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”障害”という言葉の持つ意味①

【先輩の告白から】

今年の3月くらいだったかな・・・とある合宿に私は参加していました。一泊二日の合宿の一日目の夜に交流会をやるのは恒例です。その夜の交流会にて、先輩が自分自身について大事な告白をしてくれました。

「ぼくは”発達障害”なんだ。」

先輩とは10年以上の付き合いですが、発達障害を抱えているという話は初めて聞きました。

先輩としては以前から、自分は”何か人とは違う”という想いを持ってたのかも知れません。本人はそのことを、心療内科か精神科のお医者さんに告げられたらしいのですが、本人的には「やっぱり・・」という気持ちとともに何かつきものがおちたかのようにスッキリとした感があったのでしょう。医者に指摘された当時の心境を語る先輩の表情からはどこか安堵した気持ちが垣間見えたし、事実を受け止めて自分なりの再出発を試みようとする強い意志も感じました。

しかし私の気のせいかもしれませんが、その表情にはもうひとつどこか達観して、あきらめの感覚を抱えているように見えたのです。


【”障害”というカテゴリーの持つ意味】

障害という言葉をめぐって、現在では”障害”という言葉を”障がい”と使っている場面も多く見られるようになりました。特に日本では言葉の問題だけでなく”障害”というもの自体が悪いものに見られているそんな風潮がありますし、そのせいで ”障害”を抱える人々は差別や不均等待遇などの様々な社会的不利益を被っているように思えます。


後で詳しく述べますが、近年”発達障害者支援法”なるものができたりと、こういう言い方は良いのか悪いのかわかりませんがこれまで”障害者”と”健常者”のグレーゾーンにあった人たちに、社会的に支援が行き届く条件が(不十分ながらも)整備されたことには大きな意義がありました。この対象になる方については、自身は障害者と認定されたわけですけれども、それによってそれなりの支援を受けることができるようになったわけですから、この場合は”障害”という言葉が対象の方にとって決して悪いことだけではなく、ポジティブな意味を持っていたと思います。


本来”障害”という言葉は、このように、”障害”そのものを適切に理解し、社会的に認知を深めることで、障害を抱えた人に対しても尊厳ある生活を送れるように保障する、そうしたためにあるものだと思うのです。それは決して障害者を”障害を持つもの”として一般の人とは別の存在として差別化し、異なった処遇をするためにあるわけではないのです。


しかし、世間的には”障害”という言葉はまだそれほどポジティブな意味を持ってはいないので、人によっては「自分は”障害者”だから」ということで、自分自身のいろいろな可能性を自ら否定してしまう。”障害”を抱えるということをそういうネガティブな意味で捉えてしまう人も多いのではないかと思います。

先述した先輩も、自分が発達障害者と指摘されたことで、ポジティブな捉え方ができた反面、ネガティブ面をも抱え込んでしまっている、そんな風に見えました。


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