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新しい男性の役割に関する調査報告書(笹川平和財団)にふれて
☆はじめに
7月に“笹川平和財団”から『新しい男性の役割に関する調査報告書』の結果についてプレスリリースされました。
この調査報告書は、東アジアの9000名(うち日本は5000名)の男性を対象に行ったwebアンケートによる統計分析によって男性の家事・育児頻度などを規定する要因調査を行ったものです。
調査前の想定で研究会では、競争や女性に対する差別意識という「伝統的な男らしさ」にとって代わり「新しい男性性」を身につけた男性が、より多く家事・育児に参加しているという仮説を立てていました。
しかし、調査結果はその逆となり、「伝統的な男らしさ」を持っている男性の方が、家事をする頻度が高いという結論になりました。
この結果について、関西大学文学部の多賀太教授は、研究会で議論した結果、「男性の適応戦略」であるという仮説にたどり着いたといい、「現代では、仕事のみならず家事なども『男がするべきこと』とみなされている。そうした社会の中で、『競争に勝って“男らしく”ありたい』と考える男性は、仕事・家事の両方に勝ちたいと考えている。そのため、仕事に限らない競争意識のようなものが、職場での女性観と家事頻度の両方に影響を与えているのではないか。」と述べています。
そして研究会では、伝統的な男性性が必ずしも弱まっていないことから、「男性のケア役割の遂行が増えること自体は望ましいが、手放しで喜ばず、他の領域でのジェンダー平等に与える影響にも注意すべき」と結論づけています。
わたし自身、この調査結果の分析について基本的に支持したいと思います。
「伝統的な男らしさ」観は現代においても決して弱まっておらず、男性が家事・育児への参加などを含め、多少その頻度が高くなっていたとしても、他の領域では依然として女性に対する差別的な見方や行為が継続していると私自身も考えています。
以下、基本的にこの視点において、性差別の実態がどうなっているのかについて、私なりに検討していきたいと思います。
☆そもそも男性は家事・育児をするようになったのか?
調査報告書では“家事や育児の頻度”について触れていましたが、そもそも日本の男性は家事・育児をするようになっているのでしょうか。
上記の表は、6歳未満の子どもを持つ夫婦の家事・育児関連時間(1日当たりの内訳)を1996年と2016年の2つの年において比較したものです。(※『社会生活基本調査』より作成)
これを見ると、確かに20年前と比較して父親の家事・育児関連時間は38分⇒83分と増えていますが、ほとんどが育児にかかわるものであり、家事に関する時間はほとんど変化がないことがわかります。
育児の時間は確かに増えているようですが、国立女性教育会館(2006)が調査した「日本の父母が子どもと一緒にすること」を見ると、父親が子どもと一緒にする活動は、「一緒に食事をする」「一緒にテレビを見る」など、生活の場を共にすることで必然的に起こる共行動や遊びが中心であり、子どもの身の回りの世話や子どものためにわざわざ時間を使うような活動は少ないことが指摘されています。
またその関わりは”必然的”かつ”受動的”なものが多く、これらのことから父親の育児に関する時間が増加したと言っても、数字上の伸びほど評価できるわけではないように思えます。
さらに、1996年においては、男性雇用者と無業の妻からなる世帯と雇用者の共働き世帯の数がそれぞれ937万世帯と927万世帯でほぼ5:5の割合だったものが、2016年には、664万世帯と1129万世帯でほぼ1:2の割合に近づいており、共働き世帯数の割合が圧倒的に増えたことを考えると、やはり父親の家事・育児関連時間の割合は少なすぎることは明らかです。
2016年時点でも、この父親の家事・育児関連時間は先進国の中でも最低水準となっています。
2010年には”イクメン”が流行語大賞に入賞し世間を賑わせたこともありましたが、男性の家事に割く時間は圧倒的に少ないというのが本当のところのようです。
7月に“笹川平和財団”から『新しい男性の役割に関する調査報告書』の結果についてプレスリリースされました。
この調査報告書は、東アジアの9000名(うち日本は5000名)の男性を対象に行ったwebアンケートによる統計分析によって男性の家事・育児頻度などを規定する要因調査を行ったものです。
調査前の想定で研究会では、競争や女性に対する差別意識という「伝統的な男らしさ」にとって代わり「新しい男性性」を身につけた男性が、より多く家事・育児に参加しているという仮説を立てていました。
しかし、調査結果はその逆となり、「伝統的な男らしさ」を持っている男性の方が、家事をする頻度が高いという結論になりました。
この結果について、関西大学文学部の多賀太教授は、研究会で議論した結果、「男性の適応戦略」であるという仮説にたどり着いたといい、「現代では、仕事のみならず家事なども『男がするべきこと』とみなされている。そうした社会の中で、『競争に勝って“男らしく”ありたい』と考える男性は、仕事・家事の両方に勝ちたいと考えている。そのため、仕事に限らない競争意識のようなものが、職場での女性観と家事頻度の両方に影響を与えているのではないか。」と述べています。
そして研究会では、伝統的な男性性が必ずしも弱まっていないことから、「男性のケア役割の遂行が増えること自体は望ましいが、手放しで喜ばず、他の領域でのジェンダー平等に与える影響にも注意すべき」と結論づけています。
わたし自身、この調査結果の分析について基本的に支持したいと思います。
「伝統的な男らしさ」観は現代においても決して弱まっておらず、男性が家事・育児への参加などを含め、多少その頻度が高くなっていたとしても、他の領域では依然として女性に対する差別的な見方や行為が継続していると私自身も考えています。
以下、基本的にこの視点において、性差別の実態がどうなっているのかについて、私なりに検討していきたいと思います。
☆そもそも男性は家事・育児をするようになったのか?
調査報告書では“家事や育児の頻度”について触れていましたが、そもそも日本の男性は家事・育児をするようになっているのでしょうか。
上記の表は、6歳未満の子どもを持つ夫婦の家事・育児関連時間(1日当たりの内訳)を1996年と2016年の2つの年において比較したものです。(※『社会生活基本調査』より作成)
これを見ると、確かに20年前と比較して父親の家事・育児関連時間は38分⇒83分と増えていますが、ほとんどが育児にかかわるものであり、家事に関する時間はほとんど変化がないことがわかります。
育児の時間は確かに増えているようですが、国立女性教育会館(2006)が調査した「日本の父母が子どもと一緒にすること」を見ると、父親が子どもと一緒にする活動は、「一緒に食事をする」「一緒にテレビを見る」など、生活の場を共にすることで必然的に起こる共行動や遊びが中心であり、子どもの身の回りの世話や子どものためにわざわざ時間を使うような活動は少ないことが指摘されています。
またその関わりは”必然的”かつ”受動的”なものが多く、これらのことから父親の育児に関する時間が増加したと言っても、数字上の伸びほど評価できるわけではないように思えます。
さらに、1996年においては、男性雇用者と無業の妻からなる世帯と雇用者の共働き世帯の数がそれぞれ937万世帯と927万世帯でほぼ5:5の割合だったものが、2016年には、664万世帯と1129万世帯でほぼ1:2の割合に近づいており、共働き世帯数の割合が圧倒的に増えたことを考えると、やはり父親の家事・育児関連時間の割合は少なすぎることは明らかです。
2016年時点でも、この父親の家事・育児関連時間は先進国の中でも最低水準となっています。
2010年には”イクメン”が流行語大賞に入賞し世間を賑わせたこともありましたが、男性の家事に割く時間は圧倒的に少ないというのが本当のところのようです。
川崎殺傷事件の報道について思うこと
☆はじめに~川崎殺傷事件にふれて~
2019年5月28日7時45分頃、川崎市の登戸駅付近の路上で私立カリタス小学校のスクールバスを待っていた小学生の児童や保護者らが、近づいてきた50代の男性に相次いで刺されるという事件が起きました。本日までに被害者2名が死亡し、合わせて20名が死傷するという、またしても凄惨な事件が起きてしまいました。
亡くなられた2名の方については心から哀悼の意を捧げたいとともに、被害に遭われた方々が一刻も早く、そして継続的に適切なケアを受けられるよう心から願っています。
☆事件をめぐるマスコミの一面的な報道
ところで今回の事件について、被害に次いで気になっているがマスコミの報道姿勢についてです。
たとえば、フジテレビ系のFNN PRIMEは5月30日午後5時10分に「部屋にテレビとゲーム機 岩崎容疑者の自宅」と題した記事を配信。またこれ以前にも加害者男性が“ひきこもり”であったことを過度に強調する報道が相次いでいたため、あたかも“ひきこもり”であること、“テレビやゲーム機を所有していること”という事実が事件のきっかけになったと客観的に連想してしまうような一面的な報道がなされていました。
こうした報道に対して、ひきこもり支援活動などを行う一般社団法人「ひきこもりUX会議」は事件を受け、「引きこもりと殺傷事件を臆測や先入観で関連付けることを強く危惧する」と声明を発表しています。
わたしたち自身も、こうした偏見に惑わされないような視点の必要性をあらためて実感する機会となりました。
☆偏見に惑わされないことのむずかしさ
そうはいってもなかなか“偏見”というものを完全に取り除くことはとても難しいことですね。わたし自身も最近身近なところで自身の“偏見”に気付かされるエピソードがありました。
私は95歳になる祖母と同居をしています。半年程前の1ヶ月程の間に祖母が二度も洗面所の蛇口を閉めずに出しっぱなしにしたことがあったのですが、短期間のうちに2回も同じことがあったので、私自身、祖母が“認知症”になってしまったのではないかという疑いを持ったという出来事がありました。
このことに関連してもう一つ、身近というわけではないのですが旧ソビエトの心理学者であるヴィゴツキーについて実際にあったエピソードもあわせて紹介したいと思います。
『ヴィゴツキーに紹介されたのは、ある地方の県から連れて来られた子どもでした。村中の者は皆、この少年が知能の低い子どもとみなしていましたが、ただ身内の祖父だけは村を挙げてのこのような判断を頑なに認めようとしませんでした。やがて祖父が正しいことが明らかになりました。その孫には難聴があって、低知能は二次的なものでその実はみせかけの姿だったのです。』
(「ヴィゴツキー評伝~その生涯と創造の軌跡」明石書店/広瀬信雄 P127)
上記のヴィゴツキーのエピソードをふまえた上で、祖母のケースを考えた時に、きっと祖母が水を出しっぱなしにしてしまったのもやはり“難聴”が原因だったのではないかと思うのです。普段わたしたちが水を出しっぱなしにしないのは、水を出しっぱなしでその場を離れようとすると、否が応でもその水音で気づかされるからです。だからもし難聴のためその水音を聞き取ることができないとすれば、たとえ認知症がない私たちであっても水を出しっぱなしにしたままその場を離れてしまう可能性はあると思います。
また、祖母は半年前の出来事の直前に、1年程続いた老人ホームへの入所から久しぶりに自宅に戻ってきたばかりの時だったということも影響したのかもしれません。
☆“表面的”な出来事でなく、物事の奥底をつかむ視点を
いずれにせよ、いま私自身が祖母と生活をしていて認知症と思うような出来事は一切思い当たらないことからも、私が祖母について“認知症かも”と思ったことは全くもって誤解と偏見であったことは間違いないことだと考えます。
川崎殺傷事件における“ひきこもり”、そして祖母の“認知症”のいずれの件についても、巷ではそのような偏見に無意識的に陥ってしまう罠が至る所に存在しています。
今回の事件の報道に対して私たちに求められるのは、こうしたものごとに対してその“表面的な報道”に踊らされるのではなく、ものごとの奥底をつかむ視点を一人ひとりが身につけていくことなんだろうと思います。
2019年5月28日7時45分頃、川崎市の登戸駅付近の路上で私立カリタス小学校のスクールバスを待っていた小学生の児童や保護者らが、近づいてきた50代の男性に相次いで刺されるという事件が起きました。本日までに被害者2名が死亡し、合わせて20名が死傷するという、またしても凄惨な事件が起きてしまいました。
亡くなられた2名の方については心から哀悼の意を捧げたいとともに、被害に遭われた方々が一刻も早く、そして継続的に適切なケアを受けられるよう心から願っています。
☆事件をめぐるマスコミの一面的な報道
ところで今回の事件について、被害に次いで気になっているがマスコミの報道姿勢についてです。
たとえば、フジテレビ系のFNN PRIMEは5月30日午後5時10分に「部屋にテレビとゲーム機 岩崎容疑者の自宅」と題した記事を配信。またこれ以前にも加害者男性が“ひきこもり”であったことを過度に強調する報道が相次いでいたため、あたかも“ひきこもり”であること、“テレビやゲーム機を所有していること”という事実が事件のきっかけになったと客観的に連想してしまうような一面的な報道がなされていました。
こうした報道に対して、ひきこもり支援活動などを行う一般社団法人「ひきこもりUX会議」は事件を受け、「引きこもりと殺傷事件を臆測や先入観で関連付けることを強く危惧する」と声明を発表しています。
わたしたち自身も、こうした偏見に惑わされないような視点の必要性をあらためて実感する機会となりました。
☆偏見に惑わされないことのむずかしさ
そうはいってもなかなか“偏見”というものを完全に取り除くことはとても難しいことですね。わたし自身も最近身近なところで自身の“偏見”に気付かされるエピソードがありました。
私は95歳になる祖母と同居をしています。半年程前の1ヶ月程の間に祖母が二度も洗面所の蛇口を閉めずに出しっぱなしにしたことがあったのですが、短期間のうちに2回も同じことがあったので、私自身、祖母が“認知症”になってしまったのではないかという疑いを持ったという出来事がありました。
このことに関連してもう一つ、身近というわけではないのですが旧ソビエトの心理学者であるヴィゴツキーについて実際にあったエピソードもあわせて紹介したいと思います。
『ヴィゴツキーに紹介されたのは、ある地方の県から連れて来られた子どもでした。村中の者は皆、この少年が知能の低い子どもとみなしていましたが、ただ身内の祖父だけは村を挙げてのこのような判断を頑なに認めようとしませんでした。やがて祖父が正しいことが明らかになりました。その孫には難聴があって、低知能は二次的なものでその実はみせかけの姿だったのです。』
(「ヴィゴツキー評伝~その生涯と創造の軌跡」明石書店/広瀬信雄 P127)
上記のヴィゴツキーのエピソードをふまえた上で、祖母のケースを考えた時に、きっと祖母が水を出しっぱなしにしてしまったのもやはり“難聴”が原因だったのではないかと思うのです。普段わたしたちが水を出しっぱなしにしないのは、水を出しっぱなしでその場を離れようとすると、否が応でもその水音で気づかされるからです。だからもし難聴のためその水音を聞き取ることができないとすれば、たとえ認知症がない私たちであっても水を出しっぱなしにしたままその場を離れてしまう可能性はあると思います。
また、祖母は半年前の出来事の直前に、1年程続いた老人ホームへの入所から久しぶりに自宅に戻ってきたばかりの時だったということも影響したのかもしれません。
☆“表面的”な出来事でなく、物事の奥底をつかむ視点を
いずれにせよ、いま私自身が祖母と生活をしていて認知症と思うような出来事は一切思い当たらないことからも、私が祖母について“認知症かも”と思ったことは全くもって誤解と偏見であったことは間違いないことだと考えます。
川崎殺傷事件における“ひきこもり”、そして祖母の“認知症”のいずれの件についても、巷ではそのような偏見に無意識的に陥ってしまう罠が至る所に存在しています。
今回の事件の報道に対して私たちに求められるのは、こうしたものごとに対してその“表面的な報道”に踊らされるのではなく、ものごとの奥底をつかむ視点を一人ひとりが身につけていくことなんだろうと思います。
子どもたちから教えてもらったこと(3)-はじめてのだっこ-
☆はじめに
今回の「子どもたちから教えてもらったこと」の記事ですが、本当は今回の3回目の記事の内容を書きたいと思っていたのが最初のきっかけでした。いざ書き始めた時に、前置きのつもりで書いていた(1)・(2)の部分が想像していた以上に長くなってしまい、最初は書くつもりではなかったことまで触れたものだから記事の内容が全くまとまらず、結果的に大変読みにくい記事となってしまいました。
前回の記事を読んでくださった方の中に、文章の意図の読み取りにくさを感じた方がいらっしゃったのであれば深くお詫び申し上げたいと思います・・
☆”はじめてのだっこ”を断った父
さて、前回までの記事で何回か姪っ子の存在について触れましたが、私自身姪っ子と初めて顔を会わせることができたのは、昨年の11月のことでした。
甥っ子の方が産まれた時は、妹が東北に住んでいたこともあり、初めて顔を会わせることができたのは生後半年近くも経ってからのことだったのです。だからこそまだ生後1ヶ月にも満たないMちゃんの顔を見た時には、本当に感無量でした。
そしてMちゃんとの初対面がすんでからのこと。妹がだっこしながらMちゃんをベッドから連れて来て、父に『お父さん、Mちゃんだっこしてみる?』と問いかけたのです。それに対して父は「いやいや、怖いからいいや」と断わりました。
一見すると何気ないやりとりだったわけですが、その時私の中で何か言葉にならないような違和感を感じたのです。
結局、その違和感が何なのかということがよくわからないまま静岡を後にしたわけですが、それが何だったのかと気づくことができたのは、実家に戻ってきてからのことでした。
☆“はじめてのだっこ”を断った父に対する疑念
私が感じた違和感、それはなぜあの時に父がMちゃんをだっこしなかったのか、ということに対する疑念だったのだと思います。
通常、自分の家族である赤ちゃんをだっこしたいというのは、極めて自然な欲求だと思います。あの時の父のように、Mちゃんはまだ首もすわってない状態だったのですから、『怖い』という気持ちは確かに理解できます。しかし父は私や妹、または親類の子など、これまでいくらでもそのくらいの赤ちゃんをだっこする機会があったはずです。それにも関わらず、なぜいまさら『怖い』と言ってあの時にMちゃんをだっこしなかったのでしょうか。
そのことを考えた時に、もっとも可能性の高い理由として考えられるのは、父がこれまで私や妹が生まれた直後も、今回のように『怖い』と言ってだっこしなかったのではないかということです。
とはいえ、たとえそうだったとしても、私自身物心もついていない時の話をいまさら蒸し返すつもりは毛頭ありません。
しかし今回、父がMちゃんのだっこを断ったことについて、妹自身はどのように感じたのでしょうか。そしてもし、私や妹が生まれた直後も父がだっこをしなかったとすれば、母はいったいどのような感情を抱いたのだろうか。ということについては、私自身思いを馳せないわけにはいきませんでした。
私があの時に感じた違和感。それは父がだっこを断ったという行為自体に対してだけのものではなかったのでしょう。それと同時に、その父の行為に対して、妹や母がどのような感情を抱いたのかということについても、私自身が無意識的に想いを馳せていたことに由来するものだったのだと思います。
☆”はじめてのだっこ”が意味するもの
もし自分が仮に母親だったとして、父親にわが子のだっこを断られた時のことを想像してみました。
お互い同士の恋愛を通じ、結婚、妊娠、そして出産。無事にこの世に生まれ出た赤ちゃんに初めて対面した瞬間。親がわが子に対してする”はじめてのだっこ”は、その言葉に出来ないほどの喜びを初めて夫婦で共有しあう大切な行為です。
もし父親に、そのような大切な意味を持つ“はじめてのだっこ”を断られたら、きっと母親は深く傷つくことでしょう。
また、父親のわが子に対する“はじめてのだっこ”は、出産行為だけではなく、その後の授乳などの母親にしかできない行為はあるにせよ、お腹にいた時とは違いって初めて夫婦が対等に子育てに関わることができる出発点としての行為であるとも言えます。
だからこそ、生まれた直後のわが子を母親が父親に手渡し、“はじめてのだっこ”を求める行為というものは、“これから一緒に子育て頑張ろうね”という母親から父親に対する“問いかけ”を含んだ行為ともいえるのではないでしょうか。夫婦間の子育ての共同は、まさにその瞬間から始まるのだと思います。
そう考えた時に、もし父親がわが子の“はじめてのだっこ”を断るということは、そうした母親の“問いかけ”を拒否したということに他なりません。
つまり母親にとっては、父親にわが子の“はじめてのだっこ”を拒否されるということは、わが子が無事に誕生した喜びを分かち合うことを拒否されたということだけに留まらず、その後も『この人(父親)はこれからちゃんと子育てに携わってくれるのであろうか』ということも含めて、深い傷心と、大きな不安を抱えなければならないということに繋がるのです。
だからこそ、“はじめてのだっこ”というものは、世間一般においてはどこにでもある光景ではありますが、一見何気ない行為の中にもそうした大事な意味が内包されているのだと思います。
☆地域社会における子育て
ところで、子どもを自ら産んだこともない私が言うのもおこがましい話であるかもしれませんが、そもそもいつの時代も出産・子育てというものは簡単なものではありませんでした。だからこそ古来より人間はその責任を母親一人だけに負わせるのではなく、地域社会全体で支えるしくみを築いてきたのです。
教育学者の太田堯氏は『教育とは何か』(岩波新書)の中で、下記の通り、出産・子育てというものを地域社会においてどのように支えていたのかについて紹介をしています。少し長くなりますが引用させていただきます。
『あらゆる生きものの生命は受精にはじまります。いろいろな社会的事情はあるものの、子どもは結ばれた男女によって町の望まれたものであるはずです。それはほとんど生物としての基本的欲求に根差しているのです。しかし受精によって成立した生命が、すべてこの世に生れ出るとは限りません。多くの困難な事情と危険が伴っていました。
子どもをはらんだとき、一般庶民の間では、この子を産むべきか、産まざるべきかの判断が、社会的・経済的理由から、また健康上の理由から相当深刻な問題であったことは間違いありません。そういう困難の中でこの子は産みますよと決心がついたとき、妊娠5ヶ月頃を中心に『帯祝』の行事がかなり一般的に行われました。嫁の実家からも、米、小豆、酒など、帯祝いの日に招く近隣や親戚の客人をふるまうためのものが贈られました。だから帯祝は『この子は産みますよ』という社会的宣言とみてもよく、あわせて母子の無事、健康な育ちをあらかじめ祝福することを意味したと考えることができます。人間の子育ては、受精によって胎内で成長をはじめた生命の時点から、社会的関係の中におかれることになりましょう。
このように、地域社会において子育てというものは受精し胎内に子どもの命が宿ったその時点から社会的関係のもとに置くことで、決して母親だけに責任を負わせるのではなく、共同の営みという形で子育てに取り組んできました。今風に表現するならば“子育ての社会化”とも言い換えることができると思います。
それが具体化された形の一つが『帯祝』という行事であり、地域社会における子育てには、他にも数々のこうした儀式的行為が存在します。これらは物理的に子育てに対する親の負担を軽減するという役割だけではなく、精神的にも不安定になりがちな子育て中の親に対する安心感の醸成といった点でも大きな役割を果たしてきました。
しかし、現代社会においてはこうした地域社会の解体が急激に進行し、それと同時に子育てを取り巻く社会関係についても衰亡することとなってしまいました。その結果、現代において子育ての負担は物理的にも精神的にも母親が一手に担わなければならない状況に陥ってしまっているように感じます。
昨今の日本全国で続発する子育てに関する悲劇的な事件が発生する一因にも、このような地域社会の解体に端を発する、子育てに対する社会的な支援の衰退が存在するのではないでしょうか。
☆今一度求められる“子育ての社会化”と“はじめてのだっこ”
このように子育てに対する社会的支援が乏しい現状であるからこそ、私たちは今一度“子育ての社会化”を目指す努力が求められているように思います。こんな現状であるからこそ、まず父親は子育てを母親だけに責任を負わせるのではなく、自ら積極的に子育て行為に参加していくことが求められているように思います。
その姿勢を示す第一歩が、わが子に対する“はじめてのだっこ”なのではないでしょうか。
こうしたことを考えた時に、やはり父親は母親からからわが子を渡された時の“はじめてのだっこ”は決して断っていいような類のものではないと思います。それは父親だけに求められるものではなくて、“子育ての社会化”が巷で大きく求められている今、親以外の祖父母や知人であったとしても、やはり等しく求められるものなのです。
と、こんなことを書きながらも私自身、昨年の10月に後輩の子どもの出産祝いに顔を出した時に、後輩から『だっこしてみます?』と問われ、『いや、いいや』と断っていたのです。まったくもって父が父なら子も子です。本当にお恥ずかしい限りです。
でもまだ9歳の甥っ子は、そんな父や私のように“はじめてのだっこ”を断らず、自らの意志で受け入れていました。赤ちゃんをだっこするにはまだ小さすぎるのではないかとも思える手で、必死にだっこをするそんな甥っ子の姿を見なければ、私自身、自ら犯していた過ちに気付くこともなかったことでしょう。
いつの時代においても、子どもはともすれば大人以上にいろいろなことを教えてくれる。そんなかけがえのない存在なのだと改めて気付かされました。
今回の「子どもたちから教えてもらったこと」の記事ですが、本当は今回の3回目の記事の内容を書きたいと思っていたのが最初のきっかけでした。いざ書き始めた時に、前置きのつもりで書いていた(1)・(2)の部分が想像していた以上に長くなってしまい、最初は書くつもりではなかったことまで触れたものだから記事の内容が全くまとまらず、結果的に大変読みにくい記事となってしまいました。
前回の記事を読んでくださった方の中に、文章の意図の読み取りにくさを感じた方がいらっしゃったのであれば深くお詫び申し上げたいと思います・・
☆”はじめてのだっこ”を断った父
さて、前回までの記事で何回か姪っ子の存在について触れましたが、私自身姪っ子と初めて顔を会わせることができたのは、昨年の11月のことでした。
甥っ子の方が産まれた時は、妹が東北に住んでいたこともあり、初めて顔を会わせることができたのは生後半年近くも経ってからのことだったのです。だからこそまだ生後1ヶ月にも満たないMちゃんの顔を見た時には、本当に感無量でした。
そしてMちゃんとの初対面がすんでからのこと。妹がだっこしながらMちゃんをベッドから連れて来て、父に『お父さん、Mちゃんだっこしてみる?』と問いかけたのです。それに対して父は「いやいや、怖いからいいや」と断わりました。
一見すると何気ないやりとりだったわけですが、その時私の中で何か言葉にならないような違和感を感じたのです。
結局、その違和感が何なのかということがよくわからないまま静岡を後にしたわけですが、それが何だったのかと気づくことができたのは、実家に戻ってきてからのことでした。
☆“はじめてのだっこ”を断った父に対する疑念
私が感じた違和感、それはなぜあの時に父がMちゃんをだっこしなかったのか、ということに対する疑念だったのだと思います。
通常、自分の家族である赤ちゃんをだっこしたいというのは、極めて自然な欲求だと思います。あの時の父のように、Mちゃんはまだ首もすわってない状態だったのですから、『怖い』という気持ちは確かに理解できます。しかし父は私や妹、または親類の子など、これまでいくらでもそのくらいの赤ちゃんをだっこする機会があったはずです。それにも関わらず、なぜいまさら『怖い』と言ってあの時にMちゃんをだっこしなかったのでしょうか。
そのことを考えた時に、もっとも可能性の高い理由として考えられるのは、父がこれまで私や妹が生まれた直後も、今回のように『怖い』と言ってだっこしなかったのではないかということです。
とはいえ、たとえそうだったとしても、私自身物心もついていない時の話をいまさら蒸し返すつもりは毛頭ありません。
しかし今回、父がMちゃんのだっこを断ったことについて、妹自身はどのように感じたのでしょうか。そしてもし、私や妹が生まれた直後も父がだっこをしなかったとすれば、母はいったいどのような感情を抱いたのだろうか。ということについては、私自身思いを馳せないわけにはいきませんでした。
私があの時に感じた違和感。それは父がだっこを断ったという行為自体に対してだけのものではなかったのでしょう。それと同時に、その父の行為に対して、妹や母がどのような感情を抱いたのかということについても、私自身が無意識的に想いを馳せていたことに由来するものだったのだと思います。
☆”はじめてのだっこ”が意味するもの
もし自分が仮に母親だったとして、父親にわが子のだっこを断られた時のことを想像してみました。
お互い同士の恋愛を通じ、結婚、妊娠、そして出産。無事にこの世に生まれ出た赤ちゃんに初めて対面した瞬間。親がわが子に対してする”はじめてのだっこ”は、その言葉に出来ないほどの喜びを初めて夫婦で共有しあう大切な行為です。
もし父親に、そのような大切な意味を持つ“はじめてのだっこ”を断られたら、きっと母親は深く傷つくことでしょう。
また、父親のわが子に対する“はじめてのだっこ”は、出産行為だけではなく、その後の授乳などの母親にしかできない行為はあるにせよ、お腹にいた時とは違いって初めて夫婦が対等に子育てに関わることができる出発点としての行為であるとも言えます。
だからこそ、生まれた直後のわが子を母親が父親に手渡し、“はじめてのだっこ”を求める行為というものは、“これから一緒に子育て頑張ろうね”という母親から父親に対する“問いかけ”を含んだ行為ともいえるのではないでしょうか。夫婦間の子育ての共同は、まさにその瞬間から始まるのだと思います。
そう考えた時に、もし父親がわが子の“はじめてのだっこ”を断るということは、そうした母親の“問いかけ”を拒否したということに他なりません。
つまり母親にとっては、父親にわが子の“はじめてのだっこ”を拒否されるということは、わが子が無事に誕生した喜びを分かち合うことを拒否されたということだけに留まらず、その後も『この人(父親)はこれからちゃんと子育てに携わってくれるのであろうか』ということも含めて、深い傷心と、大きな不安を抱えなければならないということに繋がるのです。
だからこそ、“はじめてのだっこ”というものは、世間一般においてはどこにでもある光景ではありますが、一見何気ない行為の中にもそうした大事な意味が内包されているのだと思います。
☆地域社会における子育て
ところで、子どもを自ら産んだこともない私が言うのもおこがましい話であるかもしれませんが、そもそもいつの時代も出産・子育てというものは簡単なものではありませんでした。だからこそ古来より人間はその責任を母親一人だけに負わせるのではなく、地域社会全体で支えるしくみを築いてきたのです。
教育学者の太田堯氏は『教育とは何か』(岩波新書)の中で、下記の通り、出産・子育てというものを地域社会においてどのように支えていたのかについて紹介をしています。少し長くなりますが引用させていただきます。
『あらゆる生きものの生命は受精にはじまります。いろいろな社会的事情はあるものの、子どもは結ばれた男女によって町の望まれたものであるはずです。それはほとんど生物としての基本的欲求に根差しているのです。しかし受精によって成立した生命が、すべてこの世に生れ出るとは限りません。多くの困難な事情と危険が伴っていました。
子どもをはらんだとき、一般庶民の間では、この子を産むべきか、産まざるべきかの判断が、社会的・経済的理由から、また健康上の理由から相当深刻な問題であったことは間違いありません。そういう困難の中でこの子は産みますよと決心がついたとき、妊娠5ヶ月頃を中心に『帯祝』の行事がかなり一般的に行われました。嫁の実家からも、米、小豆、酒など、帯祝いの日に招く近隣や親戚の客人をふるまうためのものが贈られました。だから帯祝は『この子は産みますよ』という社会的宣言とみてもよく、あわせて母子の無事、健康な育ちをあらかじめ祝福することを意味したと考えることができます。人間の子育ては、受精によって胎内で成長をはじめた生命の時点から、社会的関係の中におかれることになりましょう。
このように、地域社会において子育てというものは受精し胎内に子どもの命が宿ったその時点から社会的関係のもとに置くことで、決して母親だけに責任を負わせるのではなく、共同の営みという形で子育てに取り組んできました。今風に表現するならば“子育ての社会化”とも言い換えることができると思います。
それが具体化された形の一つが『帯祝』という行事であり、地域社会における子育てには、他にも数々のこうした儀式的行為が存在します。これらは物理的に子育てに対する親の負担を軽減するという役割だけではなく、精神的にも不安定になりがちな子育て中の親に対する安心感の醸成といった点でも大きな役割を果たしてきました。
しかし、現代社会においてはこうした地域社会の解体が急激に進行し、それと同時に子育てを取り巻く社会関係についても衰亡することとなってしまいました。その結果、現代において子育ての負担は物理的にも精神的にも母親が一手に担わなければならない状況に陥ってしまっているように感じます。
昨今の日本全国で続発する子育てに関する悲劇的な事件が発生する一因にも、このような地域社会の解体に端を発する、子育てに対する社会的な支援の衰退が存在するのではないでしょうか。
☆今一度求められる“子育ての社会化”と“はじめてのだっこ”
このように子育てに対する社会的支援が乏しい現状であるからこそ、私たちは今一度“子育ての社会化”を目指す努力が求められているように思います。こんな現状であるからこそ、まず父親は子育てを母親だけに責任を負わせるのではなく、自ら積極的に子育て行為に参加していくことが求められているように思います。
その姿勢を示す第一歩が、わが子に対する“はじめてのだっこ”なのではないでしょうか。
こうしたことを考えた時に、やはり父親は母親からからわが子を渡された時の“はじめてのだっこ”は決して断っていいような類のものではないと思います。それは父親だけに求められるものではなくて、“子育ての社会化”が巷で大きく求められている今、親以外の祖父母や知人であったとしても、やはり等しく求められるものなのです。
と、こんなことを書きながらも私自身、昨年の10月に後輩の子どもの出産祝いに顔を出した時に、後輩から『だっこしてみます?』と問われ、『いや、いいや』と断っていたのです。まったくもって父が父なら子も子です。本当にお恥ずかしい限りです。
でもまだ9歳の甥っ子は、そんな父や私のように“はじめてのだっこ”を断らず、自らの意志で受け入れていました。赤ちゃんをだっこするにはまだ小さすぎるのではないかとも思える手で、必死にだっこをするそんな甥っ子の姿を見なければ、私自身、自ら犯していた過ちに気付くこともなかったことでしょう。
いつの時代においても、子どもはともすれば大人以上にいろいろなことを教えてくれる。そんなかけがえのない存在なのだと改めて気付かされました。
子どもたちから教えてもらったこと(2)-他者への理解と想像(後編)-
☆“他人事”ではなく“自分事”、その言葉に潜む違和感
前回の続きとなりますが、私たちはいったいどようにすれば、他者に“レッテル貼り”をせず、他者への理解と想像を巡らし続けるちから=“ネガティブ・ケイパビリティ”を培うことができるのでしょうか。
私は、このことを実現する第一歩として、『“他人事”ではなく“自分事”』として考えることの重要性を訴えたいと思います。
『“他人事”ではなく“自分事”』、この記事を読んでいただいている皆さんの中にはきっと『えっ!?』って思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。
『“他人事”ではなく“自分事”』、この言葉は巷でもよく使われていますよね。よく社会運動に携わる方々が、比較的当該分野の問題に関心が薄い方に対して、問題意識を持って欲しい時などによく使われたりするのではないでしょうか。学校でも社会や道徳などの授業で先生が生徒さんたちに対して口にしていることもあるかもしれません。
当たり前すぎる言葉でもありますし、皆さんの中には「大事なことだとは思うけれどそうはいっても・・」と考える方が多いのではないかと思います。
実は私自身もつい最近まで、この言葉に対して少なからず“違和感”なるものを抱えていました。
☆“他人事”ではなく“自分事”と捉えることの難しさの根底に存在するもの
それはきっと、“他人事”ではなく“自分事”という意義に対する違和感ではなく、むしろその“使われ方”に対する違和感だったのであろうと今では私は考えています。
そもそも今回の虐待死事件だけに限らず、世の中の様々な出来事を“自分事”として捉えるというのはなかなか難しいものです。そしてその難しさの根底には、現代社会における特有の自己責任論に伴う“個人化”(もしくは孤立化)という問題が横たわっているのではないでしょうか。
日本においては、特にこの20年の間に様々な分野で進行した新自由主義的改革によって、国民生活を不十分ながらも支えていた公的社会保障や企業福利が大幅に縮小されています。それによって医療・介護・教育・福祉などの国民生活に関わるサービスは、国民自らがその負担を請け負わざるを得ない体系が作られてきました。
社会・文化的にもこれに伴う形で“自己責任論”が跋扈したこともあり、物理的にも精神的にも国民にとって“社会”なるものが喪失してしまい、あらゆる問題はすべて個人の責任に帰される状況となってしまっています。
社会なるものが喪失しあらゆる責任が個人に帰される中で、法政大学の平塚眞樹氏は、「自分一人をまかなうことで『イッパイイッパイ』な時に、周囲のそれほど近しくない他者や社会問題に興味以上の関心を向けることは容易ではない。」(憲法改悪と若者『問題』/「教育」2005年1月)と指摘をしています、
このような自己責任論の代償として現代日本においては“個人化”(孤立化)が進行し、この問題こそが「“他人事”を“自分事”」と捉えることの難しさの根底に横たわっているのではないかと思います。
こうした中で、もし“他人事”ではなく“自分事”と言われたとしても、言われた人は「それよりも自分が危機なんだ」と率直に思うだろうし、そもそも「イッパイイッパイ」なのは、言葉を言われる側だけではなく、言う側についても同じことです。だからこそ“他人事”ではなく“自分事”という言葉は時に、言う側の善意や良心に端を発したものではありながらも、言う当人に余裕がないがために、結果的に“強制”や“圧力”が含まれる形で聞き手に伝わってしまうケースが少なからず存在するのではないかと思います。
こうした言葉に含まれた“強制”や“圧力”こそが、“自分事”ではなく“他人事”と言われた時に私が感じた違和感だったのではないかと思うのです。
☆“他人事”と“自分事”のあいだに広がる地平
このように、現代において“他人事”ではなく“自分事”と捉えることは難しいことではありながらも、私が敢えてこのことの大切さを訴えたい理由は主に2つあります。
1つ目は、私たちが“他人事”だと考えている問題も、その問題の本質を探ってみると実は私たち一人ひとりが抱えている問題と全く無縁ではなく、通底しているものがあるのではないかということです。
この点については、ここでも栗原心愛ちゃんの虐待死事件を例に触れてみていきたいと思います。
前回の記事でも紹介させて頂いた厚木市立病院の岩室紳也医師はこの事件に触れて下記の通り述べています。
「結果のみを見て話すのではなく、問題の根底を考える必要がある。依存を促進する背景には、自己肯定感や居場所のなさ、周りとの関係性の希薄さにある。『自分とは関係ない』と隣の人を見ないのではなく、何かあった時に『隣の岩室さんに聞いてきて』なんて言える環境があるといい。」と岩室氏は語っています。
上記の通り岩室氏は、今回の虐待死事件が起こってしまった背景には、母親の“自己肯定感の欠如”と“周囲との孤立”が存在していたことを指摘しています。この“自己肯定感の欠如”、そして“周囲との孤立”というものは、私たちにとって無縁のものだといえるのでしょうか。
“周囲との孤立”という点については、上記において既に“自己責任論”の代償として、現代日本において私たちが共通して抱える問題であることを指摘させていただいています。
岩室氏が指摘したもう一つの“自己肯定感の欠如”といった点ではどうでしょうか。岩室氏が述べている“自己肯定感”とは=“自己への信頼”とも言い換えることができると思います。この“自己への信頼”という視点で先述の平塚眞樹氏は以下の通り指摘をしています。
「関係やつながりがあらゆる場面で断ち切られ、あるいはあっても見えづらくさせられ、人は他者の責任をシェアしない代わりに、自己の責任を一人で負うことを強いられる。そのような社会のもとで、人はどのようにして『信頼』をわがものとしていけるだろうか。」
(高校生活指導2006年春号平塚眞樹 “不安定で危うい”人生軌道の新たな出現にどう対峙するか)
といったように、自己への信頼(=自己肯定感)の形成といった点においてもやはり、現代日本の“自己責任論”が重い影を落としてしまっているのです。
このように考えると、心愛ちゃんの母親やその母親をバッシングしていた方々、そして“他人事”を“自分事”と捉えられない私たち。みな一様にそれぞれが抱えている問題に対して“自己責任論”という現代日本を蝕む思想が通底しているわけです。
だからこそ今回の虐待死事件についても、一見“他人事”のようにみえますが、実は現代日本における“自己責任論”の犠牲者という点では“自分事”でもあるという、共通の地平が事件と私たちの間には広がっているのではないでしょうか。
☆“共通の地平”への気づきこそが、自身の状況を改変していく力に
2つ目は、1つ目のところで述べたように“他人事”と“自分事”の間に共通の地平が広がっているからこそ、“他人事”を通して自分自身の抱える問題について気づき、自身の取り巻く状況を改変していく土台になり得るということです。
“他人事”の中に共通の地平を見出すことにより、ずっと彼岸の存在だと思っていた他者に対してはじめて“共感”できる素地がうまれます。
今回の虐待死事件において、心愛ちゃんの母親の置かれている状況を“自分事”と考えることで、わずかにでも心の中に“共感”の気持ちが生まれたとします。その時に、今回の事件でも一部の心無い人が行ったような“バッシング”という行為ではなく、そのわずかにでも共感がうまれたのであれば、それをSNS上でコメントという形で表現しても良いですし、周囲の知人や友人などに話してみたりして欲しいと思います。
そうすることで、もしあなたのSNS上でのコメントに“いいね”が1つでもついたり、知人や他者から“そうだね”と言ってもらえたのであれば、その他者からの受容された経験はきっと、あなた自身が“自己責任論”に縛られ抱えていたであろう“自己肯定感のなさ”や“孤立感”を解消する大きな力となってくれるに違いありません。
このように“他人事”を“自分事”と捉えることは、“自分事”を“他人事”を通じてその問題に気づき、自らの状況を改変していく大きなきっかけとなり得るのです。
☆自身も「“弱者”であるかもしれない」という事実を受け入れることの困難さ
しかし、このような変化はとても難しいことです。とりわけ心愛ちゃんの母親にバッシングをしていた方々の場合には、バッシングを加えることで彼女を“弱者”とし、それと対比する形で相対的に自身を“強者”と認識することで、自らの自己肯定感のなさを覆い隠していたのかもしれません。
もしそうだとすると、今回の虐待死事件を“自分事”と捉えることによって心愛ちゃんの母親に対して“共感”し、自身が彼女と同じ地平に立っているというふうに認識することは、自分自身も彼女と同じように、本当は“弱者”であるのかもしれないと認めることになってしまうからです。
だからこそ“他人事”を“自分事”と捉えることで、わずかに生まれた“共感”から踏み出した一歩というものを、私たちは全力で支えていくことが求められるのです。
もし誰かが今回の虐待死事件を“他人事”を“自分事”で捉えることによって生まれた共感をSNS上でコメントをし、“いいね”がついたり、知人や友人に話をして“そうだね”と言ってもらえたとしても、『自分自身も(心愛ちゃんの母親のように)“弱者”かもしれない』という事実はすぐには受け入れられないかもしれません。
しかし、もしあなたがたとえ“弱者”であったとしても、そこに存在するのは少なくとももう『他者にバッシングを加えることで相対的に“強者”であろうとするような“弱者”』では決してありません。
そこに存在するあなたは、「“弱者”である」という事実は変わりはないかもしれないけれど、他者に自身を受容された経験を通じたあなたは、その自らの“弱さ”を他者への攻撃性としてではなく、それとは逆に「他者に共感し手を差し伸べるための“弱さ”を持った主体」というあなたとして存在しているのではないでしょうか。
☆“ネガティブ・ケイパビリティ”を培うために必要な“弱さ”の受容と関係性
以上、とても長くまわりくどい話になってしまいましたが、私は安易に人をバッシングすることのないような“ネガティブ・ケイパビリティ”を培うために一番必要なのは、“自分事”ではなく“他人事”と捉えることを契機に、こうした自身や他者の抱える“弱さ”に共感し、受容できる主体としての成長なのだと考えます。
同時に忘れてならないのは、“弱さ”を受容することができる主体の形成には、それを受け入れてくれる他者の存在というものが必要不可欠だということです。“他人事”ではなく“自分事”と捉える立場についても“ネガティブ・ケイパビリティ”の形成についても、それが本当に可能にするのは“自己責任論”社会で推奨されるような“個に還元された力”ではなく、"他者との共同の営み”という視点においての関係性の存在なのではないでしょうか。
思えば、一番最初にお話しした甥っ子が、9歳年下の姪っ子をあれだけ根気強く面倒を見ることを可能にしているのは、もちろん甥っ子自身が“お兄ちゃん”として立派に自覚を持っていることに由来するのは間違いありません。
しかし根源的なところでは、まだ生後3カ月であるがために他者の支えがないと生きることができないという人間の本質を成す“弱さ”を抱えた姪っ子が、泣いたり笑ったりという限られた手段で懸命に行っている他者への呼びかけに対して、甥っ子が共感し呼応するという関係性が既にそこに存在しているのです。
『エミール』の著者であるジャン・ジャック・ルソーは、人間を社会的にするのは“人間の弱さ”だといいます。甥っ子が、姪っ子の人間の本質を成す“弱さ”に共感し、呼応することができたのは、甥っ子自身がまた親をはじめとする周囲に人間から受容され、愛されてきたという“関係性”の経験こそがそれを可能にせしめたのだと思います。
☆”弱さ”が受容される、”オルタナティブ”な社会の創造を
最後に、やはり人が他者に対して理解と想像を巡らし続けるためにはこれまで見てきたように、他者との関係性を土台とした”受容”と”共感”が最終的には必要です。”自己責任論”が蔓延する現代社会においてこうした関係性の形成自体がとても困難をともなう作業となりますが、しかし決して不可能なことではありません。
先に話したSNSでの”いいね”だけでもそれが無数に集まれば、当事者にとってどれだけ大きな力となるでしょう。今わたしたちに求められているのは、そういう自己責任論が蔓延する社会とは全く別個の”オルタナティブ”ともいえる社会の創造ではないかと思うのです。
甥っ子が姪っ子に対して当たり前のように根気強く面倒をみていたような行為を、この社会の隅々に至るまで当たり前のように実践できるような社会を作っていくことこそ、先を生きる私たち大人の務めなんだろうな・・と改めてこどもたちに教えられたような気がします。
前回の続きとなりますが、私たちはいったいどようにすれば、他者に“レッテル貼り”をせず、他者への理解と想像を巡らし続けるちから=“ネガティブ・ケイパビリティ”を培うことができるのでしょうか。
私は、このことを実現する第一歩として、『“他人事”ではなく“自分事”』として考えることの重要性を訴えたいと思います。
『“他人事”ではなく“自分事”』、この記事を読んでいただいている皆さんの中にはきっと『えっ!?』って思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。
『“他人事”ではなく“自分事”』、この言葉は巷でもよく使われていますよね。よく社会運動に携わる方々が、比較的当該分野の問題に関心が薄い方に対して、問題意識を持って欲しい時などによく使われたりするのではないでしょうか。学校でも社会や道徳などの授業で先生が生徒さんたちに対して口にしていることもあるかもしれません。
当たり前すぎる言葉でもありますし、皆さんの中には「大事なことだとは思うけれどそうはいっても・・」と考える方が多いのではないかと思います。
実は私自身もつい最近まで、この言葉に対して少なからず“違和感”なるものを抱えていました。
☆“他人事”ではなく“自分事”と捉えることの難しさの根底に存在するもの
それはきっと、“他人事”ではなく“自分事”という意義に対する違和感ではなく、むしろその“使われ方”に対する違和感だったのであろうと今では私は考えています。
そもそも今回の虐待死事件だけに限らず、世の中の様々な出来事を“自分事”として捉えるというのはなかなか難しいものです。そしてその難しさの根底には、現代社会における特有の自己責任論に伴う“個人化”(もしくは孤立化)という問題が横たわっているのではないでしょうか。
日本においては、特にこの20年の間に様々な分野で進行した新自由主義的改革によって、国民生活を不十分ながらも支えていた公的社会保障や企業福利が大幅に縮小されています。それによって医療・介護・教育・福祉などの国民生活に関わるサービスは、国民自らがその負担を請け負わざるを得ない体系が作られてきました。
社会・文化的にもこれに伴う形で“自己責任論”が跋扈したこともあり、物理的にも精神的にも国民にとって“社会”なるものが喪失してしまい、あらゆる問題はすべて個人の責任に帰される状況となってしまっています。
社会なるものが喪失しあらゆる責任が個人に帰される中で、法政大学の平塚眞樹氏は、「自分一人をまかなうことで『イッパイイッパイ』な時に、周囲のそれほど近しくない他者や社会問題に興味以上の関心を向けることは容易ではない。」(憲法改悪と若者『問題』/「教育」2005年1月)と指摘をしています、
このような自己責任論の代償として現代日本においては“個人化”(孤立化)が進行し、この問題こそが「“他人事”を“自分事”」と捉えることの難しさの根底に横たわっているのではないかと思います。
こうした中で、もし“他人事”ではなく“自分事”と言われたとしても、言われた人は「それよりも自分が危機なんだ」と率直に思うだろうし、そもそも「イッパイイッパイ」なのは、言葉を言われる側だけではなく、言う側についても同じことです。だからこそ“他人事”ではなく“自分事”という言葉は時に、言う側の善意や良心に端を発したものではありながらも、言う当人に余裕がないがために、結果的に“強制”や“圧力”が含まれる形で聞き手に伝わってしまうケースが少なからず存在するのではないかと思います。
こうした言葉に含まれた“強制”や“圧力”こそが、“自分事”ではなく“他人事”と言われた時に私が感じた違和感だったのではないかと思うのです。
☆“他人事”と“自分事”のあいだに広がる地平
このように、現代において“他人事”ではなく“自分事”と捉えることは難しいことではありながらも、私が敢えてこのことの大切さを訴えたい理由は主に2つあります。
1つ目は、私たちが“他人事”だと考えている問題も、その問題の本質を探ってみると実は私たち一人ひとりが抱えている問題と全く無縁ではなく、通底しているものがあるのではないかということです。
この点については、ここでも栗原心愛ちゃんの虐待死事件を例に触れてみていきたいと思います。
前回の記事でも紹介させて頂いた厚木市立病院の岩室紳也医師はこの事件に触れて下記の通り述べています。
「結果のみを見て話すのではなく、問題の根底を考える必要がある。依存を促進する背景には、自己肯定感や居場所のなさ、周りとの関係性の希薄さにある。『自分とは関係ない』と隣の人を見ないのではなく、何かあった時に『隣の岩室さんに聞いてきて』なんて言える環境があるといい。」と岩室氏は語っています。
上記の通り岩室氏は、今回の虐待死事件が起こってしまった背景には、母親の“自己肯定感の欠如”と“周囲との孤立”が存在していたことを指摘しています。この“自己肯定感の欠如”、そして“周囲との孤立”というものは、私たちにとって無縁のものだといえるのでしょうか。
“周囲との孤立”という点については、上記において既に“自己責任論”の代償として、現代日本において私たちが共通して抱える問題であることを指摘させていただいています。
岩室氏が指摘したもう一つの“自己肯定感の欠如”といった点ではどうでしょうか。岩室氏が述べている“自己肯定感”とは=“自己への信頼”とも言い換えることができると思います。この“自己への信頼”という視点で先述の平塚眞樹氏は以下の通り指摘をしています。
「関係やつながりがあらゆる場面で断ち切られ、あるいはあっても見えづらくさせられ、人は他者の責任をシェアしない代わりに、自己の責任を一人で負うことを強いられる。そのような社会のもとで、人はどのようにして『信頼』をわがものとしていけるだろうか。」
(高校生活指導2006年春号平塚眞樹 “不安定で危うい”人生軌道の新たな出現にどう対峙するか)
といったように、自己への信頼(=自己肯定感)の形成といった点においてもやはり、現代日本の“自己責任論”が重い影を落としてしまっているのです。
このように考えると、心愛ちゃんの母親やその母親をバッシングしていた方々、そして“他人事”を“自分事”と捉えられない私たち。みな一様にそれぞれが抱えている問題に対して“自己責任論”という現代日本を蝕む思想が通底しているわけです。
だからこそ今回の虐待死事件についても、一見“他人事”のようにみえますが、実は現代日本における“自己責任論”の犠牲者という点では“自分事”でもあるという、共通の地平が事件と私たちの間には広がっているのではないでしょうか。
☆“共通の地平”への気づきこそが、自身の状況を改変していく力に
2つ目は、1つ目のところで述べたように“他人事”と“自分事”の間に共通の地平が広がっているからこそ、“他人事”を通して自分自身の抱える問題について気づき、自身の取り巻く状況を改変していく土台になり得るということです。
“他人事”の中に共通の地平を見出すことにより、ずっと彼岸の存在だと思っていた他者に対してはじめて“共感”できる素地がうまれます。
今回の虐待死事件において、心愛ちゃんの母親の置かれている状況を“自分事”と考えることで、わずかにでも心の中に“共感”の気持ちが生まれたとします。その時に、今回の事件でも一部の心無い人が行ったような“バッシング”という行為ではなく、そのわずかにでも共感がうまれたのであれば、それをSNS上でコメントという形で表現しても良いですし、周囲の知人や友人などに話してみたりして欲しいと思います。
そうすることで、もしあなたのSNS上でのコメントに“いいね”が1つでもついたり、知人や他者から“そうだね”と言ってもらえたのであれば、その他者からの受容された経験はきっと、あなた自身が“自己責任論”に縛られ抱えていたであろう“自己肯定感のなさ”や“孤立感”を解消する大きな力となってくれるに違いありません。
このように“他人事”を“自分事”と捉えることは、“自分事”を“他人事”を通じてその問題に気づき、自らの状況を改変していく大きなきっかけとなり得るのです。
☆自身も「“弱者”であるかもしれない」という事実を受け入れることの困難さ
しかし、このような変化はとても難しいことです。とりわけ心愛ちゃんの母親にバッシングをしていた方々の場合には、バッシングを加えることで彼女を“弱者”とし、それと対比する形で相対的に自身を“強者”と認識することで、自らの自己肯定感のなさを覆い隠していたのかもしれません。
もしそうだとすると、今回の虐待死事件を“自分事”と捉えることによって心愛ちゃんの母親に対して“共感”し、自身が彼女と同じ地平に立っているというふうに認識することは、自分自身も彼女と同じように、本当は“弱者”であるのかもしれないと認めることになってしまうからです。
だからこそ“他人事”を“自分事”と捉えることで、わずかに生まれた“共感”から踏み出した一歩というものを、私たちは全力で支えていくことが求められるのです。
もし誰かが今回の虐待死事件を“他人事”を“自分事”で捉えることによって生まれた共感をSNS上でコメントをし、“いいね”がついたり、知人や友人に話をして“そうだね”と言ってもらえたとしても、『自分自身も(心愛ちゃんの母親のように)“弱者”かもしれない』という事実はすぐには受け入れられないかもしれません。
しかし、もしあなたがたとえ“弱者”であったとしても、そこに存在するのは少なくとももう『他者にバッシングを加えることで相対的に“強者”であろうとするような“弱者”』では決してありません。
そこに存在するあなたは、「“弱者”である」という事実は変わりはないかもしれないけれど、他者に自身を受容された経験を通じたあなたは、その自らの“弱さ”を他者への攻撃性としてではなく、それとは逆に「他者に共感し手を差し伸べるための“弱さ”を持った主体」というあなたとして存在しているのではないでしょうか。
☆“ネガティブ・ケイパビリティ”を培うために必要な“弱さ”の受容と関係性
以上、とても長くまわりくどい話になってしまいましたが、私は安易に人をバッシングすることのないような“ネガティブ・ケイパビリティ”を培うために一番必要なのは、“自分事”ではなく“他人事”と捉えることを契機に、こうした自身や他者の抱える“弱さ”に共感し、受容できる主体としての成長なのだと考えます。
同時に忘れてならないのは、“弱さ”を受容することができる主体の形成には、それを受け入れてくれる他者の存在というものが必要不可欠だということです。“他人事”ではなく“自分事”と捉える立場についても“ネガティブ・ケイパビリティ”の形成についても、それが本当に可能にするのは“自己責任論”社会で推奨されるような“個に還元された力”ではなく、"他者との共同の営み”という視点においての関係性の存在なのではないでしょうか。
思えば、一番最初にお話しした甥っ子が、9歳年下の姪っ子をあれだけ根気強く面倒を見ることを可能にしているのは、もちろん甥っ子自身が“お兄ちゃん”として立派に自覚を持っていることに由来するのは間違いありません。
しかし根源的なところでは、まだ生後3カ月であるがために他者の支えがないと生きることができないという人間の本質を成す“弱さ”を抱えた姪っ子が、泣いたり笑ったりという限られた手段で懸命に行っている他者への呼びかけに対して、甥っ子が共感し呼応するという関係性が既にそこに存在しているのです。
『エミール』の著者であるジャン・ジャック・ルソーは、人間を社会的にするのは“人間の弱さ”だといいます。甥っ子が、姪っ子の人間の本質を成す“弱さ”に共感し、呼応することができたのは、甥っ子自身がまた親をはじめとする周囲に人間から受容され、愛されてきたという“関係性”の経験こそがそれを可能にせしめたのだと思います。
☆”弱さ”が受容される、”オルタナティブ”な社会の創造を
最後に、やはり人が他者に対して理解と想像を巡らし続けるためにはこれまで見てきたように、他者との関係性を土台とした”受容”と”共感”が最終的には必要です。”自己責任論”が蔓延する現代社会においてこうした関係性の形成自体がとても困難をともなう作業となりますが、しかし決して不可能なことではありません。
先に話したSNSでの”いいね”だけでもそれが無数に集まれば、当事者にとってどれだけ大きな力となるでしょう。今わたしたちに求められているのは、そういう自己責任論が蔓延する社会とは全く別個の”オルタナティブ”ともいえる社会の創造ではないかと思うのです。
甥っ子が姪っ子に対して当たり前のように根気強く面倒をみていたような行為を、この社会の隅々に至るまで当たり前のように実践できるような社会を作っていくことこそ、先を生きる私たち大人の務めなんだろうな・・と改めてこどもたちに教えられたような気がします。
子どもたちから教えてもらったこと(1)-他者への理解と想像(前編)-
☆母の一周忌の機に
先月27日に母の一周忌の法要を行いました。実家の市内の病院で母が息を引き取ったのが一昨年の11月の末。本当にあっという間の一年でした。
一周忌の法要が年をまたいでしまったのは、母の命日が私の妹の2人目の子どもの出産予定日とほぼ重なっていたためです。結局、その子(姪っ子)も無事に生まれたわけですが、母の存命中にはまだこの世には存在していなかった子です。これから母の分まで元気に育って欲しいなと心から願っています。
そんなわけで母の一周忌の前日には、その時すでに3か月になっていた姪っ子を含む妹一家も集まり、我が家は久しぶりの大賑わいとなりました。
姪っ子のMちゃんとは、出産直後に一度顔を会わせていましたが、Mちゃんが我が家に来るのは初めてのこと。いつもは見慣れない景色に少し緊張気味だったかもしれません。
☆もうしっかり“お兄ちゃん”だね
その日の夕食は、お寿司とオードブルをみんなで食べました。その後、みんなが気ままに過ごしており、妹がちょうど部屋にいない時のこと。Mちゃんが突然泣きだしてしまいました。その時部屋にはまだ9歳のMちゃんのお兄ちゃん(※私の甥っ子にあたります)と、私の父、そして私の3人だけ。甥っ子はゲーム中で、父もそれを見るのに夢中になっていたので、仕方なく私がMちゃんをだっこしてあやしますがなかなか泣きやみません。あの手この手でMちゃんにいろいろ働きかけますが、全くもって泣きやむ様子はなく私自身困り果ててしまいました。
しばらくしてゲーム中だった甥っ子が、そんな私の様子に業を煮やしたのかゲームを中断し、『Mちゃんかして』と私に声をかけてきました。私は甥っ子の言う通りMちゃんを渡し、甥っ子が慣れた手つきでMちゃんをあやしはじめると、なんとものの数秒でMちゃんが泣きやんでしまったのです。私が思わず『すごいっ!』と称賛すると、甥っ子も『まあね』と得意気な様子でした。
甥っ子はMちゃんより9歳年上です。逆に言えばまだ9歳です。でも、もうしっかり立派な“お兄ちゃん”なんだ・・としみじみ感じさせられる出来事でした。
☆赤ちゃんとのコミュニケーションに必要な“理解と想像”
そんな風に、まだお兄ちゃんになって3か月の甥っ子が立派に姪っ子の面倒をみている姿に心底感心したわけですが、同時に私自身がMちゃんをあやそうと試みても全くどうにもならなかったわけで、生まれたばかりの子どもの面倒をみるということはいかに大変なのかということも思い知らされました。
改めて、甥っ子と親である妹夫婦も大変な苦労をして子育てに携わっているんだろうな・・と痛感させられました。
ところで当たり前のことですが、赤ちゃんは大人のように言葉を話すことはできません。Mちゃんについてもそうですが、実際に表現するのは、快・不快の感情を笑い声や泣き声などで示すことなどに限られますし、だからこそ赤ちゃんに向き合う大人は不断に注意することを迫られ、その時々の赤ちゃんの行動に対する応答、そして理解や想像することが求められるのです。
もし赤ちゃんが泣いていれば、『お腹がへったのかな?』『うんちしちゃったかな?』『寒いのかな?』と想像をめぐらし、笑っていれば『この体制が楽なのかな?』『このおもちゃが好きなのかな?』と考えます。大人であれば、一言伝えればすむであろうこの過程を、赤ちゃんの場合は常に“あれかこれか”と理解と想像をめぐらす作業が求められるわけで、それは多くの苦労や困難が伴うことでしょう。
そんな大変なことをまだ9歳の甥っ子は、両親の力を借りながらもこの3か月ずっとMちゃんに対して根気強く繰り返してきたのだと思います。改めて甥っ子のこれまでの努力と苦労に感心させられます。
☆衰退する“他者への理解と想像”する力-栗原心愛ちゃんの虐待死事件にふれて-
一方巷では、甥っ子のように他者に対して理解や想像を巡らすということをあまりしようとしない大人が少なからず存在します。何か問題があると、当事者に対する表面的な部分だけを見て“レッテル貼り”をし、そのイメージそのままに誹謗中傷やバッシングを繰り返す。そんな光景を見ると、『9歳の子どもですら出来ていることなのに、なぜ大のおとなができないのか・・』と思ってしまいます。
直近の出来事で例を挙げるとすれば、千葉県野田市立小学校4年生の栗原心愛ちゃん(10歳)の虐待死事件についてでしょうか。この事件において千葉県警は、心愛ちゃんに暴力をふるった疑いのある父親以外にも父親の心愛ちゃんへの暴力を黙認し、また同調した疑いで共犯として母親も傷害容疑で逮捕しています。
この事件において、実は母親自身が父親にDV(ドメスティックバイオレンス)を受けていた疑いがあることが事前に判明しており、『なぜ母親が逮捕?』という論調で報道するメディアも多数存在していました。
一方そんな中で、逆に母親に対して厳しい視線を投げかける人々も存在しました。
ハフポスト日本版News:2月6日付では、「虐待事件に尾木ママ『保身のために共犯』DV被害の母親への非難は真っ当?背景を医師に聞いた-生死の間際に立たされたとき、愛情や人との関わりを考えられるものなのか-」の記事において、母親の逮捕を機に、SNSなどで、「(父親を)殴り返しても子どもを守るべきだった」「母親おかしい」「母親なら死んでも守るべき」などと言った非難のコメントがあふれかえったことが紹介されています。
どうして父親にDVを受けていた母親に対してこのような誹謗中傷がされるのか、正直私には理解ができません。こうした当事者の実態を鑑みない理不尽な誹謗中傷は、今回の事件においてだけではなく、近年日本の至るところで目に付く状態です。こうした状況をみていると、日本社会において「他者への理解と想像する力が衰退しているのでは・・」という危機感を私自身強く感じてしまいます。
☆DV支配下にあった母親が冷静な判断を下せる状況だったのか?
そもそも今回の事件において、父親のDV下にあった母親が、そのような状況下で冷静に子どもを守るための適切な判断をすることがそもそも可能だったのでしょうか。
上記のハフポストの記事において、厚木市立病院の岩室紳也医師は「“子どもへの愛情があるから守れる”とか、“虐待を黙認するとは最低”だという叱責や指摘は、こうした状況に置かれた人には見当違いと言っていい」とはっきりと指摘しています。
母親は父親からの持続的なDV下にありました。そんな状況でもし母親が、周囲に助けを求めたり、子どもを連れて逃げたりしたら後で何をされるかわからない、そういう恐怖感は母親の中では私たちが想像する以上に大きなものだったと思います。
岩室氏は「(DV被害者が)孤立して、その中でしか生きていけないと考えてしまうようになれば、逃げることは難しく、本能で身を守るために動いてしまう。」と述べているように、父親の暴力を含む脅迫にさらされているがために、他者に助けを求めることも子どもを連れて逃げることもできなかった母親は、孤立と原状受任が強制され、本能的に自身の身を守るしかなく、子どもを守るという判断が冷静にできる状態ではなかったということは明白なのではないでしょうか。
☆求められる“レッテル貼り”しない力=“ネガティブ・ケイパビリティ”
しかし今回の心愛ちゃん虐待死事件もそうですが、他者への理解と想像を巡らすわけではなく、表面的な部分だけみてレッテルを貼り、誹謗中傷を繰り返すような人々がなぜこのように少なからず存在するのでしょうか。近年のこうしたバッシング、特にSNS上での発言の辛辣さには本当に目に余るものがあります。
確かに、甥っ子がMちゃんにしていたように、言葉を話せない赤ちゃんではないにしろ、一般的に他者に対して理解と想像を巡らすというのはそれほど簡単なことではないことも事実です。
ライフカウンセラーの袰岩奈々氏は「“先生のものさし”だけでははかれない子どもの心」(児童心理2018年9月号)」において、「“レッテル貼りをしない”ということはかなりエネルギーを使うことでもある。ある人に対して、カテゴリー分けをせず、判断を一時棚上げにしておくということは、新しい情報をキャッチしては、その人に対するイメージを常に更新し続けることでもあるからだ。」と述べています。
このように他者に対して“レッテル貼り”をしないということは、私たち自身が不断に当事者に対するイメージを常に更新し続ける、かなり“エネルギーを使う”作業であり、そこには努力や苦労が伴うことでしょう。
しかしそうはいっても、心愛ちゃんの母親のように“レッテル貼り”によって傷つく人がいる以上、私たちは当事者に対して最低限の理解と想像を巡らす努力が求められるのではないでしょうか。
袰岩氏は、このように当事者に対して容易に答えを出さないことに耐える力を“ネガティブ・ケイパビリティ”と呼び、その必要性を説いています。
心愛ちゃんの事件における母親へのバッシングのように、なぜ私たちは他者を“レッテル貼り”し、理解と想像を巡らすことをしないのか、そしていったいどのようにしたら袰岩氏の述べる、他者を“レッテル貼り”をせず、常に他者に対しての理解と想像を巡らし続けるちから=“ネガティブ・ケイパビリティ”を培うことができるのでしょうか。
先月27日に母の一周忌の法要を行いました。実家の市内の病院で母が息を引き取ったのが一昨年の11月の末。本当にあっという間の一年でした。
一周忌の法要が年をまたいでしまったのは、母の命日が私の妹の2人目の子どもの出産予定日とほぼ重なっていたためです。結局、その子(姪っ子)も無事に生まれたわけですが、母の存命中にはまだこの世には存在していなかった子です。これから母の分まで元気に育って欲しいなと心から願っています。
そんなわけで母の一周忌の前日には、その時すでに3か月になっていた姪っ子を含む妹一家も集まり、我が家は久しぶりの大賑わいとなりました。
姪っ子のMちゃんとは、出産直後に一度顔を会わせていましたが、Mちゃんが我が家に来るのは初めてのこと。いつもは見慣れない景色に少し緊張気味だったかもしれません。
☆もうしっかり“お兄ちゃん”だね
その日の夕食は、お寿司とオードブルをみんなで食べました。その後、みんなが気ままに過ごしており、妹がちょうど部屋にいない時のこと。Mちゃんが突然泣きだしてしまいました。その時部屋にはまだ9歳のMちゃんのお兄ちゃん(※私の甥っ子にあたります)と、私の父、そして私の3人だけ。甥っ子はゲーム中で、父もそれを見るのに夢中になっていたので、仕方なく私がMちゃんをだっこしてあやしますがなかなか泣きやみません。あの手この手でMちゃんにいろいろ働きかけますが、全くもって泣きやむ様子はなく私自身困り果ててしまいました。
しばらくしてゲーム中だった甥っ子が、そんな私の様子に業を煮やしたのかゲームを中断し、『Mちゃんかして』と私に声をかけてきました。私は甥っ子の言う通りMちゃんを渡し、甥っ子が慣れた手つきでMちゃんをあやしはじめると、なんとものの数秒でMちゃんが泣きやんでしまったのです。私が思わず『すごいっ!』と称賛すると、甥っ子も『まあね』と得意気な様子でした。
甥っ子はMちゃんより9歳年上です。逆に言えばまだ9歳です。でも、もうしっかり立派な“お兄ちゃん”なんだ・・としみじみ感じさせられる出来事でした。
☆赤ちゃんとのコミュニケーションに必要な“理解と想像”
そんな風に、まだお兄ちゃんになって3か月の甥っ子が立派に姪っ子の面倒をみている姿に心底感心したわけですが、同時に私自身がMちゃんをあやそうと試みても全くどうにもならなかったわけで、生まれたばかりの子どもの面倒をみるということはいかに大変なのかということも思い知らされました。
改めて、甥っ子と親である妹夫婦も大変な苦労をして子育てに携わっているんだろうな・・と痛感させられました。
ところで当たり前のことですが、赤ちゃんは大人のように言葉を話すことはできません。Mちゃんについてもそうですが、実際に表現するのは、快・不快の感情を笑い声や泣き声などで示すことなどに限られますし、だからこそ赤ちゃんに向き合う大人は不断に注意することを迫られ、その時々の赤ちゃんの行動に対する応答、そして理解や想像することが求められるのです。
もし赤ちゃんが泣いていれば、『お腹がへったのかな?』『うんちしちゃったかな?』『寒いのかな?』と想像をめぐらし、笑っていれば『この体制が楽なのかな?』『このおもちゃが好きなのかな?』と考えます。大人であれば、一言伝えればすむであろうこの過程を、赤ちゃんの場合は常に“あれかこれか”と理解と想像をめぐらす作業が求められるわけで、それは多くの苦労や困難が伴うことでしょう。
そんな大変なことをまだ9歳の甥っ子は、両親の力を借りながらもこの3か月ずっとMちゃんに対して根気強く繰り返してきたのだと思います。改めて甥っ子のこれまでの努力と苦労に感心させられます。
☆衰退する“他者への理解と想像”する力-栗原心愛ちゃんの虐待死事件にふれて-
一方巷では、甥っ子のように他者に対して理解や想像を巡らすということをあまりしようとしない大人が少なからず存在します。何か問題があると、当事者に対する表面的な部分だけを見て“レッテル貼り”をし、そのイメージそのままに誹謗中傷やバッシングを繰り返す。そんな光景を見ると、『9歳の子どもですら出来ていることなのに、なぜ大のおとなができないのか・・』と思ってしまいます。
直近の出来事で例を挙げるとすれば、千葉県野田市立小学校4年生の栗原心愛ちゃん(10歳)の虐待死事件についてでしょうか。この事件において千葉県警は、心愛ちゃんに暴力をふるった疑いのある父親以外にも父親の心愛ちゃんへの暴力を黙認し、また同調した疑いで共犯として母親も傷害容疑で逮捕しています。
この事件において、実は母親自身が父親にDV(ドメスティックバイオレンス)を受けていた疑いがあることが事前に判明しており、『なぜ母親が逮捕?』という論調で報道するメディアも多数存在していました。
一方そんな中で、逆に母親に対して厳しい視線を投げかける人々も存在しました。
ハフポスト日本版News:2月6日付では、「虐待事件に尾木ママ『保身のために共犯』DV被害の母親への非難は真っ当?背景を医師に聞いた-生死の間際に立たされたとき、愛情や人との関わりを考えられるものなのか-」の記事において、母親の逮捕を機に、SNSなどで、「(父親を)殴り返しても子どもを守るべきだった」「母親おかしい」「母親なら死んでも守るべき」などと言った非難のコメントがあふれかえったことが紹介されています。
どうして父親にDVを受けていた母親に対してこのような誹謗中傷がされるのか、正直私には理解ができません。こうした当事者の実態を鑑みない理不尽な誹謗中傷は、今回の事件においてだけではなく、近年日本の至るところで目に付く状態です。こうした状況をみていると、日本社会において「他者への理解と想像する力が衰退しているのでは・・」という危機感を私自身強く感じてしまいます。
☆DV支配下にあった母親が冷静な判断を下せる状況だったのか?
そもそも今回の事件において、父親のDV下にあった母親が、そのような状況下で冷静に子どもを守るための適切な判断をすることがそもそも可能だったのでしょうか。
上記のハフポストの記事において、厚木市立病院の岩室紳也医師は「“子どもへの愛情があるから守れる”とか、“虐待を黙認するとは最低”だという叱責や指摘は、こうした状況に置かれた人には見当違いと言っていい」とはっきりと指摘しています。
母親は父親からの持続的なDV下にありました。そんな状況でもし母親が、周囲に助けを求めたり、子どもを連れて逃げたりしたら後で何をされるかわからない、そういう恐怖感は母親の中では私たちが想像する以上に大きなものだったと思います。
岩室氏は「(DV被害者が)孤立して、その中でしか生きていけないと考えてしまうようになれば、逃げることは難しく、本能で身を守るために動いてしまう。」と述べているように、父親の暴力を含む脅迫にさらされているがために、他者に助けを求めることも子どもを連れて逃げることもできなかった母親は、孤立と原状受任が強制され、本能的に自身の身を守るしかなく、子どもを守るという判断が冷静にできる状態ではなかったということは明白なのではないでしょうか。
☆求められる“レッテル貼り”しない力=“ネガティブ・ケイパビリティ”
しかし今回の心愛ちゃん虐待死事件もそうですが、他者への理解と想像を巡らすわけではなく、表面的な部分だけみてレッテルを貼り、誹謗中傷を繰り返すような人々がなぜこのように少なからず存在するのでしょうか。近年のこうしたバッシング、特にSNS上での発言の辛辣さには本当に目に余るものがあります。
確かに、甥っ子がMちゃんにしていたように、言葉を話せない赤ちゃんではないにしろ、一般的に他者に対して理解と想像を巡らすというのはそれほど簡単なことではないことも事実です。
ライフカウンセラーの袰岩奈々氏は「“先生のものさし”だけでははかれない子どもの心」(児童心理2018年9月号)」において、「“レッテル貼りをしない”ということはかなりエネルギーを使うことでもある。ある人に対して、カテゴリー分けをせず、判断を一時棚上げにしておくということは、新しい情報をキャッチしては、その人に対するイメージを常に更新し続けることでもあるからだ。」と述べています。
このように他者に対して“レッテル貼り”をしないということは、私たち自身が不断に当事者に対するイメージを常に更新し続ける、かなり“エネルギーを使う”作業であり、そこには努力や苦労が伴うことでしょう。
しかしそうはいっても、心愛ちゃんの母親のように“レッテル貼り”によって傷つく人がいる以上、私たちは当事者に対して最低限の理解と想像を巡らす努力が求められるのではないでしょうか。
袰岩氏は、このように当事者に対して容易に答えを出さないことに耐える力を“ネガティブ・ケイパビリティ”と呼び、その必要性を説いています。
心愛ちゃんの事件における母親へのバッシングのように、なぜ私たちは他者を“レッテル貼り”し、理解と想像を巡らすことをしないのか、そしていったいどのようにしたら袰岩氏の述べる、他者を“レッテル貼り”をせず、常に他者に対しての理解と想像を巡らし続けるちから=“ネガティブ・ケイパビリティ”を培うことができるのでしょうか。
山梨県知事選挙2019の結果について(memo)
山梨県知事選挙2019の結果(memo)
1、投票状況
・総投票数:401,447票(無効:3,068票/有効:398,378)
(前回:288,790票/112,657票↑)
・投票率 :57.93%(前回:41.85%/16.08%↑)
2、得票状況
・長崎幸太郎 得票数:198,047 得票率:49.7%《当》
・後藤 斎 得票数:166,666 得票率:41.8%
・米長晴信 得票数: 17,198 得票率: 4.3%
・花田 仁 得票数: 16,467 得票率: 4.1%
《政党の推薦状況》
・長崎幸太郎:自民・公明
・後藤斎 :立憲民主・国民民主
・米長晴信 :推薦なし
・花田仁 :共産
3、出口調査の結果より
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kofu/20190127/1040005441.html
(1)NHK 回答数:2,692名
①普段の支持政党
自民46% 立憲民主:11% 国民民主:3% 公明:3% 共産:3% 無党派:30%
②候補者×支持政党別の得票割合
・長崎幸太郎 自民:70%前半 / 公明:80%前半 / 無党派:30%後半
・後藤斎 立憲:80%前半 / 国民民主:80%前半 / 無党派:50%
③その他
18・19歳の年齢では、長崎氏が40%半ば、後藤氏が40%前半の支持。
(2)朝日新聞 回答数:2,741名
https://www.asahi.com/articles/ASM1W5K7YM1WUZPS001.html
①候補者×支持政党別の得票割合
・長崎幸太郎 自民:71% / 公明:74% / 無党派:39%
・後藤斎 立憲民主:83% / 無党派:52% 自民:24% 公明:19%
4、直近の国政選挙との比較
今回の知事選挙と直近の国政選挙を比較。
2017年衆議院選挙では区割が存在するため比較が困難。よって以下のア~ウの3点により、2016年の参議院選挙(小選挙区)との比較を試みる。
ア)総投票数・投票率が近似
・どちらの選挙も総投票数が40万、投票率が58%前後とほぼ同一
イ)立候補状況の類似性
・どちらの選挙も立候補者が4名。
ウ)選挙の構図の類似性
・自公推薦VS民進(立憲・国民)VS米長という構図はどちらの選挙においても同一。差異は参議院選挙では民進候補を支持し、知事選では独自候補を擁立した共産党の動向のみ。
※このため、2つの選挙における得票数と得票率は特に加工することなく、そのまま比較可能と思われる。
まず、最初に下記の通り2016年参議院選挙(小選挙区)の概要について
《2016年参議院選挙(小選挙区)の結果の概要(2016年7月実施)》
〇投票状況
・総投票数:415,188票
・投票率 :58.83%
〇得票状況
宮沢 ゆか 得票数:173,713 得票率:43.0%《当》
高野つよし 得票数:152,437 得票率:37.8%
米長晴信 得票数: 67,459 得票率:16.7%
西脇 愛 得票数: 10,183 得票率: 2.5%
〇《政党の支援状況》
・宮沢 ゆか:民進・共産・社民
・高野つよし:自民・公明
・米長晴信 :推薦なし
・西脇 愛 :諸派(幸福)
〇出口調査の結果の概要(山梨日日新聞)
※データの原本が見つからなかったため、以下のBLOGOSにおける赤池まさあき氏の記事から引用(https://blogos.com/article/184060/)
[支持政党×候補者別得票割合]
・自民党支持層 宮沢ゆか:15% 高野剛:71% 米長晴信:13%
・公明党支持増 宮沢ゆか:22% 高野剛:48% 米長晴信:20%
・支持政党無増 宮沢ゆか:54% 高野剛:16% 米長晴信:26%
以上、2016年参議院選挙の結果の概要。
以下、2つの選挙結果の比較から明らかになった点について列挙
(1)“自民分裂選挙”の影響
2つの選挙における自民候補者の自民支持層からの得票割合。
・2016年参院選 高野 剛 自民支持層から71%の得票
・2019年知事選 長崎幸太郎 自民支持層から71%の得票
ということで、いずれの選挙もそれぞれの選挙における自民支援の候補者が、自民支持層から得た得票割合は71%で全く同率であり、“自民分裂”が今回の知事選において特別に不利に影響したという有意性は”結果的”には見受けられない。
(2)共産党が“野党共闘”を見送ったことの是非の影響
①2つの選挙における“野党共闘”候補者の無党派層からの得票割合
・2016年参院選 宮沢ゆか 無党派層から54%の得票
・2019年知事選 後藤 斎 無党派層から52%の得票
※注1)2016年は赤池氏のBLOGOSの記事、2019年は朝日新聞の出口調査から引用。
※注2)共産党は2016年では宮沢ゆか氏を支援。2019年は野党共闘見送り、無党派層からの得票割合のデータはなし。
ということで、2つの選挙における野党共闘候補者の無党派層からの得票割合の差はわずか2%であり、得票数に換算すれば(総得票数:約40万×うち無党派層30%×2%)約2400票であり、大きな差異はみられない。
②2つの選挙における野党支援候補者の総得票数
・2016年参院選 宮沢ゆか 173,713票 得票率:43.0%
・2019年知事選
後藤 斎 166,666票 得票率:41.8%
花田 仁 16,467票 得票率: 4.1%
計 183,133票 得票率:45.9%
と、2つの選挙における、野党支援候補全体として獲得した総得票数と総得票率を比較すると、2016年の参院に比べて2019年の知事選においては、総得票数を9,420票、総得票率は2.9%それぞれ伸ばしている。
以上①・②の数字からも明らかなように、2019年知事選において野党候補は全体として総得票数・総得票率いずれも伸ばしており、かつ、それぞれの選挙の共闘できた野党共闘候補自体の無党派層からの得票率(52-54%で)も大きな差異は見られない。
よって、今回の知事選において共産党が野党共闘を見送ったことにより、野党自身、また“野党共闘”が有権者から見放されたという事実は数字上全く見受けられない。
(3)共産党の得票動向について
2つの選挙における共産党の得票動向について
2016年参院選(比例)36,357票
2019年知事選 16,467票
と大きく得票を減らしている。
2つの選挙において、野党支援候補全体の総得票と総得票率はいずれも伸ばしているのにも関わらず、共産党単独では得票数・得票率をいずれも大きく減らしているので、相当数の共産党支持者が今回、後藤斎氏に投票した可能性が高く、立憲民主・国民民主の2党における“野党共闘”に期待した可能性が高い。
(4)今回の知事選における数字上での自公支援候補の勝因
《2つの選挙における自公支援候補者の得票状況》
2016年参院選 高野つよし 得票数:152,437 得票率:37.8%
2019年知事選 長崎幸太郎 得票数:198,047 得票率:49.7%
2016年参院選の時と比較して、2019年知事選の方が、自公支援候補者は、得票数・得票率共に大きく伸ばしている、この要因は何なのか?
① 2つの選挙における自公支援候補者の公明党内での得票動向
2016年参院選 公明党支持者のうち48%が自公支援候補の高野剛氏に投票。22%が野党共闘候補者(宮沢ゆか氏)に投票。
2019年知事選 公明党支持者のうち74%が自公支援候補の長崎幸太郎氏に投票。19%が野党共闘候補者(後藤斎氏)に投票。
(※注 2016年参院選はBLOGOSの赤池氏の記事、2019年知事選は、朝日新聞の出口調査から引用。)
よって、公明党支持層の26%もの人が、2016年には自公支援候補以外の候補者に投票していたが、今回の2019年には自公支援候補者に投票したことが明らかに。
(※注1 概算で言えば、総投票数40万×公明党支持層3%×26%=3,120票程)
(※注2 公明支持層からの2つの選挙における野党共闘候補者への投票割合については、参院選が22%、知事選が19%とそれほど差はない。実数では360票程)
つまり、2016参院選と比較して、公明党支持層のうちおよそ26%=3,120票もの人が今回の知事選では自公支援候補である長崎幸太郎氏に新たに投票した。
② 2つの選挙における“無党派層”の自公支援候補への投票動向
2016年参院選 高野剛氏は無党派層の16%から得票
2019年知事選 長崎幸太郎氏は無党派層の39%から得票
※注)2016年は赤池氏のBLOGOSの記事、2019年は朝日新聞の出口調査から引用。
つまり、自公支援の候補者は2016年参院選では、無党派層の16%からしか支持を得られなかったが、今回の知事選においては、39%もの無党派層から支持を集め、約23%もの無党派層から今回新たな支持を獲得している。
(概算すると、総投票数40万×無党派層の割合=30%×23%=27,600票)
よって①・②より、今回の知事選挙において、自公支援候補は、2016参院選と比較して公明支持層と無党派層の新たな取り込みに成功し、得票数では(3,120票+27,600票)30,720票もの上積みに成功した。
③ その他
あと、気になるところでは、米長晴信氏が2016年参議院選挙と比較して今回の知事選では5万票近く得票を減らしている。米長氏は旧民主党出身だが、政治連盟は自民党系のところに所属しており、保守の政治家でありますが、与党系か野党系かどちらかいずれとも言い難い人物。
また、自公・野党以外の支持層、具体的には維新支持層などについてですが、そのほとんどが自公支援の長崎幸太郎氏と立憲・国民支援の後藤斎氏で票を分け合う形になった可能性が高い。
また、それぞれの支持層以外の部分での票の伸びがやや長崎氏の方が高いので、この部分(米長晴信氏の過去の支持層と自公・野党以外の支持層)の有権者については、長崎氏の支持に傾いたと思われる。
5、まとめ
以上の結果をまとめると
(1)今回の知事選における“自民分裂”の影響は”結果的”にはみられない。
(2)共産党が今回の知事選において“野党共闘”を見送ったことによって、得票を見た限りでは、野党に不利な影響があったようには思われない。むしろ野党支援候補の獲得した総得票数・総得票率では、共産党を含む“野党統一候補”を擁立してたたかった2016年参院選よりもともに伸ばしている。
(3)しかし共産党単独でみると、今回の知事選挙において共産党支持者の相当数が、立憲・国民による2党の野党統一候補であった後藤斎氏に支持が流れた可能性が高い。
(4)一方で、今回の知事選挙において、自公支援候補は、公明党支持層と無党派層から新たに多くの有権者の支持を獲得することに成功した。
(5)とはいえ、無党派層の支持は、後藤氏(52%)と長崎氏(39%)と13%もの差があり、朝日新聞出口長調査より)、野党候補の方が圧倒的に多数であり、そのため今回の知事選挙において自公支援の長崎氏が勝利したとはいえ、幅広い有権者に自公勢力が支持されているとは言い難い。
ということで、改めて今回の山梨県知事選挙においては、自公支援候補である長崎幸太郎氏の勝利について、“自民分裂の影響”を結果的には克服し、参院選(2016)と比較しても公明党支持層と無党派層の広範な部分に食い込みあたらな支持の獲得に成功したということが、数字上では大きな要因。
また、野党支援候補については、今回共産党が野党共闘を見送ったことについては、選挙戦において不利に働くことはなかったが、共産党自身については、今回の知事選において独自候補を擁立した意義が有権者になかなか浸透せず、結果的に支持層の相当数が、立憲・国民の野党2党による”野党共闘”候補である後藤斎氏に流れてしまった可能性が高い。
しかし、今回の知事選挙において共産党が野党共闘を見送った判断は妥当。理由は以下のURL
https://alter-dairy-of-life.blog.so-net.ne.jp/2019-01-22
共産党は独自の支持は減らしてしまったけど、今回の知事選で野党が擁立した候補者は全体として総得票数・総得票率は、共産党を含む野党統一候補を擁立した2016年の参院選よりもいずれも伸ばしており、今後の野党共闘のたたかいにとっては明るい材料を獲得することができた。
一方、自公勢力は無党派層の獲得において野党勢力に大きく差をつけられており、今回の知事選挙においても幅広い有権者に自公勢力が支持されているとはとても言い難い状況であることが明らかになった。
4月の一斉地方選挙、7月の参議院選挙の前哨戦として注目された今回の知事選挙。
自公勢力が勝利したとはいえ、その勢いが決して盤石のものではないこと、また野党共闘への有権者の期待の高さも同時に明らかになった。
だからこそ参議院選挙で、共産党を含む野党共闘が実施されれば、多くの有権者の支持が野党共闘候補に傾く可能性があり、十分勝利も可能であるという『希望』を示した選挙でもあった。
《追記 1月29日》
(参議院選挙で野党共闘の期待度でを無党派層へ訴えることで、できればそこで7割に迫れれば。野党2割↑、与党1割↓でおよそ36000票なので今回の与党と野党の力関係はひっくり返る。無党派層の比率で与党:野党=7:3の力関係が理想。さらに今回棄権した層の新規獲得ができれば、この割合はもっと低くても大丈夫。いずれにせよ、これから3ヶ月の間に、無党派層、棄権層にどれだけ野党共闘の期待度を高めていくアピールができるか。その点で1月28日の参議院の1人区での野党共闘実施の公式発表は良い時期の発表だったと思う。)
また、共産党が今回野党共闘を見送ったことで、安倍政権に対峙する姿勢を前面に押し出して政策論戦を展開することができた。こうした政策論戦や宣伝が、4月の一斉地方選、また7月の参議院選挙において、大いに生きてくるはず。今回の共闘見送りはそうした積極的意義があった。
また、上記の分析以外のところで、18・19歳の投票動向のところでは、この世代の9割近くが長崎幸太郎氏と後藤斎氏に投票しており、お互いほぼ40%半ばで票を分け合う結果となっている。
特に支持団体などの所属のあるはずのない、18・19歳の若年層のところの選択肢が、長崎氏・後藤氏の2択になってしまっていたことについて、もう少し詳細な検討が必要かも。SNS関連などのメディア対策に関する部分もこの世代に関しては大きな影響を及ぼしたのでは。
その意味で、花田仁氏の応援動画が4回にわたってUPされたのは、とっても今後における好材料。
今回の知事選では、各候補とも、山梨県内でSNSを使った個人的・組織的宣伝がこれまでになく多かったた印象。7月の参院選でも他候補が重視する可能性高い。
※以上、今回の山梨県知事選挙についての私見となります。
私自身、既に山梨にいませんし実際に選挙戦をたたかったわけではありません。
ここに書かれていることは、報道やSNSを見た限りでの私の考えのmemoなので、文体も整っていませんし、文脈も乱雑なままなので、非常に読みづらいものとなっていますが、何卒ご了承いただけたらと思います。
いつどこの選挙戦においても、一番重要なのは実際に選挙戦をたたかった方々こそが知る、有権者の生の声、リアルな印象、選挙戦を通じて起こった数々のドラマ的な体験です。
そうしたものの積み重ねこそが一番の財産であり、最も共有されなければならないものだと思います。
今回、私はそうしたものを知ることができる立場ではありませんが、選挙に取り組まれた方々に中にそうした貴重な経験がたくさん生み出されていることを心より願っています。
最後に、今回の山梨県知事選挙をたたかわれた皆さん、本当にお疲れ様でした。
1、投票状況
・総投票数:401,447票(無効:3,068票/有効:398,378)
(前回:288,790票/112,657票↑)
・投票率 :57.93%(前回:41.85%/16.08%↑)
2、得票状況
・長崎幸太郎 得票数:198,047 得票率:49.7%《当》
・後藤 斎 得票数:166,666 得票率:41.8%
・米長晴信 得票数: 17,198 得票率: 4.3%
・花田 仁 得票数: 16,467 得票率: 4.1%
《政党の推薦状況》
・長崎幸太郎:自民・公明
・後藤斎 :立憲民主・国民民主
・米長晴信 :推薦なし
・花田仁 :共産
3、出口調査の結果より
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kofu/20190127/1040005441.html
(1)NHK 回答数:2,692名
①普段の支持政党
自民46% 立憲民主:11% 国民民主:3% 公明:3% 共産:3% 無党派:30%
②候補者×支持政党別の得票割合
・長崎幸太郎 自民:70%前半 / 公明:80%前半 / 無党派:30%後半
・後藤斎 立憲:80%前半 / 国民民主:80%前半 / 無党派:50%
③その他
18・19歳の年齢では、長崎氏が40%半ば、後藤氏が40%前半の支持。
(2)朝日新聞 回答数:2,741名
https://www.asahi.com/articles/ASM1W5K7YM1WUZPS001.html
①候補者×支持政党別の得票割合
・長崎幸太郎 自民:71% / 公明:74% / 無党派:39%
・後藤斎 立憲民主:83% / 無党派:52% 自民:24% 公明:19%
4、直近の国政選挙との比較
今回の知事選挙と直近の国政選挙を比較。
2017年衆議院選挙では区割が存在するため比較が困難。よって以下のア~ウの3点により、2016年の参議院選挙(小選挙区)との比較を試みる。
ア)総投票数・投票率が近似
・どちらの選挙も総投票数が40万、投票率が58%前後とほぼ同一
イ)立候補状況の類似性
・どちらの選挙も立候補者が4名。
ウ)選挙の構図の類似性
・自公推薦VS民進(立憲・国民)VS米長という構図はどちらの選挙においても同一。差異は参議院選挙では民進候補を支持し、知事選では独自候補を擁立した共産党の動向のみ。
※このため、2つの選挙における得票数と得票率は特に加工することなく、そのまま比較可能と思われる。
まず、最初に下記の通り2016年参議院選挙(小選挙区)の概要について
《2016年参議院選挙(小選挙区)の結果の概要(2016年7月実施)》
〇投票状況
・総投票数:415,188票
・投票率 :58.83%
〇得票状況
宮沢 ゆか 得票数:173,713 得票率:43.0%《当》
高野つよし 得票数:152,437 得票率:37.8%
米長晴信 得票数: 67,459 得票率:16.7%
西脇 愛 得票数: 10,183 得票率: 2.5%
〇《政党の支援状況》
・宮沢 ゆか:民進・共産・社民
・高野つよし:自民・公明
・米長晴信 :推薦なし
・西脇 愛 :諸派(幸福)
〇出口調査の結果の概要(山梨日日新聞)
※データの原本が見つからなかったため、以下のBLOGOSにおける赤池まさあき氏の記事から引用(https://blogos.com/article/184060/)
[支持政党×候補者別得票割合]
・自民党支持層 宮沢ゆか:15% 高野剛:71% 米長晴信:13%
・公明党支持増 宮沢ゆか:22% 高野剛:48% 米長晴信:20%
・支持政党無増 宮沢ゆか:54% 高野剛:16% 米長晴信:26%
以上、2016年参議院選挙の結果の概要。
以下、2つの選挙結果の比較から明らかになった点について列挙
(1)“自民分裂選挙”の影響
2つの選挙における自民候補者の自民支持層からの得票割合。
・2016年参院選 高野 剛 自民支持層から71%の得票
・2019年知事選 長崎幸太郎 自民支持層から71%の得票
ということで、いずれの選挙もそれぞれの選挙における自民支援の候補者が、自民支持層から得た得票割合は71%で全く同率であり、“自民分裂”が今回の知事選において特別に不利に影響したという有意性は”結果的”には見受けられない。
(2)共産党が“野党共闘”を見送ったことの是非の影響
①2つの選挙における“野党共闘”候補者の無党派層からの得票割合
・2016年参院選 宮沢ゆか 無党派層から54%の得票
・2019年知事選 後藤 斎 無党派層から52%の得票
※注1)2016年は赤池氏のBLOGOSの記事、2019年は朝日新聞の出口調査から引用。
※注2)共産党は2016年では宮沢ゆか氏を支援。2019年は野党共闘見送り、無党派層からの得票割合のデータはなし。
ということで、2つの選挙における野党共闘候補者の無党派層からの得票割合の差はわずか2%であり、得票数に換算すれば(総得票数:約40万×うち無党派層30%×2%)約2400票であり、大きな差異はみられない。
②2つの選挙における野党支援候補者の総得票数
・2016年参院選 宮沢ゆか 173,713票 得票率:43.0%
・2019年知事選
後藤 斎 166,666票 得票率:41.8%
花田 仁 16,467票 得票率: 4.1%
計 183,133票 得票率:45.9%
と、2つの選挙における、野党支援候補全体として獲得した総得票数と総得票率を比較すると、2016年の参院に比べて2019年の知事選においては、総得票数を9,420票、総得票率は2.9%それぞれ伸ばしている。
以上①・②の数字からも明らかなように、2019年知事選において野党候補は全体として総得票数・総得票率いずれも伸ばしており、かつ、それぞれの選挙の共闘できた野党共闘候補自体の無党派層からの得票率(52-54%で)も大きな差異は見られない。
よって、今回の知事選において共産党が野党共闘を見送ったことにより、野党自身、また“野党共闘”が有権者から見放されたという事実は数字上全く見受けられない。
(3)共産党の得票動向について
2つの選挙における共産党の得票動向について
2016年参院選(比例)36,357票
2019年知事選 16,467票
と大きく得票を減らしている。
2つの選挙において、野党支援候補全体の総得票と総得票率はいずれも伸ばしているのにも関わらず、共産党単独では得票数・得票率をいずれも大きく減らしているので、相当数の共産党支持者が今回、後藤斎氏に投票した可能性が高く、立憲民主・国民民主の2党における“野党共闘”に期待した可能性が高い。
(4)今回の知事選における数字上での自公支援候補の勝因
《2つの選挙における自公支援候補者の得票状況》
2016年参院選 高野つよし 得票数:152,437 得票率:37.8%
2019年知事選 長崎幸太郎 得票数:198,047 得票率:49.7%
2016年参院選の時と比較して、2019年知事選の方が、自公支援候補者は、得票数・得票率共に大きく伸ばしている、この要因は何なのか?
① 2つの選挙における自公支援候補者の公明党内での得票動向
2016年参院選 公明党支持者のうち48%が自公支援候補の高野剛氏に投票。22%が野党共闘候補者(宮沢ゆか氏)に投票。
2019年知事選 公明党支持者のうち74%が自公支援候補の長崎幸太郎氏に投票。19%が野党共闘候補者(後藤斎氏)に投票。
(※注 2016年参院選はBLOGOSの赤池氏の記事、2019年知事選は、朝日新聞の出口調査から引用。)
よって、公明党支持層の26%もの人が、2016年には自公支援候補以外の候補者に投票していたが、今回の2019年には自公支援候補者に投票したことが明らかに。
(※注1 概算で言えば、総投票数40万×公明党支持層3%×26%=3,120票程)
(※注2 公明支持層からの2つの選挙における野党共闘候補者への投票割合については、参院選が22%、知事選が19%とそれほど差はない。実数では360票程)
つまり、2016参院選と比較して、公明党支持層のうちおよそ26%=3,120票もの人が今回の知事選では自公支援候補である長崎幸太郎氏に新たに投票した。
② 2つの選挙における“無党派層”の自公支援候補への投票動向
2016年参院選 高野剛氏は無党派層の16%から得票
2019年知事選 長崎幸太郎氏は無党派層の39%から得票
※注)2016年は赤池氏のBLOGOSの記事、2019年は朝日新聞の出口調査から引用。
つまり、自公支援の候補者は2016年参院選では、無党派層の16%からしか支持を得られなかったが、今回の知事選においては、39%もの無党派層から支持を集め、約23%もの無党派層から今回新たな支持を獲得している。
(概算すると、総投票数40万×無党派層の割合=30%×23%=27,600票)
よって①・②より、今回の知事選挙において、自公支援候補は、2016参院選と比較して公明支持層と無党派層の新たな取り込みに成功し、得票数では(3,120票+27,600票)30,720票もの上積みに成功した。
③ その他
あと、気になるところでは、米長晴信氏が2016年参議院選挙と比較して今回の知事選では5万票近く得票を減らしている。米長氏は旧民主党出身だが、政治連盟は自民党系のところに所属しており、保守の政治家でありますが、与党系か野党系かどちらかいずれとも言い難い人物。
また、自公・野党以外の支持層、具体的には維新支持層などについてですが、そのほとんどが自公支援の長崎幸太郎氏と立憲・国民支援の後藤斎氏で票を分け合う形になった可能性が高い。
また、それぞれの支持層以外の部分での票の伸びがやや長崎氏の方が高いので、この部分(米長晴信氏の過去の支持層と自公・野党以外の支持層)の有権者については、長崎氏の支持に傾いたと思われる。
5、まとめ
以上の結果をまとめると
(1)今回の知事選における“自民分裂”の影響は”結果的”にはみられない。
(2)共産党が今回の知事選において“野党共闘”を見送ったことによって、得票を見た限りでは、野党に不利な影響があったようには思われない。むしろ野党支援候補の獲得した総得票数・総得票率では、共産党を含む“野党統一候補”を擁立してたたかった2016年参院選よりもともに伸ばしている。
(3)しかし共産党単独でみると、今回の知事選挙において共産党支持者の相当数が、立憲・国民による2党の野党統一候補であった後藤斎氏に支持が流れた可能性が高い。
(4)一方で、今回の知事選挙において、自公支援候補は、公明党支持層と無党派層から新たに多くの有権者の支持を獲得することに成功した。
(5)とはいえ、無党派層の支持は、後藤氏(52%)と長崎氏(39%)と13%もの差があり、朝日新聞出口長調査より)、野党候補の方が圧倒的に多数であり、そのため今回の知事選挙において自公支援の長崎氏が勝利したとはいえ、幅広い有権者に自公勢力が支持されているとは言い難い。
ということで、改めて今回の山梨県知事選挙においては、自公支援候補である長崎幸太郎氏の勝利について、“自民分裂の影響”を結果的には克服し、参院選(2016)と比較しても公明党支持層と無党派層の広範な部分に食い込みあたらな支持の獲得に成功したということが、数字上では大きな要因。
また、野党支援候補については、今回共産党が野党共闘を見送ったことについては、選挙戦において不利に働くことはなかったが、共産党自身については、今回の知事選において独自候補を擁立した意義が有権者になかなか浸透せず、結果的に支持層の相当数が、立憲・国民の野党2党による”野党共闘”候補である後藤斎氏に流れてしまった可能性が高い。
しかし、今回の知事選挙において共産党が野党共闘を見送った判断は妥当。理由は以下のURL
https://alter-dairy-of-life.blog.so-net.ne.jp/2019-01-22
共産党は独自の支持は減らしてしまったけど、今回の知事選で野党が擁立した候補者は全体として総得票数・総得票率は、共産党を含む野党統一候補を擁立した2016年の参院選よりもいずれも伸ばしており、今後の野党共闘のたたかいにとっては明るい材料を獲得することができた。
一方、自公勢力は無党派層の獲得において野党勢力に大きく差をつけられており、今回の知事選挙においても幅広い有権者に自公勢力が支持されているとはとても言い難い状況であることが明らかになった。
4月の一斉地方選挙、7月の参議院選挙の前哨戦として注目された今回の知事選挙。
自公勢力が勝利したとはいえ、その勢いが決して盤石のものではないこと、また野党共闘への有権者の期待の高さも同時に明らかになった。
だからこそ参議院選挙で、共産党を含む野党共闘が実施されれば、多くの有権者の支持が野党共闘候補に傾く可能性があり、十分勝利も可能であるという『希望』を示した選挙でもあった。
《追記 1月29日》
(参議院選挙で野党共闘の期待度でを無党派層へ訴えることで、できればそこで7割に迫れれば。野党2割↑、与党1割↓でおよそ36000票なので今回の与党と野党の力関係はひっくり返る。無党派層の比率で与党:野党=7:3の力関係が理想。さらに今回棄権した層の新規獲得ができれば、この割合はもっと低くても大丈夫。いずれにせよ、これから3ヶ月の間に、無党派層、棄権層にどれだけ野党共闘の期待度を高めていくアピールができるか。その点で1月28日の参議院の1人区での野党共闘実施の公式発表は良い時期の発表だったと思う。)
また、共産党が今回野党共闘を見送ったことで、安倍政権に対峙する姿勢を前面に押し出して政策論戦を展開することができた。こうした政策論戦や宣伝が、4月の一斉地方選、また7月の参議院選挙において、大いに生きてくるはず。今回の共闘見送りはそうした積極的意義があった。
また、上記の分析以外のところで、18・19歳の投票動向のところでは、この世代の9割近くが長崎幸太郎氏と後藤斎氏に投票しており、お互いほぼ40%半ばで票を分け合う結果となっている。
特に支持団体などの所属のあるはずのない、18・19歳の若年層のところの選択肢が、長崎氏・後藤氏の2択になってしまっていたことについて、もう少し詳細な検討が必要かも。SNS関連などのメディア対策に関する部分もこの世代に関しては大きな影響を及ぼしたのでは。
その意味で、花田仁氏の応援動画が4回にわたってUPされたのは、とっても今後における好材料。
今回の知事選では、各候補とも、山梨県内でSNSを使った個人的・組織的宣伝がこれまでになく多かったた印象。7月の参院選でも他候補が重視する可能性高い。
※以上、今回の山梨県知事選挙についての私見となります。
私自身、既に山梨にいませんし実際に選挙戦をたたかったわけではありません。
ここに書かれていることは、報道やSNSを見た限りでの私の考えのmemoなので、文体も整っていませんし、文脈も乱雑なままなので、非常に読みづらいものとなっていますが、何卒ご了承いただけたらと思います。
いつどこの選挙戦においても、一番重要なのは実際に選挙戦をたたかった方々こそが知る、有権者の生の声、リアルな印象、選挙戦を通じて起こった数々のドラマ的な体験です。
そうしたものの積み重ねこそが一番の財産であり、最も共有されなければならないものだと思います。
今回、私はそうしたものを知ることができる立場ではありませんが、選挙に取り組まれた方々に中にそうした貴重な経験がたくさん生み出されていることを心より願っています。
最後に、今回の山梨県知事選挙をたたかわれた皆さん、本当にお疲れ様でした。
山梨県知事選挙から見る“野党共闘”のありかた
★山梨県知事選挙の現況
今月27日投開票の山梨県知事選挙がいま注目を集めています。与党の自公政権が推薦する新人と、野党である立憲民主・国民民主党が推薦する現職の“与野党対決”と主要メディアは報道しており、今後に控える4月の統一地方選挙、7月の参議院選挙の行方をうらなう選挙と位置付けられています。
今回の山梨県知事選挙に立候補しているのは、届け出順に花田仁、米長晴信、後藤斎(ひとし)、長崎幸太郎の4氏となっています。選挙情勢については、共同通信社による1/18-20に行った電話世論調査で、「現職、後藤斎氏(61)=立憲、国民推薦=と、新人の元衆院議員、長崎幸太郎氏(50)=自民、公明推薦=が横一線で競り合う。諸派の共産党県委員長、花田仁氏(57)=共産推薦、元参院議員、米長晴信氏(53)の2新人は厳しい」と、自公勢力が支援する長崎氏と、立憲・国民民主が支援する後藤氏の一騎打ちの様相となっているとのことです。
投開票まであと1週間をきる中で、国政において“野党共闘”を声高に訴えているはずの共産党が、今回の山梨県知事選挙においては独自候補を擁立し、“野党共闘”を見送ったことに対して、全国の野党共闘支持者の一部には『なぜ野党共闘を見送ったのか?』という疑問の声も上がっています。
というわけで、今回の記事では山梨県知事選挙において、なぜ共産党は“野党共闘”を見送らなければならなかったのかということについて検討しながら、野党共闘のありかたそのものについても改めて問い直してみたいと思います。
ちなみに、私自身はもうすでに山梨県民ではないので、今回当事者間で具体的にどのような協議がされたのかはわかりません。そのため一定程度推測を含んだ議論になりますが、ご了承願えればと思います。
★なぜ共産党は山梨県知事選挙において野党共闘を断念したのか?
まず最初に、なぜ今回の山梨県知事選挙において共産党は野党共闘を見送ったのか。私はその理由を一言で言えば“野党共闘の構図自体が成立しないから”と考えます。
実は、今回の知事選挙において立憲民主・国民民主両党の推薦を受け、いわゆる“野党候補”として立候補している後藤斎氏ですが、以下の2点においてその内実は“野党候補”とは言い難い側面を持っています。
① 前回の山梨県知事選挙において自公の支援を受けて当選していること。
② 今回の山梨県知事選挙においても、県内の一部の自民党組織から支援を受けていること。
というように、後藤斎氏は表面的には立憲民主・国民民主の推薦を受けた“野党候補”とメディアでは報道されていますが、その実は、4年前の前回選挙から現在に至るまで一貫として自公勢力の支援を受け続けている、半分“与党候補”ともいえる候補者でもあるのです。
もし、このような半分自公勢力に足を突っ込んだ候補者を共産党が支援することになれば、支持者から「なぜ自民党組織も応援しているような候補者を支援するのか」と疑問の声があがることは間違いありません。
加えて、もし今回共産党が野党共闘で後藤斎氏を支持し、後藤氏が当選したとします。その後、政権与党がもし後藤斎氏と和解して、これまでの4年間同様に後藤氏が政権与党と足並みを揃えて県政に携わっていくようなことになるのであれば、そんな候補者を支援してしまった共産党の信用は失墜し、野党共闘自体も大きな打撃を受けてしまうことに繋がりかねません。
だからこそ、今回の山梨県知事選挙において共産党が後藤斎氏を支援せず、独自の候補者を擁立し野党共闘を見送ったのは、「共産党が頑固」「立憲民主・国民民主を嫌っている」というわけではないでしょう。現職の後藤斎氏がこれまで自公勢力の支援を受けてきており、そして今回の知事選においても一部とはいえ自公勢力の支援を受け続けているために、野党共闘の構図自体が成立せず、見送らざるをえなかったというのが本当のところだったのではないかと思います。
★山梨県内での“野党共闘”の構図が成立しない状況に陥ってしまった根本理由について
そもそも今回の知事選が、なぜこうした“野党共闘”の構図自体が成立しないような状況にまで混迷してしまっているのかと言えば、私は2つの要因があると考えます。.
一つ目に、前回の山梨県知事選挙において、自公勢力が独自候補を擁立できずに、結果的に旧民主党出身である後藤斎氏を支援してしまったということ。
二つ目に、今回報道でも話題になっていますが、自民党組織が山梨県民の利益を顧みない、自分勝手な党利党略による派閥抗争を知事選挙において持ち込んでしまってきたということ。
(※近年の山梨県内の国政選挙において、自民党二階派の長崎幸太郎氏と岸田派の堀内親子が5回争う派閥抗争の保守分裂選挙を繰り広げている。その禍根により、県内の岸田・堀内派の自民党組織が今回の知事選挙において長崎幸太郎氏を支援せず、現職の後藤斎氏を支援する分裂選挙となっている。)
このように、山梨県知事選挙における自公勢力の選挙方針の迷走こそが、今回の選挙戦においても事態が混迷することになってしまったもっとも大きな要因であると私は考えます。
★地方選におけるそもそもの“野党共闘”の是非
ここまで、政権与党である自公勢力の山梨県内における選挙方針の迷走こそが、今回の知事選における事態の混迷を招いた根本要因であり、そのため野党共闘の構図自体が成立せず、共産党が野党共闘を見送らざるをえなかったという事情について述べてきました。
しかし、そもそも私自身は地方選挙において一律に“野党共闘”を実施することについては慎重であるべきだと考えています。
というのも基本的に地方選挙においては、そこに住む住民の意志と要求が最大限尊重されるべきであり、基本的に国政の問題や、政党同士の利害関係を“直接”そこに持ち込むようなことがあってはならないからと思うからです。
この問題が顕在化してしまったのが、2016年の東京都知事選挙であったと思います。この都知事選挙では、住民要求であった“景気回復”“福祉の改善”、そして注目が集まっていた築地移転問題において、野党共闘候補であった鳥越俊太郎氏が都民のそうした要求をうまく反映した政策を打ち出せなかったこと、あと、そもそも公約自体を発表したのが告示ギリギリのタイミングだったこともあり、有権者に上手く浸透しませんでした。
また、候補者選定のプロセスにおいても以前から市民と旧民主党以外の野党が連携し支援を予定していた宇都宮健児氏の支援を、旧民主党が同意できないということで、旧民主党自身が依頼していた鳥越俊太郎氏に野党共闘候補を急遽変更するという問題があり、市民から少なくない批判が寄せられました。
結果、東京都知事選挙において野党共闘候補は惨敗し基盤となる得票からも大きく減らす結果となりました。
この東京都知事選挙の教訓からも明らかなように、地方選挙というものはただ一律に野党共闘を実施すれば成功するというものではありません。
★野党共闘の陰にひそむ“図式主義”
過去の話となりますが、昔ドイツ社会民主党内の指導者の一人であるパウル・エルンストが、当時の婦人問題について、K.マルクスがドイツの社会分析から引き出した規定を、そのままノルウェーにあてはめた論文をF.エンゲルスに送り批評を求めたことがありました。それに対してエンゲルスは、ドイツもノルウェーもそれぞれ独自の歴史的・民族的特徴を持っていることを詳しく指摘し、エルンストのような“図式主義”は自分たちの掲げる唯物論的方法とは無縁なものであり、その「反対物」だといって批判しています。
このエンゲルスの批判は現在における野党共闘のあり方についてあてはまると思います。山梨をはじめとする地方にはそれぞれ独自の歴史や事情、住民の要求が存在します。そうしたことを鑑みずに、いくら“安倍政権の打倒”という大義があるとはいえ、一律にいつでもどこでも“野党共闘”を掲げるのであれば、それこそエンゲルスの指摘した“図式主義”に他ならないし、東京都知事選挙のように、結果的に既存の支持基盤すらも切り崩してしまうような事態にも繋がりかねません。
★地方選挙で問われる“住民が主人公”の立場
私は地方選挙において野党共闘を成功させるためにもっとも大切なことは、選挙政策の立案から候補者の選定、そして実際の選挙戦のたたかいまでのすべてのプロセスにおいて、“住民が主人公”の立場が貫かれることだと考えています。
現にこれまでの地方選挙において“野党共闘”の候補者が勝利した選挙は、いずれもそれぞれの地方における独自の課題や要求が、国政において“野党共闘”候補が掲げている要求と合致していました。また、候補者選定や選挙戦のたたかいに至るまですべてのプロセスにおいて“住民が主人公”という立場をつらぬく形で選挙がたたかわていました。
例を挙げるのなら、沖縄県知事選挙(米軍基地問題)、新潟県知事選挙(2016・原発再稼働)、仙台市長選挙(震災復興)というように、いずれの地方においても住民の要求と、国政における野党が政権与党に対置している要求が合致し、候補選定、選挙戦における市民グループの多大な影響力のもとで野党共闘候補は見事に勝利を収めています。
繰り返しになりますが、地方選挙において最も大事なのは“住民が主人公”の立場です。地方選挙自体、もともとはそこに住む住民の意志と要求が問われるものであるし、地域の住民を置いてけぼりにするような選挙戦には決して未来はないと思います。
★山梨県知事選挙において、共産党が示した態度の積極的意義
そういう視点で改めて山梨県知事選挙での共産党の立場を振り返ってみた時に、結果的に今回は野党共闘を見送り独自候補を擁立することになったわけですが、野党共闘を今回見送ったことは決して消極的な態度の結果ではなく、むしろ積極的な意義をもった性質のものではないかと思います。
もし共産党が一部の自民党組織が支援する候補を共産党が支援することになれば、必然的にその訴える政策は住民の利益と乖離を伴うものなってしまったに違いありません。しかし、今回共闘を見送ったことにより、共産党は地域住民のくらしを一番に据えた本来の政策を堂々と掲げて選挙戦をたたかえるのです。そしてそれは同時に、地域住民の暮らしを破壊する諸悪の根源ともいえる安倍自公政治に対して、鮮明に対決姿勢を打ち出せることにもつながります。
今回の選挙をこうした立場でたたかえることは、今回の知事選挙において自公勢力が推薦する長崎氏に対して攻勢的に選挙戦を組み立てることができますし、長期的な視野で見た時に、今回の知事選挙において展開している政策論戦は、今後のたたかいにも必ず生きてきます。それは“安倍自公政権の打倒”を第一とする野党共闘の本来の目的にも結び付くことでしょう。そう考えた時に、今回共産党が山梨県知事選挙においてとった態度は、野党共闘支持者のみなさんの要求にも沿ったものになると考えます。
幸い、立憲民主・国民民主党の党中央本部の側も、今回の知事選挙においては“地方選”としての立場でたたかう立場から、党中央からの大々的な支援は行わない方針のようです。そのため、今回の知事選挙においてたとえ勝敗がどうなれど、今回の知事選におけるそれぞれの野党の共闘についての態度が選挙後に批判される可能性は低くなったと思います。
共産党としては、今回の山梨県知事選挙で展開している自公勢力への攻勢的姿勢そのままに野党共闘自体もダメージを受けずに参議院選挙に臨むことができるわけです。
7月の参議院選挙では、野党の中央レベルで全国32人の一人区で共闘が実施されることがすでに確認されています。来るべき参議院選挙において、共産党、そして野党共闘候補が自公勢力に対し勝利するためには、今回の知事選挙においてどれだけ自公勢力に対して圧力をかけられるかということが非常に大事になってきます。
残り数日になった山梨県知事選挙ですが、どうか野党共闘支持者のみなさんには、今回のたたかいにおいて、唯一安倍自公政権に対して鮮明に対決姿勢をとっている日本共産党に対してご理解を頂ければ幸いです。
今月27日投開票の山梨県知事選挙がいま注目を集めています。与党の自公政権が推薦する新人と、野党である立憲民主・国民民主党が推薦する現職の“与野党対決”と主要メディアは報道しており、今後に控える4月の統一地方選挙、7月の参議院選挙の行方をうらなう選挙と位置付けられています。
今回の山梨県知事選挙に立候補しているのは、届け出順に花田仁、米長晴信、後藤斎(ひとし)、長崎幸太郎の4氏となっています。選挙情勢については、共同通信社による1/18-20に行った電話世論調査で、「現職、後藤斎氏(61)=立憲、国民推薦=と、新人の元衆院議員、長崎幸太郎氏(50)=自民、公明推薦=が横一線で競り合う。諸派の共産党県委員長、花田仁氏(57)=共産推薦、元参院議員、米長晴信氏(53)の2新人は厳しい」と、自公勢力が支援する長崎氏と、立憲・国民民主が支援する後藤氏の一騎打ちの様相となっているとのことです。
投開票まであと1週間をきる中で、国政において“野党共闘”を声高に訴えているはずの共産党が、今回の山梨県知事選挙においては独自候補を擁立し、“野党共闘”を見送ったことに対して、全国の野党共闘支持者の一部には『なぜ野党共闘を見送ったのか?』という疑問の声も上がっています。
というわけで、今回の記事では山梨県知事選挙において、なぜ共産党は“野党共闘”を見送らなければならなかったのかということについて検討しながら、野党共闘のありかたそのものについても改めて問い直してみたいと思います。
ちなみに、私自身はもうすでに山梨県民ではないので、今回当事者間で具体的にどのような協議がされたのかはわかりません。そのため一定程度推測を含んだ議論になりますが、ご了承願えればと思います。
★なぜ共産党は山梨県知事選挙において野党共闘を断念したのか?
まず最初に、なぜ今回の山梨県知事選挙において共産党は野党共闘を見送ったのか。私はその理由を一言で言えば“野党共闘の構図自体が成立しないから”と考えます。
実は、今回の知事選挙において立憲民主・国民民主両党の推薦を受け、いわゆる“野党候補”として立候補している後藤斎氏ですが、以下の2点においてその内実は“野党候補”とは言い難い側面を持っています。
① 前回の山梨県知事選挙において自公の支援を受けて当選していること。
② 今回の山梨県知事選挙においても、県内の一部の自民党組織から支援を受けていること。
というように、後藤斎氏は表面的には立憲民主・国民民主の推薦を受けた“野党候補”とメディアでは報道されていますが、その実は、4年前の前回選挙から現在に至るまで一貫として自公勢力の支援を受け続けている、半分“与党候補”ともいえる候補者でもあるのです。
もし、このような半分自公勢力に足を突っ込んだ候補者を共産党が支援することになれば、支持者から「なぜ自民党組織も応援しているような候補者を支援するのか」と疑問の声があがることは間違いありません。
加えて、もし今回共産党が野党共闘で後藤斎氏を支持し、後藤氏が当選したとします。その後、政権与党がもし後藤斎氏と和解して、これまでの4年間同様に後藤氏が政権与党と足並みを揃えて県政に携わっていくようなことになるのであれば、そんな候補者を支援してしまった共産党の信用は失墜し、野党共闘自体も大きな打撃を受けてしまうことに繋がりかねません。
だからこそ、今回の山梨県知事選挙において共産党が後藤斎氏を支援せず、独自の候補者を擁立し野党共闘を見送ったのは、「共産党が頑固」「立憲民主・国民民主を嫌っている」というわけではないでしょう。現職の後藤斎氏がこれまで自公勢力の支援を受けてきており、そして今回の知事選においても一部とはいえ自公勢力の支援を受け続けているために、野党共闘の構図自体が成立せず、見送らざるをえなかったというのが本当のところだったのではないかと思います。
★山梨県内での“野党共闘”の構図が成立しない状況に陥ってしまった根本理由について
そもそも今回の知事選が、なぜこうした“野党共闘”の構図自体が成立しないような状況にまで混迷してしまっているのかと言えば、私は2つの要因があると考えます。.
一つ目に、前回の山梨県知事選挙において、自公勢力が独自候補を擁立できずに、結果的に旧民主党出身である後藤斎氏を支援してしまったということ。
二つ目に、今回報道でも話題になっていますが、自民党組織が山梨県民の利益を顧みない、自分勝手な党利党略による派閥抗争を知事選挙において持ち込んでしまってきたということ。
(※近年の山梨県内の国政選挙において、自民党二階派の長崎幸太郎氏と岸田派の堀内親子が5回争う派閥抗争の保守分裂選挙を繰り広げている。その禍根により、県内の岸田・堀内派の自民党組織が今回の知事選挙において長崎幸太郎氏を支援せず、現職の後藤斎氏を支援する分裂選挙となっている。)
このように、山梨県知事選挙における自公勢力の選挙方針の迷走こそが、今回の選挙戦においても事態が混迷することになってしまったもっとも大きな要因であると私は考えます。
★地方選におけるそもそもの“野党共闘”の是非
ここまで、政権与党である自公勢力の山梨県内における選挙方針の迷走こそが、今回の知事選における事態の混迷を招いた根本要因であり、そのため野党共闘の構図自体が成立せず、共産党が野党共闘を見送らざるをえなかったという事情について述べてきました。
しかし、そもそも私自身は地方選挙において一律に“野党共闘”を実施することについては慎重であるべきだと考えています。
というのも基本的に地方選挙においては、そこに住む住民の意志と要求が最大限尊重されるべきであり、基本的に国政の問題や、政党同士の利害関係を“直接”そこに持ち込むようなことがあってはならないからと思うからです。
この問題が顕在化してしまったのが、2016年の東京都知事選挙であったと思います。この都知事選挙では、住民要求であった“景気回復”“福祉の改善”、そして注目が集まっていた築地移転問題において、野党共闘候補であった鳥越俊太郎氏が都民のそうした要求をうまく反映した政策を打ち出せなかったこと、あと、そもそも公約自体を発表したのが告示ギリギリのタイミングだったこともあり、有権者に上手く浸透しませんでした。
また、候補者選定のプロセスにおいても以前から市民と旧民主党以外の野党が連携し支援を予定していた宇都宮健児氏の支援を、旧民主党が同意できないということで、旧民主党自身が依頼していた鳥越俊太郎氏に野党共闘候補を急遽変更するという問題があり、市民から少なくない批判が寄せられました。
結果、東京都知事選挙において野党共闘候補は惨敗し基盤となる得票からも大きく減らす結果となりました。
この東京都知事選挙の教訓からも明らかなように、地方選挙というものはただ一律に野党共闘を実施すれば成功するというものではありません。
★野党共闘の陰にひそむ“図式主義”
過去の話となりますが、昔ドイツ社会民主党内の指導者の一人であるパウル・エルンストが、当時の婦人問題について、K.マルクスがドイツの社会分析から引き出した規定を、そのままノルウェーにあてはめた論文をF.エンゲルスに送り批評を求めたことがありました。それに対してエンゲルスは、ドイツもノルウェーもそれぞれ独自の歴史的・民族的特徴を持っていることを詳しく指摘し、エルンストのような“図式主義”は自分たちの掲げる唯物論的方法とは無縁なものであり、その「反対物」だといって批判しています。
このエンゲルスの批判は現在における野党共闘のあり方についてあてはまると思います。山梨をはじめとする地方にはそれぞれ独自の歴史や事情、住民の要求が存在します。そうしたことを鑑みずに、いくら“安倍政権の打倒”という大義があるとはいえ、一律にいつでもどこでも“野党共闘”を掲げるのであれば、それこそエンゲルスの指摘した“図式主義”に他ならないし、東京都知事選挙のように、結果的に既存の支持基盤すらも切り崩してしまうような事態にも繋がりかねません。
★地方選挙で問われる“住民が主人公”の立場
私は地方選挙において野党共闘を成功させるためにもっとも大切なことは、選挙政策の立案から候補者の選定、そして実際の選挙戦のたたかいまでのすべてのプロセスにおいて、“住民が主人公”の立場が貫かれることだと考えています。
現にこれまでの地方選挙において“野党共闘”の候補者が勝利した選挙は、いずれもそれぞれの地方における独自の課題や要求が、国政において“野党共闘”候補が掲げている要求と合致していました。また、候補者選定や選挙戦のたたかいに至るまですべてのプロセスにおいて“住民が主人公”という立場をつらぬく形で選挙がたたかわていました。
例を挙げるのなら、沖縄県知事選挙(米軍基地問題)、新潟県知事選挙(2016・原発再稼働)、仙台市長選挙(震災復興)というように、いずれの地方においても住民の要求と、国政における野党が政権与党に対置している要求が合致し、候補選定、選挙戦における市民グループの多大な影響力のもとで野党共闘候補は見事に勝利を収めています。
繰り返しになりますが、地方選挙において最も大事なのは“住民が主人公”の立場です。地方選挙自体、もともとはそこに住む住民の意志と要求が問われるものであるし、地域の住民を置いてけぼりにするような選挙戦には決して未来はないと思います。
★山梨県知事選挙において、共産党が示した態度の積極的意義
そういう視点で改めて山梨県知事選挙での共産党の立場を振り返ってみた時に、結果的に今回は野党共闘を見送り独自候補を擁立することになったわけですが、野党共闘を今回見送ったことは決して消極的な態度の結果ではなく、むしろ積極的な意義をもった性質のものではないかと思います。
もし共産党が一部の自民党組織が支援する候補を共産党が支援することになれば、必然的にその訴える政策は住民の利益と乖離を伴うものなってしまったに違いありません。しかし、今回共闘を見送ったことにより、共産党は地域住民のくらしを一番に据えた本来の政策を堂々と掲げて選挙戦をたたかえるのです。そしてそれは同時に、地域住民の暮らしを破壊する諸悪の根源ともいえる安倍自公政治に対して、鮮明に対決姿勢を打ち出せることにもつながります。
今回の選挙をこうした立場でたたかえることは、今回の知事選挙において自公勢力が推薦する長崎氏に対して攻勢的に選挙戦を組み立てることができますし、長期的な視野で見た時に、今回の知事選挙において展開している政策論戦は、今後のたたかいにも必ず生きてきます。それは“安倍自公政権の打倒”を第一とする野党共闘の本来の目的にも結び付くことでしょう。そう考えた時に、今回共産党が山梨県知事選挙においてとった態度は、野党共闘支持者のみなさんの要求にも沿ったものになると考えます。
幸い、立憲民主・国民民主党の党中央本部の側も、今回の知事選挙においては“地方選”としての立場でたたかう立場から、党中央からの大々的な支援は行わない方針のようです。そのため、今回の知事選挙においてたとえ勝敗がどうなれど、今回の知事選におけるそれぞれの野党の共闘についての態度が選挙後に批判される可能性は低くなったと思います。
共産党としては、今回の山梨県知事選挙で展開している自公勢力への攻勢的姿勢そのままに野党共闘自体もダメージを受けずに参議院選挙に臨むことができるわけです。
7月の参議院選挙では、野党の中央レベルで全国32人の一人区で共闘が実施されることがすでに確認されています。来るべき参議院選挙において、共産党、そして野党共闘候補が自公勢力に対し勝利するためには、今回の知事選挙においてどれだけ自公勢力に対して圧力をかけられるかということが非常に大事になってきます。
残り数日になった山梨県知事選挙ですが、どうか野党共闘支持者のみなさんには、今回のたたかいにおいて、唯一安倍自公政権に対して鮮明に対決姿勢をとっている日本共産党に対してご理解を頂ければ幸いです。
沖縄県民投票と”ハンガーストライキ”
★沖縄県民投票をめぐるこれまでの経緯と現状
来月2月24日に沖縄県において「辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票」(以下、“沖縄県民投票”)の実施が予定されています。この沖縄県民投票に関して、これまでに沖縄県の5市(宜野湾・宮古島・沖縄・石垣・うるま)が不参加を表明。結果的に現状では沖縄県民の約3割が投票権を行使できないこととなり、“参政権の侵害”ということで全国的に話題を呼び大問題となっています。
もともとこの沖縄県民投票は、2018年5月に、元山仁士郎さんが代表を務める「辺野古県民投票の会」が県民投票実施に向けた署名集めを開始し、同9月に住民投票実施に必要な有権者数の50分の1(約23,000筆)を大きく超え、約4倍にあたる92,848筆の署名を集めて県議会へ条例案を提出し、直接請求したことがきっかけでした。
その後、同10月に沖縄県民投票の実施案は賛成多数で沖縄県議会で可決され、今年の2月24日の実施が決定していました。
★沖縄県民投票不参加に対する“ハンガーストライキ”
こうした中で、「県民投票の会」代表の元山さんは、沖縄県民投票に対して不参加を表明した5市に対して正当に申し入れをしましたが受け入れられず、最終手段として、1月15日の朝8時から宜野湾市役所前で“ハンガーストライキ”(以下、“ハンスト”)に突入することとなりました。この記事を書いている1月19日現在、元山さんのハンストは5日目に突入しているわけですが、“ハンスト”により水と塩の摂取のみで過ごしている元山さんの体力は確実に奪われてきています。元山さんの身に、もしものことが起きることのないよう、心よりお祈りしています。
★“ハンガーストライキ”なるものについて
ところで、“ハンガーストライキ”というのは、一言でいうと“断食をすることによる示威行動”です。歴史的にはマハトマ・ガンディーが始めて行ったとされますが、日本においては安保法案をめぐって2015年に学生が国会前で行ったことが、皆さんにとっては記憶の新しいところであるかもしれません。
私自身、沖縄県民の意思表示の機会を奪う5市の首長、そしてそれを裏で手をひいている政権与党については全くもって、怒り心頭なのですが、こんなことを述べながらも非常に書きにくいことなのですが、実は私自身“ハンスト”というものに関しては“否定派”なのです。
なぜかというと、“ハンスト”というものは、断食を通じて行うために必然的に当事者の身体に悪影響を及ぼし、また場合によって“命”にかかわる行動です。実際に“断食を行っている人”と“示威行動を行っている人”が同一人物であるために、他者に対して危害を及ぼすものではありません。しかし、いくら他者に危害を及ぼさないとはいえ、自身というひとりの人間の“身体と命”を盾に行う示威行動は一種の“暴力”であり、“脅迫”に等しいものだと私自身考えています。だからこそ、私はこれまでもこれからも“ハンスト”なるものを認めるつもりはありません。
★沖縄県民投票への不参加は“参政権”の侵害
しかし、私が“ハンスト”を認めないということが、同時に元山さんの行動を認めないことに繋がるかと言えば決してそうではありません。むしろ私は、元山さんのその決意と行動に対して心から応援し支持しています。なぜなら、元山さんが“ハンスト”を通じて要求しているものは、日本人として“至極まっとうな権利の保障”ということだからです。
そもそも沖縄県民投票の実施については、誰から見ても正当な民主的手続きを踏んで決定したものです。正当な民主的手続きによって決定した沖縄県民投票において保障されたはずの住民の意思表示の機会が、時の権力者である各市の首長により強引に奪われてしまうのであれば、それは“参政権の侵害”以外のなにものでもなく、決して許されることではありません。
★元山さんはなぜ“ハンスト”をしなければならなかったのか?
そもそも、なぜ元山さんは“ハンスト”という、一種の暴力ともいえる行動をしなければならなかったのでしょうか。
K・マルクスは「時の社会的権力者の側からのいかなる強力的妨害も立ちはだからない限りにおいて、ある歴史的発展は『平和的』であり続ける」(マルクス・社会主義者取締法に関する帝国議会討論の概要から)と過去に述べたことがありますが、現代の日本のように議会制民主主義が確立した国においては、政治・社会変革はもはや基本的に“暴力”とは無縁のものとなっています。
もし現在の日本において、“ハンスト”という方法とはいえ、平和的とは言い切れず、ある種の暴力性を含む示威行動をとらざるをえない状況が存在してしまっているのだとすれば、それは時の社会的権力者による”強力的妨害”がそこに生じてしまっているということに他なりません。
今回の“ハンスト”の問題の本質は、元山さんの”ハンスト”という行動の是非ではなく、元山さんが「なぜ“ハンスト”という手段をとらなければならなかったのか」ということであり、それはまぎれもなく、“権力者の側が住民にとって当然の参政権を侵害しているから”ということに他なりません。沖縄の5市の首長、そしてそれを裏で糸を引いている政権与党の方々には、民主国家である日本において、“ハンスト”という手段を取らざるを得ないような状況に住民を追い込んでしまったという事実を深く恥じて欲しいと心から願います。
★沖縄県民すべてに意見表明の権利を。そして元山さんに一刻も早くあたたかい食事を・・
そして最後に、沖縄県民投票に不参加を表明した5市の首長さんには、住民の方々に対して当たり前の意見表明の権利、参政権を保障してほしいと思います。そしてそれを一刻も早く実現し、そのことを通じて元山さんに一刻も早く温かい食事を食べてもらえるように行動を起こしてほしいと心から願います。
来月2月24日に沖縄県において「辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票」(以下、“沖縄県民投票”)の実施が予定されています。この沖縄県民投票に関して、これまでに沖縄県の5市(宜野湾・宮古島・沖縄・石垣・うるま)が不参加を表明。結果的に現状では沖縄県民の約3割が投票権を行使できないこととなり、“参政権の侵害”ということで全国的に話題を呼び大問題となっています。
もともとこの沖縄県民投票は、2018年5月に、元山仁士郎さんが代表を務める「辺野古県民投票の会」が県民投票実施に向けた署名集めを開始し、同9月に住民投票実施に必要な有権者数の50分の1(約23,000筆)を大きく超え、約4倍にあたる92,848筆の署名を集めて県議会へ条例案を提出し、直接請求したことがきっかけでした。
その後、同10月に沖縄県民投票の実施案は賛成多数で沖縄県議会で可決され、今年の2月24日の実施が決定していました。
★沖縄県民投票不参加に対する“ハンガーストライキ”
こうした中で、「県民投票の会」代表の元山さんは、沖縄県民投票に対して不参加を表明した5市に対して正当に申し入れをしましたが受け入れられず、最終手段として、1月15日の朝8時から宜野湾市役所前で“ハンガーストライキ”(以下、“ハンスト”)に突入することとなりました。この記事を書いている1月19日現在、元山さんのハンストは5日目に突入しているわけですが、“ハンスト”により水と塩の摂取のみで過ごしている元山さんの体力は確実に奪われてきています。元山さんの身に、もしものことが起きることのないよう、心よりお祈りしています。
★“ハンガーストライキ”なるものについて
ところで、“ハンガーストライキ”というのは、一言でいうと“断食をすることによる示威行動”です。歴史的にはマハトマ・ガンディーが始めて行ったとされますが、日本においては安保法案をめぐって2015年に学生が国会前で行ったことが、皆さんにとっては記憶の新しいところであるかもしれません。
私自身、沖縄県民の意思表示の機会を奪う5市の首長、そしてそれを裏で手をひいている政権与党については全くもって、怒り心頭なのですが、こんなことを述べながらも非常に書きにくいことなのですが、実は私自身“ハンスト”というものに関しては“否定派”なのです。
なぜかというと、“ハンスト”というものは、断食を通じて行うために必然的に当事者の身体に悪影響を及ぼし、また場合によって“命”にかかわる行動です。実際に“断食を行っている人”と“示威行動を行っている人”が同一人物であるために、他者に対して危害を及ぼすものではありません。しかし、いくら他者に危害を及ぼさないとはいえ、自身というひとりの人間の“身体と命”を盾に行う示威行動は一種の“暴力”であり、“脅迫”に等しいものだと私自身考えています。だからこそ、私はこれまでもこれからも“ハンスト”なるものを認めるつもりはありません。
★沖縄県民投票への不参加は“参政権”の侵害
しかし、私が“ハンスト”を認めないということが、同時に元山さんの行動を認めないことに繋がるかと言えば決してそうではありません。むしろ私は、元山さんのその決意と行動に対して心から応援し支持しています。なぜなら、元山さんが“ハンスト”を通じて要求しているものは、日本人として“至極まっとうな権利の保障”ということだからです。
そもそも沖縄県民投票の実施については、誰から見ても正当な民主的手続きを踏んで決定したものです。正当な民主的手続きによって決定した沖縄県民投票において保障されたはずの住民の意思表示の機会が、時の権力者である各市の首長により強引に奪われてしまうのであれば、それは“参政権の侵害”以外のなにものでもなく、決して許されることではありません。
★元山さんはなぜ“ハンスト”をしなければならなかったのか?
そもそも、なぜ元山さんは“ハンスト”という、一種の暴力ともいえる行動をしなければならなかったのでしょうか。
K・マルクスは「時の社会的権力者の側からのいかなる強力的妨害も立ちはだからない限りにおいて、ある歴史的発展は『平和的』であり続ける」(マルクス・社会主義者取締法に関する帝国議会討論の概要から)と過去に述べたことがありますが、現代の日本のように議会制民主主義が確立した国においては、政治・社会変革はもはや基本的に“暴力”とは無縁のものとなっています。
もし現在の日本において、“ハンスト”という方法とはいえ、平和的とは言い切れず、ある種の暴力性を含む示威行動をとらざるをえない状況が存在してしまっているのだとすれば、それは時の社会的権力者による”強力的妨害”がそこに生じてしまっているということに他なりません。
今回の“ハンスト”の問題の本質は、元山さんの”ハンスト”という行動の是非ではなく、元山さんが「なぜ“ハンスト”という手段をとらなければならなかったのか」ということであり、それはまぎれもなく、“権力者の側が住民にとって当然の参政権を侵害しているから”ということに他なりません。沖縄の5市の首長、そしてそれを裏で糸を引いている政権与党の方々には、民主国家である日本において、“ハンスト”という手段を取らざるを得ないような状況に住民を追い込んでしまったという事実を深く恥じて欲しいと心から願います。
★沖縄県民すべてに意見表明の権利を。そして元山さんに一刻も早くあたたかい食事を・・
そして最後に、沖縄県民投票に不参加を表明した5市の首長さんには、住民の方々に対して当たり前の意見表明の権利、参政権を保障してほしいと思います。そしてそれを一刻も早く実現し、そのことを通じて元山さんに一刻も早く温かい食事を食べてもらえるように行動を起こしてほしいと心から願います。
25年ぶりの”けんけんぱ”
★久しぶりに通った通学路で
先日、近所で行われた講演会に参加する機会がありました。参加するにあたり、当該会場では車の駐車スペースが限られていたこともあって、車ではなく歩いていくことに。昨年まで住んでいた山梨でも今いる実家でもずっと車移動ばかりの日々だったので、歩いての外出は久しぶりのことでした。
実家から会場までは歩いておよそ30分の距離。偶然ですが、通り道には私が以前通っていた小学校があり、およそ25年ぶりに当時の“通学路”を通って会場に向かうことにしました。
出発してしばらくすると、何やらアスファルトで出来た道の真ん中に、白いチョークのようなもので何かが書かれているのを見つけました。近づいて見てみると、“けんけんぱ”で使う〇や△のマークが書かれていたのです。
みなさんは、“けんけんぱ”という遊びはご存知ですよね。地面などに白いチョークなどで〇や△を書き、その中を片足、または両足で「けんけんぱ」などと声を出しながら進んでいく遊びです。きっと、このマークが書かれていた道の前の家の子がここで遊んでいたのだと思いますが、よくよく考えてみると、私が小学生だった頃、この道を通学のために通っていた時も、まったく同じこの場所に“けんけんぱ”のマークが書かれていたことを思い出しました。おそらくこの家の親御さん、もしくは祖父母の方が当時と同じように自分の子どもに教えたのでしょう。
いずれにせよ、25年程前に子どもだった子が時を経て親となり、その子どもがまた同じ場所で“けんけんぱ”で遊んでいる、そう考えると何か感慨深い気持ちになりました。
★世界中の子どもが遊ぶ“けんけんぱ”
日本において世代を問わず知られている“けんけんぱ”。実は調べてみると、日本だけではなく世界中の子どもたちの間で遊ばれているということがわかりました。
もちろん、国によって呼ばれている例を挙げれ名前は異なりますが、いくつか例を挙げると、米・英『ホップスコッチ』、ロシア『クラスィキイ』、フランス『マレル』、イタリア『カンバーノ』、ドイツ『ヒーゲルカステン』等々。ルールも同様に国によって微妙に違う点はありますが、いずれにせよ“けんけんぱ”に類する遊びが世界各国に存在するのです。
いったいなぜ、“けんけんぱ”は世界中に類する遊びが存在するのでしょうか。このことについて、教育学者の太田堯さんは、「こどもの遊びに歴史や地域が違っても共通性がみられるのは、それが生物に共通の発達要求にもとづくものだから」(『教育とは何か』P133 岩波新書/1990)と指摘しています。
“遊び”と“発達”という言葉が出てきましたが、この2つのことがすぐには結びつかない方も中にはいらっしゃるかもしれません。しかし、“遊び”と“発達”というものは非常に強い関連性を持っているのです。
フランスの精神科医でもあり、児童心理学者でもあったH.ワロンによれば、「こどもの遊びは、あらわれたばかりの機能を使うことからはじまる」(『科学としての心理学』P172 誠信書房/1960)とされ、子どもはある要求を実現するために、自身の中でばらばらに存在する身体の諸機能について、遊びを通じて利用し、それらを統合することによって諸能力を発達させ、その達成を可能にします。
このように子どもにとっての遊びとは、自身の諸能力を発達させるものであり、また同時に「子どもが、さまざまな能力をもった自分というものを体験することができる」(H.ワロン)行為でもあるわけです。
こうしたことを踏まえると、“けんけんぱ”という遊びには、生物に共通の発達要求に基づいてその諸能力を発達させるような、何か合理的な要素が含まれているのではないかと考えられます。
★発達診断にも利用される“けんけんぱ”
実は、“けんけんぱ”という遊びが人間の発達と深く関わっているという事実は私たちの身近なところでも確認できるのです。事実、3-7歳児の発達診断においてよく利用されている「新版K式発達検査」では、その検査項目の一つとして“けんけんぱ”が全身運動としての姿勢運動領域を検査する目的で幅広く用いられています。
“けんけんぱ”を通じて身につけることができる諸能力は、子どもの発達にとって非常に重要なものであり、生物学的な発達要求にもとづく合理性が存在する。だからこそ“けんけんぱ”は世界中の親子に今でも愛され続けているのではないでしょうか。
★“けんけんぱ”のわかちつたえから垣間見える愛情の連鎖
あの場所で“けんけんぱ”をしていた子どもに教えていたのが、その親御さんもしくは祖父母の方なのかはわかりません。しかしいずれにせよ、“けんけんぱ”を子どもに教えるその過程において、教える側の大人のかたは、自身が幼かった時にそのまた親御さんもしくは祖父母の方に”けんけんぱ”を教えられた時のことを思い出したに違いありません。
太田堯さんは、「こうした遊びは、一人ひとりの子どもが大人になる過程で、人間性の開花を促す意味をもった行動として、世代から世代へと伝えられてきた」(前掲P134)と述べています。あの場所で“けんけんぱ”を子どもに教えた大人のかたも、そしてその大人のかたが幼かったときに”けんけんぱ”を教えたおとなのかたも、いずれもその時々の子どもの発達と成長を願う強い気持ちがあったに違いありません。そして同時に親から子へと、”けんけんぱ”という遊びを教えるプロセスを通じて、その愛情とぬくもりも代々一緒に伝えられていったのでしょう。
私が先日そして25年前にみた、あの“けんけんぱ”のチョークの文字は、そうして代々伝えられてきた、大人たちの子どもを想う愛情の連鎖ともいえるその片鱗だったのかもしれません。
先日、“けんけんぱ”を教わった子も、自身が親になった時に代々受け継がれてきた愛情とともに“けんけんぱ”を子どもに伝えることでしょう。
それが20年後、もしくは30年後かいつになるかもまだわからないですが、またあの同じ場所に“けんけんぱ”の跡を見られる日を楽しみに待ちたいと思います。
※教育学者の太田堯さんは、昨年12月に他界されました。心よりご冥福をお祈りいたします。
先日、近所で行われた講演会に参加する機会がありました。参加するにあたり、当該会場では車の駐車スペースが限られていたこともあって、車ではなく歩いていくことに。昨年まで住んでいた山梨でも今いる実家でもずっと車移動ばかりの日々だったので、歩いての外出は久しぶりのことでした。
実家から会場までは歩いておよそ30分の距離。偶然ですが、通り道には私が以前通っていた小学校があり、およそ25年ぶりに当時の“通学路”を通って会場に向かうことにしました。
出発してしばらくすると、何やらアスファルトで出来た道の真ん中に、白いチョークのようなもので何かが書かれているのを見つけました。近づいて見てみると、“けんけんぱ”で使う〇や△のマークが書かれていたのです。
みなさんは、“けんけんぱ”という遊びはご存知ですよね。地面などに白いチョークなどで〇や△を書き、その中を片足、または両足で「けんけんぱ」などと声を出しながら進んでいく遊びです。きっと、このマークが書かれていた道の前の家の子がここで遊んでいたのだと思いますが、よくよく考えてみると、私が小学生だった頃、この道を通学のために通っていた時も、まったく同じこの場所に“けんけんぱ”のマークが書かれていたことを思い出しました。おそらくこの家の親御さん、もしくは祖父母の方が当時と同じように自分の子どもに教えたのでしょう。
いずれにせよ、25年程前に子どもだった子が時を経て親となり、その子どもがまた同じ場所で“けんけんぱ”で遊んでいる、そう考えると何か感慨深い気持ちになりました。
★世界中の子どもが遊ぶ“けんけんぱ”
日本において世代を問わず知られている“けんけんぱ”。実は調べてみると、日本だけではなく世界中の子どもたちの間で遊ばれているということがわかりました。
もちろん、国によって呼ばれている例を挙げれ名前は異なりますが、いくつか例を挙げると、米・英『ホップスコッチ』、ロシア『クラスィキイ』、フランス『マレル』、イタリア『カンバーノ』、ドイツ『ヒーゲルカステン』等々。ルールも同様に国によって微妙に違う点はありますが、いずれにせよ“けんけんぱ”に類する遊びが世界各国に存在するのです。
いったいなぜ、“けんけんぱ”は世界中に類する遊びが存在するのでしょうか。このことについて、教育学者の太田堯さんは、「こどもの遊びに歴史や地域が違っても共通性がみられるのは、それが生物に共通の発達要求にもとづくものだから」(『教育とは何か』P133 岩波新書/1990)と指摘しています。
“遊び”と“発達”という言葉が出てきましたが、この2つのことがすぐには結びつかない方も中にはいらっしゃるかもしれません。しかし、“遊び”と“発達”というものは非常に強い関連性を持っているのです。
フランスの精神科医でもあり、児童心理学者でもあったH.ワロンによれば、「こどもの遊びは、あらわれたばかりの機能を使うことからはじまる」(『科学としての心理学』P172 誠信書房/1960)とされ、子どもはある要求を実現するために、自身の中でばらばらに存在する身体の諸機能について、遊びを通じて利用し、それらを統合することによって諸能力を発達させ、その達成を可能にします。
このように子どもにとっての遊びとは、自身の諸能力を発達させるものであり、また同時に「子どもが、さまざまな能力をもった自分というものを体験することができる」(H.ワロン)行為でもあるわけです。
こうしたことを踏まえると、“けんけんぱ”という遊びには、生物に共通の発達要求に基づいてその諸能力を発達させるような、何か合理的な要素が含まれているのではないかと考えられます。
★発達診断にも利用される“けんけんぱ”
実は、“けんけんぱ”という遊びが人間の発達と深く関わっているという事実は私たちの身近なところでも確認できるのです。事実、3-7歳児の発達診断においてよく利用されている「新版K式発達検査」では、その検査項目の一つとして“けんけんぱ”が全身運動としての姿勢運動領域を検査する目的で幅広く用いられています。
“けんけんぱ”を通じて身につけることができる諸能力は、子どもの発達にとって非常に重要なものであり、生物学的な発達要求にもとづく合理性が存在する。だからこそ“けんけんぱ”は世界中の親子に今でも愛され続けているのではないでしょうか。
★“けんけんぱ”のわかちつたえから垣間見える愛情の連鎖
あの場所で“けんけんぱ”をしていた子どもに教えていたのが、その親御さんもしくは祖父母の方なのかはわかりません。しかしいずれにせよ、“けんけんぱ”を子どもに教えるその過程において、教える側の大人のかたは、自身が幼かった時にそのまた親御さんもしくは祖父母の方に”けんけんぱ”を教えられた時のことを思い出したに違いありません。
太田堯さんは、「こうした遊びは、一人ひとりの子どもが大人になる過程で、人間性の開花を促す意味をもった行動として、世代から世代へと伝えられてきた」(前掲P134)と述べています。あの場所で“けんけんぱ”を子どもに教えた大人のかたも、そしてその大人のかたが幼かったときに”けんけんぱ”を教えたおとなのかたも、いずれもその時々の子どもの発達と成長を願う強い気持ちがあったに違いありません。そして同時に親から子へと、”けんけんぱ”という遊びを教えるプロセスを通じて、その愛情とぬくもりも代々一緒に伝えられていったのでしょう。
私が先日そして25年前にみた、あの“けんけんぱ”のチョークの文字は、そうして代々伝えられてきた、大人たちの子どもを想う愛情の連鎖ともいえるその片鱗だったのかもしれません。
先日、“けんけんぱ”を教わった子も、自身が親になった時に代々受け継がれてきた愛情とともに“けんけんぱ”を子どもに伝えることでしょう。
それが20年後、もしくは30年後かいつになるかもまだわからないですが、またあの同じ場所に“けんけんぱ”の跡を見られる日を楽しみに待ちたいと思います。
※教育学者の太田堯さんは、昨年12月に他界されました。心よりご冥福をお祈りいたします。
『ありがとう』と『ごめんね』~once again~
【2019年あけましておめでとうございます!】
2019年になり2週間が経とうとしています。
年初早々から、世界でも日本でも物騒な出来事が相次いでいます。
アメリカでは、国境での壁建設をめぐる予算案をめぐり政府機能が停止。日本に関しては、韓国籍の駆逐艦による航空自衛隊機へのレーダー照射問題をめぐって、急速に日韓関係が悪化するなど話題に事欠かない日々が続いております。
そんな社会情勢の中で、私事となりますが、私自身4日前から体中に蕁麻疹が発生し、2-3日全く動けない状態となっていました・・(-_-;)
・・と、年明け早々波乱万丈の毎日ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
【母の死から1年経って・・】
ところで、今月の27日(日)に、私の母の1周忌の法要をとり行うこととなりました。実際に母が亡くなったのは一昨年の11月29日だったのですが、私の妹の出産の都合上、法要自体は年明けということに決めてありました。
母が亡くなってからすでに1年が経過しているわけですが、正直その悲しみや後悔の念は、ほとんど変わらないように私自身感じています。正確に言えば、母が亡くなった直後の悲しみや後悔といった点では、この1年のあいだに少しずつ薄まりつつあるのですが、それとは別に、1年前には全く感じていなかった別種の悲しみや後悔の念が新たに私の心の中に次々と生まれ、その総体としての大きさは変わらない、といったところでしょうか。
【母の背負っていたモノ、気づいていなかった苦労】
この1年のあいだに私の中で気づかされた新たな悲しみや後悔、それは一体どのようなものであったのか。一言でいうなら、それまで私が気づいていなかった、母の背負っていた苦労などについての認識でした。
母が亡くなった後、現在実家には父親一人となってしまったために、母が生前やっていた家のことはすべて私がやらなければならないこととなってしまったわけですが、実際に自分が担ってみると、その大変さは想像以上でした。
私がそれまで住んでいた山梨を離れ、昨年5月に実家に戻り、家のことをやり始めました。炊事や掃除・洗濯などの家事をはじめ家計の管理、施設に預けている祖母への対応、ご近所関係や親戚付き合い、例を挙げればきりがないですが、そのいずれもが苦労を伴うものでした。
実際に自分が母の立場に立たされることで、私自身がこれまで実家を離れて自身の生活だけ考えていられたこと、実家に帰省した時に何不自由なく生活ができていたこと、そのすべては私の目に映らないところで母親が身を粉にして懸命に働いていてくれたことで成り立っていたものなのだと、この1年間で心から痛感させられました。
そんな母に対して今、私ができることと言えば、毎日仏壇に手をあわせることぐらいです。しかし、日々募る感謝の気持ちは、母が亡き今、もうどうやっても伝えることはできません。
【感謝の気持ちは、何かあってからじゃ間に合わない】
そう、1年半前の夏、母に膵臓癌末期の診断が下されたあの瞬間に、私が母に対して感謝の気持ちを伝える機会というものは永遠に失われてしまったのだと思います。
このように書くと、読んでいただいている皆さんにとっては、「どうして?病気になってしまったからとはいえ、その時点で亡くなってしまっていたわけではないのだから伝える機会はいくらでもあるはずじゃないか?」と思われるかもしれません。しかし、やはり膵臓癌末期の診断とともに、母の余命がある程度宣告されてしまった時点で、感謝の気持ちを伝える機会は永遠に失われてしまったと私は考えます。いや、“伝えることができなくなってしまった”のです。
もし皆さんが重篤な病気に罹り、余命宣告を受けてしまったと想像してください。そんな時に家族から、「今までありがとう」と言われたらどう思うでしょうか。当然、嬉しく思う気持ちもあるでしょうが、それ以上に「ああ、私はもう駄目なんだな・・」と思ってしまうのではないでしょうか。
加えて私の母の場合は、膵臓癌が発覚する以前にも、数度にわたり膀胱癌の闘病生活を乗り越えてきたという経験があり、だからこそ母は膵臓癌が告知された時も「癌=死じゃない。今回もあきらめないからね」と周囲に対して気丈に癌とたたかう姿勢を見せていました。
こうした母の気概が感謝の気持ちを伝えようとする私の口を、余計に重く閉ざしてしまうことになりました。なぜなら、癌に対して気丈にたたかう姿勢を見せている母に対して、感謝の気持ちを伝えるということは、母に「もう頑張ったって無理なんだよ」と間接的に伝えることになり、本人の気持ちを折ってしまうことにも繋がりかねないからです。
このように、癌が告知され余命宣告がされてしまった以上、感謝の気持ちを本人に伝えるという行為は、いわゆる“最終宣告”に等しいものとなってしまうわけです。これから辛い闘病生活を送らなければならない当事者にとって、本人の気力はなにより大事なものです。感謝の気持ちを伝える行為が、同時に最終宣告を示すものとなってしまった以上、本人の気力を折りかねないその行為は永遠に封印されてしまったのです。
そう、感謝の気持ちを伝えるということは、何かあってからでは間に合わないのです。
結局、私が母に対して「今までありがとう」と感謝の気持ちを伝えることができたのは、痛みがひどくなり、モルヒネ投与を実施することになった前日のことでした。
ご存知の方も多いでしょうが、モルヒネは人によっては投与後まもなく思考停止状態に陥ってしまう方も存在します。モルヒネ投与が開始されれば、母と会話をすることは不可能になってしまうかもしれない。もうここで言わなければ後はない。そんな客観的状況になってはじめて私は母に感謝の気持ちを伝えることができました。
しかし、その時には母は身体の痛みもありましたし、私の言葉を聞き、心の中で「ああ、いよいよなんだな・・」と思ったに違いありません。そんな状況で私の感謝の気持ちはどれだけ母に伝わったのでしょうか・・。いや、ほとんど伝わらなかったのだと思います。そういう意味でも、何かあってからでは感謝の気持ちというものはやはり伝えることはできないのです。
【同じく母を癌でなくした経験を持つ一青窈さん】
そんなことを考えながら日々を生活していたわけですが、先日、デパートの売り場で、アーティストの“一青窈”さんの名前を久しぶりにお店で見かけました。実は私は以前から一青窈さんのファンで、このブログでも何度か一青さんに関連した記事を書いたことがあるにです。
一青さんも実は母親を癌で早いうちに亡くしており、そのことが一青さんのライフワークというか音楽表現活動のベースになっているようです。一青さんの公式HPの“message”では以下の通り一青さんの気持ちが綴られています。
Message
私の歌のテーマは〈生と死〉に向き合ってます。
生きている間にどれほどの事ができるか
わからない
けれども、終わってしまうからこそ 頑張れる
だから〈今〉が大事なんだと思う。
父が他界した時は
私は余りにも幼すぎて
〈死〉の意味がよくわかりませんでした。
伝えたいことは後からあとからあふれて
その想いを手紙にしたためては
枕の下にいれて眠りました。
その後、母も癌で入院し
余命いくばくもない時期に
コンサートに行きたいと言いました。
帰ってきたらそれは!それは!飛びきりの笑顔で
嘘みたいに元気になっていました。
そのとき、私は
音楽にはmiracleなpowerがあると感じたのです。
大切な人が生きているうちに
ありがとう
と
ごめんね
は、出し惜しみしちゃダメだと
そう思って今に至ります。
失ってから気づくことだらけだけれども
私にはまだまだやりたいこと
もっとできることが きっと、あるんだと思う
病院の敷地内に音楽hallがあって
外出許可の出ない患者さんも
生のライブを聴くことができたら
あの日の母はもっと喜んだかもしれない。
そんな風に誰かにとっての大好きな人が
元気になる歌が唄えたらいいなと思って
あなたの人生の道の途中に
私の言葉や歌が在ったならば
それはすごく幸せです。
あなたにありがとうを言いたくて
私はうたを歌う
一青 窈
とても素晴らしいメッセージですよね。早くにお母さんを癌で亡くした体験がルーツとなり、「ありがとうを言いたくて 私はうたを歌う」それが一青さんのライフワークとなっていることがよくわかります。
【8年前の“誓い”とそれを守れなかったことに対する後悔】
私は一青窈さんのこのmessageに関連して、私は一度このブログで記事を過去に書いたことがありました。およそ8年前のことです。(当時のブログの記事は以下のURL参照)
https://alter-dairy-of-life.blog.so-net.ne.jp/2010-04-22-1
この記事を私が書いたときには、まさか自分の母親を一青さんと同じように亡くすことになるとは思ってもいませんでした。そして、そういうことがもし現実になってしまった時のためにも、一青さんのmessageにもあるように、“『ありがとう』と『ごめんね』は出し惜しみしちゃだめだよ”と私自身に向けても書いたつもりであったのにも関わらず、7年後の一昨年、母が膵臓癌の告知を受けてしまったことで、『ありがとう』と『ごめんね』を出し惜しみしたことを痛烈に後悔することとなりました。
本当に皮肉なことだし、やりきれない思いです。
だからこそ、こうした想いを二度と私自身繰り返さないために、そしてこの記事を読んでくれている皆さんにも味わってほしくないからこそ、もう一度繰り返し、この言葉をここで紡ぎたいと思います。
『ありがとう』
と
『ごめんね』
は、出し惜しみしちゃだめだよ
2019年になり2週間が経とうとしています。
年初早々から、世界でも日本でも物騒な出来事が相次いでいます。
アメリカでは、国境での壁建設をめぐる予算案をめぐり政府機能が停止。日本に関しては、韓国籍の駆逐艦による航空自衛隊機へのレーダー照射問題をめぐって、急速に日韓関係が悪化するなど話題に事欠かない日々が続いております。
そんな社会情勢の中で、私事となりますが、私自身4日前から体中に蕁麻疹が発生し、2-3日全く動けない状態となっていました・・(-_-;)
・・と、年明け早々波乱万丈の毎日ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
【母の死から1年経って・・】
ところで、今月の27日(日)に、私の母の1周忌の法要をとり行うこととなりました。実際に母が亡くなったのは一昨年の11月29日だったのですが、私の妹の出産の都合上、法要自体は年明けということに決めてありました。
母が亡くなってからすでに1年が経過しているわけですが、正直その悲しみや後悔の念は、ほとんど変わらないように私自身感じています。正確に言えば、母が亡くなった直後の悲しみや後悔といった点では、この1年のあいだに少しずつ薄まりつつあるのですが、それとは別に、1年前には全く感じていなかった別種の悲しみや後悔の念が新たに私の心の中に次々と生まれ、その総体としての大きさは変わらない、といったところでしょうか。
【母の背負っていたモノ、気づいていなかった苦労】
この1年のあいだに私の中で気づかされた新たな悲しみや後悔、それは一体どのようなものであったのか。一言でいうなら、それまで私が気づいていなかった、母の背負っていた苦労などについての認識でした。
母が亡くなった後、現在実家には父親一人となってしまったために、母が生前やっていた家のことはすべて私がやらなければならないこととなってしまったわけですが、実際に自分が担ってみると、その大変さは想像以上でした。
私がそれまで住んでいた山梨を離れ、昨年5月に実家に戻り、家のことをやり始めました。炊事や掃除・洗濯などの家事をはじめ家計の管理、施設に預けている祖母への対応、ご近所関係や親戚付き合い、例を挙げればきりがないですが、そのいずれもが苦労を伴うものでした。
実際に自分が母の立場に立たされることで、私自身がこれまで実家を離れて自身の生活だけ考えていられたこと、実家に帰省した時に何不自由なく生活ができていたこと、そのすべては私の目に映らないところで母親が身を粉にして懸命に働いていてくれたことで成り立っていたものなのだと、この1年間で心から痛感させられました。
そんな母に対して今、私ができることと言えば、毎日仏壇に手をあわせることぐらいです。しかし、日々募る感謝の気持ちは、母が亡き今、もうどうやっても伝えることはできません。
【感謝の気持ちは、何かあってからじゃ間に合わない】
そう、1年半前の夏、母に膵臓癌末期の診断が下されたあの瞬間に、私が母に対して感謝の気持ちを伝える機会というものは永遠に失われてしまったのだと思います。
このように書くと、読んでいただいている皆さんにとっては、「どうして?病気になってしまったからとはいえ、その時点で亡くなってしまっていたわけではないのだから伝える機会はいくらでもあるはずじゃないか?」と思われるかもしれません。しかし、やはり膵臓癌末期の診断とともに、母の余命がある程度宣告されてしまった時点で、感謝の気持ちを伝える機会は永遠に失われてしまったと私は考えます。いや、“伝えることができなくなってしまった”のです。
もし皆さんが重篤な病気に罹り、余命宣告を受けてしまったと想像してください。そんな時に家族から、「今までありがとう」と言われたらどう思うでしょうか。当然、嬉しく思う気持ちもあるでしょうが、それ以上に「ああ、私はもう駄目なんだな・・」と思ってしまうのではないでしょうか。
加えて私の母の場合は、膵臓癌が発覚する以前にも、数度にわたり膀胱癌の闘病生活を乗り越えてきたという経験があり、だからこそ母は膵臓癌が告知された時も「癌=死じゃない。今回もあきらめないからね」と周囲に対して気丈に癌とたたかう姿勢を見せていました。
こうした母の気概が感謝の気持ちを伝えようとする私の口を、余計に重く閉ざしてしまうことになりました。なぜなら、癌に対して気丈にたたかう姿勢を見せている母に対して、感謝の気持ちを伝えるということは、母に「もう頑張ったって無理なんだよ」と間接的に伝えることになり、本人の気持ちを折ってしまうことにも繋がりかねないからです。
このように、癌が告知され余命宣告がされてしまった以上、感謝の気持ちを本人に伝えるという行為は、いわゆる“最終宣告”に等しいものとなってしまうわけです。これから辛い闘病生活を送らなければならない当事者にとって、本人の気力はなにより大事なものです。感謝の気持ちを伝える行為が、同時に最終宣告を示すものとなってしまった以上、本人の気力を折りかねないその行為は永遠に封印されてしまったのです。
そう、感謝の気持ちを伝えるということは、何かあってからでは間に合わないのです。
結局、私が母に対して「今までありがとう」と感謝の気持ちを伝えることができたのは、痛みがひどくなり、モルヒネ投与を実施することになった前日のことでした。
ご存知の方も多いでしょうが、モルヒネは人によっては投与後まもなく思考停止状態に陥ってしまう方も存在します。モルヒネ投与が開始されれば、母と会話をすることは不可能になってしまうかもしれない。もうここで言わなければ後はない。そんな客観的状況になってはじめて私は母に感謝の気持ちを伝えることができました。
しかし、その時には母は身体の痛みもありましたし、私の言葉を聞き、心の中で「ああ、いよいよなんだな・・」と思ったに違いありません。そんな状況で私の感謝の気持ちはどれだけ母に伝わったのでしょうか・・。いや、ほとんど伝わらなかったのだと思います。そういう意味でも、何かあってからでは感謝の気持ちというものはやはり伝えることはできないのです。
【同じく母を癌でなくした経験を持つ一青窈さん】
そんなことを考えながら日々を生活していたわけですが、先日、デパートの売り場で、アーティストの“一青窈”さんの名前を久しぶりにお店で見かけました。実は私は以前から一青窈さんのファンで、このブログでも何度か一青さんに関連した記事を書いたことがあるにです。
一青さんも実は母親を癌で早いうちに亡くしており、そのことが一青さんのライフワークというか音楽表現活動のベースになっているようです。一青さんの公式HPの“message”では以下の通り一青さんの気持ちが綴られています。
Message
私の歌のテーマは〈生と死〉に向き合ってます。
生きている間にどれほどの事ができるか
わからない
けれども、終わってしまうからこそ 頑張れる
だから〈今〉が大事なんだと思う。
父が他界した時は
私は余りにも幼すぎて
〈死〉の意味がよくわかりませんでした。
伝えたいことは後からあとからあふれて
その想いを手紙にしたためては
枕の下にいれて眠りました。
その後、母も癌で入院し
余命いくばくもない時期に
コンサートに行きたいと言いました。
帰ってきたらそれは!それは!飛びきりの笑顔で
嘘みたいに元気になっていました。
そのとき、私は
音楽にはmiracleなpowerがあると感じたのです。
大切な人が生きているうちに
ありがとう
と
ごめんね
は、出し惜しみしちゃダメだと
そう思って今に至ります。
失ってから気づくことだらけだけれども
私にはまだまだやりたいこと
もっとできることが きっと、あるんだと思う
病院の敷地内に音楽hallがあって
外出許可の出ない患者さんも
生のライブを聴くことができたら
あの日の母はもっと喜んだかもしれない。
そんな風に誰かにとっての大好きな人が
元気になる歌が唄えたらいいなと思って
あなたの人生の道の途中に
私の言葉や歌が在ったならば
それはすごく幸せです。
あなたにありがとうを言いたくて
私はうたを歌う
一青 窈
とても素晴らしいメッセージですよね。早くにお母さんを癌で亡くした体験がルーツとなり、「ありがとうを言いたくて 私はうたを歌う」それが一青さんのライフワークとなっていることがよくわかります。
【8年前の“誓い”とそれを守れなかったことに対する後悔】
私は一青窈さんのこのmessageに関連して、私は一度このブログで記事を過去に書いたことがありました。およそ8年前のことです。(当時のブログの記事は以下のURL参照)
https://alter-dairy-of-life.blog.so-net.ne.jp/2010-04-22-1
この記事を私が書いたときには、まさか自分の母親を一青さんと同じように亡くすことになるとは思ってもいませんでした。そして、そういうことがもし現実になってしまった時のためにも、一青さんのmessageにもあるように、“『ありがとう』と『ごめんね』は出し惜しみしちゃだめだよ”と私自身に向けても書いたつもりであったのにも関わらず、7年後の一昨年、母が膵臓癌の告知を受けてしまったことで、『ありがとう』と『ごめんね』を出し惜しみしたことを痛烈に後悔することとなりました。
本当に皮肉なことだし、やりきれない思いです。
だからこそ、こうした想いを二度と私自身繰り返さないために、そしてこの記事を読んでくれている皆さんにも味わってほしくないからこそ、もう一度繰り返し、この言葉をここで紡ぎたいと思います。
『ありがとう』
と
『ごめんね』
は、出し惜しみしちゃだめだよ
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