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15年目の夏~Kちゃんから教わったこと~(2)

【私が知っているKちゃん】


ここからは、私自身が知っているKちゃんの記録です。


☆Kちゃんとの出会い


私自身がKちゃんと初めてあったのは、私が大学2年生の春のことでした。Kちゃんは大学入学をして、一番最初に所属したのが大学の学生自治会でした。Kちゃんのお父さんの話だと、当人が高校3年生の時には生徒会活動に熱心だったと言っていたのできっとその影響だったのだと思います。
学生自治会には、私たちが所属していたサークルのメンバーも何人か参加しており、そのつながりで、Kちゃんは私たちのサークルにも所属することになりました。

当時、私たちの所属していたサークルは、構成人数が比較的多かったため、毎週行われる定例会は2グループに分かれて活動していました。私とKちゃんは別のグループだったので、日常的に接する機会はそれほど多くはありませんでした。

そんなわけで、Kちゃんとの具体的なエピソードはそれほど多くはないのですが、しかし私自身Kちゃんからはとっても大事なことを教わったという気持ちを持っています。



☆社会運動への誤解と偏見


少し話がそれますが、私たちの所属しているサークルは大雑把にいうと社会運動、具体的には最近話題になったSEALDsをイメージしてもらえれば一番わかりやすいかもしれませんが、学びを中心に、そうした社会活動も行っていました。そうした類の運動をしている団体・個人にとって常につきまとうのは、周囲からの偏見や誤解の目です。SEALDs自身も、数々のバッシングの対象となっていましたが、私たちもそこまでひどくはないながらも、周囲のそうした偏見や誤解などの目にさらされることがありました。

SEALDsの活動に対して実際にあったバッシングの一つとして、「SEALDsに関わると就職が不利になる」というものがありました。(※この指摘の事実についてはSEALDsの当事者からも否定されています。)

社会への異議申し立てを命題とする団体については、常に周囲からそうした指摘や目を向けられるこの世の中なので、就職活動が厳しさを増す社会背景も伴って、真実がまだわからない新しい仲間にとっては、こうした噂や風刺は大きな不安材料でしかありません。

私自身、こうした活動に参加することで、実際に就職に不利を抱えた事例というのは稀だということを理解していながらも、自分以外の他者に対して、自分と同じ道に誘うこと、具体的には仲間としてこのサークルに誘うことに対しては、一歩踏み切れない思いを抱えていた時期でもありました。



☆Kちゃんから教えてもらったこと ~相手の想いを本当の意味で実現できる場所~


 Kちゃんたち新しい仲間が増えてから2か月程度たったある日、サークルの仕事の関係で、偶然Kちゃんを含めて数人の仲間が一緒に作業をしていた時のことでした。

 いつもと変わらず何気ない話をしながらみんなで作業を進めていた時に、たまたま将来の話題になり、Kちゃんが「私、教師になりたいなって思ってるんですよね」と口にしました。
私たちのようなサークルが就職活動に関して、不利になってしまうという偏見などがつきまとうということは、先ほど述べた通りですが、この時、Kちゃんに対して先輩が、そうした懸念への配慮もないまま「こういう活動していると先生になれないかもね」などと冗談とも本気ともとれない軽口のようなことを言ってしまったのです。

先輩が口にした瞬間、私自身、「なんでそういうこと言うかな」って怒りとともに、そのことに対するKちゃんの反応が心配になったわけですが、予想に反してKちゃんの反応は特に迷った素振りもなく、「それでも続けますよ。」との一言だったのです。正直私もKちゃんがそういう反応を返してくるとは思ってもおらず、とても驚いたことを覚えています。

あの時、迷った素振りも見せず、「それでも続けます」と答えたKちゃん。きっとあの時Kちゃんは、自身が教師になることが目的ではなく、自分が教師として本当の意味で良い教育をしたいと思っており、そのためにいまこの場所を必要としている。だから迷わずに「続けますよ」と答えたのだろうと私は考えています。

 このサークルでの活動は周囲からの偏見や誤解の目を受けるかもしれない。でもこの場所でともに学び、活動することは、本当の意味で自分の良心を実現することにつながる。私はそのことをあの時のKちゃんの姿を見て気づかされました。

この時の衝撃はいまでも忘れられません。Kちゃんのこの一言があったからこそ、初めて私はこの活動への参加をよびかけることは、相手の想いに本当の意味で応えることなんだと思うようになり、それまであったよびかけへのわだかまりを解消することができたのです。



☆垣間見えるようになった変調のきざし


その後に行われた8月の合同の定例会で、Kちゃんとはまた顔を合わせる機会がありました。その定例会の冒頭で、Kちゃんが「最近ちょっと気分の浮き沈みが激しいんですよね・・」ってうかない顔で話をする場面がありました。

いま思えば、この頃からKちゃんの変調が私たちの眼前でも表れ始めていたのかなと思います。
実際にその後、8月の終わりに開催された合同の定例会後に先輩が気づいて私に教えてくれたことですが、この時Kちゃんの腕にリストカットをしたような跡があったというのです。この時は、自分の目でみたわけでもなかったし夏休み中でそれほど会う機会もなかったので、私自身そこまで気にしていませんでした。

9月の末に行われたキャンプ合宿では、Kちゃんも参加し、夜に行ったきもだめしでは、Kちゃんが仕掛け人となって、夜中の真っ暗な廃屋のトイレの中に1人潜んで来た仲間を脅かすなど比較的元気な側面がみれたので、まあ大丈夫かな・・と私自身思っていました。



☆最初で最後の事件と活動休止


 そんな最中の10月のことでした。突然先輩からKちゃんがアパートの前で倒れていたという報告がありました。直接の原因はいまでもよくわからないのですが、早朝にKちゃんがアパートの前に倒れているのが発見され、救急車で搬送されたということでした。

 この頃、Kちゃんは相当体調が良くなかったということは間違いなかったのだと思います。
 この事件のすぐ後に、Kちゃんのお父さんから連絡があり、「サークルをやめさせて欲しい」という旨を伝えられました。
 
 その後、Kちゃんの扱いについては、詳細な記録がないので、はっきりとしたことは言えませんが、ただ辞めさせるのも心配だということで、当面活動休止状態とし、学生自治会の活動は継続する形をとったように記憶しています。

 当然、この事件を知ったサークルのみんなは驚いていました。事件のあとの定例会で、Kちゃんのお父さんから直接連絡をもらった先輩が、お父さんから離されたKちゃんの体調の現状についての報告をしてくれたのですが、その時はじめて私はKちゃんがメンタルの病気を抱えていて、精神科に通院していることを知りました。

 仲間うちでは、活動休止の状態とはいえ体調が気になるので、時々サークルとしても声をかけることを確認してその日は解散しました。

 その後、私がKちゃんと顔を合わせたのは、事件から1か月半後のやきいも企画の時だったと思います。久しぶりにKちゃんと会ったので、「体調はどう?」「大丈夫です。」くらいしか声をかけられなかったのですが、さつまいもに新聞紙とアルミホイルをまくKちゃんからは、以前のような覇気はまったく感じられなかったのをよく覚えています。

私がKちゃんとまともに話をしたのはおそらくそれが最後のことでした。Kちゃんが2年生になってからは、何度か挨拶をしたくらいで、それでもKちゃんは2年生の時は学生自治会の副会長を務めていたと思うし、しかし3年生になるときには自治会にも顔をださなくなったという話を仲間から聞いていました。


☆最後の出会い


 そして最後に私がKちゃんを目にしたのはKちゃんが3年の春に、コンビニで買い物をしている姿でした。その時の雰囲気は今でも忘れられません。その時のKちゃんの表情にはまるで精気がなく、能面のような表情をしており、声をかけるのをためらうほどでした。私自身はコンビニの外から見ただけでKちゃんが何を買おうとしていたのかはわかりませんでしたが、後々に気になってその場所を確認してみると、包帯やばんそうこうなどの医薬品が並んでおり、明らかに体調が良くなかったことは一目瞭然です。

 
これが私がKちゃんを見た最後となり、その数か月後、Kちゃんは自ら命を絶ちました。
今でもあの時に一声かけることができていればと思うと悔やんでも悔やみきれません。

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