忌を迎える後輩のお話】


 ところで来週の2018年8月29日に、大学時代の後輩が亡くなってから15回目の命日を迎えます。1級下の埼玉県出身の女の子だったKちゃん。今から15年前、本人が大学3年生の夏に自ら命を絶ちました。

 同じサークルの後輩だったKちゃんとは、亡くなる1年半前、Kちゃんが大学1年生の冬くらいからほとんど顔を合わすことがありませんでした。Kちゃんが大学1年生の夏くらいから、私たちの前でもKちゃんの体調不良が顕著になってきて、本人もサークルを休みがちになってしまったためです。

 結局、Kちゃんは大学3年生の夏に亡くなってしまったわけですが、その連絡を聞いたときは本当に「まさか・・」という気持ちでした。
私自身、Kちゃんが亡くなったときに、別のサークルの大会期間中だったこともあり葬儀には参加できませんでした。それでも「一度お線香をあげに行きたいな・・」という想いはずっとあって、結局亡くなった4年後の夏に、勇気をもって、Kちゃんの実家に足を運ぶことができました。。

Kちゃんのことは、このブログの初期に少し触れたことはありますが、詳細については書いたことがありません。今年が15年という節目の年ということもあり、彼女のことを忘れないためにも、今回少し長くなりますがここに書き留めておきたいと思います。

今回掲載させていただいたのは、私がKちゃんの実家を訪問した後に、私が書いた日記をもとにそれを加筆・修正したものです。
なるべく人物が特定されない範囲で事実をなるべく正確に記述できるように心がけましたが、ところどころ読みにくいところがあると思いますが、ご了承いただければ幸いです。


【あれから4年後・・はじめての訪問】


 2003年の8月、Kちゃんが大学3年生の時に亡くなってから4年経った2007年の夏、今回はじめて私はKちゃんの実家を訪問することができました。本当はもっと早く訪問したかったのですが、なかなかその一歩が踏み出せず、4年もの月日が経過してしまいました。

 Kちゃんの実家は、埼玉県の郊外の街の中にありました。駅を降りるとおそらく新装したばかりであろうロータリーが広がっていて、一見都会らしい雰囲気を感じさせますが、駅から少し離れると田んぼが一面に広がる片田舎の風景も垣間見ることのできるような街でした。都会過ぎず田舎過ぎず。住むには良いところだなと思いました。

 実はKちゃんの実家の情報は住所しか知らなかったので、事前にGoogle mapで調べた地図だけが頼りでした。そうはいっても駅からだいたいの距離と方向はわかっていたので、Kちゃんの生まれ育った街になるべく直に触れてみたいという気持ちもあり、電車を降りてからは公共機関は利用せず歩いていくことにしました。
駅からKちゃんの実家まではおよそ1時間30分程で到着することができました。

 玄関の前に立ち、深呼吸をしてからインターホンを押すと、若い男の子が出迎えてくれました。Kちゃんには弟さんがいると聞いていたのできっとその弟さんだったのでしょう。その後すぐにお父さんが出てきてくれて、私を居間に招き入れてくれました。

 
【父親から見たKちゃん】


 お父さんに居間に案内してもらい、腰を下ろして部屋を見回すと、すぐ横に仏壇があり、飾ってあった位牌には“平成15年(2003年)8月29日”と書いてあったので、おそらくそれがKちゃんの位牌だったのでしょう。

 お線香をあげさせていただいた後に、お父さんからKちゃんの小さい頃からのお話を聞かせて頂きました。

 Kちゃんは、平成5年、おそらく小学校4年前後の時に、自宅が全焼するという事件を経験していました。当然、Kちゃんもとてもショックを受けていたようです、あと、その火事のせいかどうかはわかりませんが、Kちゃんがお母さんを早くに亡くしていて、弟さんとともに、父親の男手ひとつで育てられたとのことでした。

 Kちゃんは小さな頃から絵を描くのが好きで、高校時代では、最初の2年間は絵画部のようなものにも入っていたと言います。3年生になってからは生徒会の方に熱を入れるようになったそうですが、将来は「絵に関する仕事をしたい」と夢見ていたそうです。

 Kちゃんの様子が明らかに変だと、お父さんが初めて気づいたのは、Kちゃんが高校2年生くらいの時だったそうです。この頃、お父さんにも内緒で、一人で勝手に精神科のクリニックへの通院を始めていたということで、お父さんも驚いたようです。

そしてこの頃から徐々に、この精神科のクリニックへの受診のことだけにとどまらず、大事なことは何も相談してくれなくなったとのことでした。お父さんが心配になり、ちょっと突っ込んで聞いてもKちゃんは適当に嘘をついてはぐらかしてしまうことが度々で、お父さん自身もこの頃からKちゃんのことは良くわからくなってしまったとお話していました。

 Kちゃんが高校を卒業し、大学進学の際には、お父さんもKちゃんのことが心配だったために、自宅から通える範囲の大学に行ってほしいと思っていたようでしたが、合格の可否の都合上で県外の大学にしたそうです。

 Kちゃんは、大学に進学後も相変わらず精神科のクリニックには通院していたようです。Kちゃんの精神科通院のことは、本人の口からは一度も聞いたことがなかったので、本人としては周囲に知られたくない気持ちが強かったのかもしれません。

進学後、医療費の通知書が家に届く度に、徐々にKちゃんの内服の副薬量が増加していることにお父さんは気づいており、平均して月に1万円、多い時には2万円ちかくにのぼることもあったそうです。

 そうした心配する気持ちを傍らに、結局、本当に残念な結果としてKちゃんは亡くなってしまいました。

亡くなった後、Kちゃんの大学の友人も何人か訪ねてきてくれたそうで、その子たちの話してくれたところでは、大学時代のKちゃんは何事に対しても無気力な印象があったということ。また、Kちゃん自身の意志で、うつ病の自助サークルにも顔を出しており、そうしたつながりの友人も何人か家を訪ねてきてくれたそうです。

お父さんから私が聞いた話は以上のような内容でした。

改めて、私が知らない事実がとても多かったことを痛感させられました。
お父さんにはお礼とともに、大学時代にKちゃんが映っている写真を何枚か渡し、帰路につきました。

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