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自分の人生


最近何かと自分の自己紹介をする機会が多いのです。春になったからかな・・。自己紹介の際に必ず聞かれるのが「趣味はなんですか?」という質問。正直この質問ほど回答に窮するものは他にないと思う。なぜかって私自身、本当に趣味といえる趣味がないから。自分が”無趣味”なんだってこと。”普段自分なにやってるんだ”ということが否応に面と向かわされるあの感覚は本当苦手です。


 よくよく考えれば、私は小さい頃から無趣味でした。かといってなにもしなかったわけじゃない。人並みに漫画を読んだり、音楽を聴いたり、部活でサッカーをやっていたりはしたけれど、趣味といえるほど漫画も音楽も熱心だったわけじゃないし、サッカーについてもそう。


 大学生になってからは環境が変わって、サッカーも好きでやるようになったし、読書もそれまでの人生と比較したらかなり多くの本を読むようになったりした時期もあったけれど、仕事を始めた現在は、本当になにもやってない・・。そもそも自分が主体的に何かをやりたいと思うことすらない、そんな状況。


 「自分ってなにがやりたいんだろう」「どんな道を進めばいいんだろう」「そもそも自分って何?」という疑問が次々湧いてくる、それくらい自分の心の中ってがらんどう、そんな風に感じる。


 大まかな夢だけれど、仕事でもボランティアでも良いから”人の発達援助に携わりたい”って思った時期もあった。でも、これまでの自分の経験からそれは無理だなって悟った感もあるし、ある時後輩からは「先輩はいつも人のことばっかで・・」と指摘されて、他者の役に立つ程のことはできてないとは思うけれど、それ以前に自分の事をほったらかしにして関わってくる自分に対して厚かましさか何かは分からないけれど、違和感を感じていたんだろうなって気づかされたこともあった。


 やっぱり自分の人生を二の次にして、他の人の幸せを実現するなんてことはそもそもおかしいし不可能なのかもしれない。他者の幸せを本当に願うのであれば、自分の人生を幸せにすることと共に追求されるべきなんだろうなって思う。そう、自分の人生を生きることなしに、他者幸せというものは本当の意味で実現することはできないんだろうな・・。


 自分のことをさておいた他者への援助は時には依存とも言えるかもしれない。私自身、心の中の自分の空虚さを埋め合わせるために誰かに援助していたのではないかと問われたら反論しようがない。他者の幸せ自体を願うこと、それ自体は誰にも否定できないことだけれど、その他者とっての幸せの定義というものは、その他者以外のものが決めることではなく、その他者自身によって決められなければならないのだろうと思う。



 ”自分の人生を生きること”、すぐには答えがでない難しい問題だけれど、でも今私にとって必要なのはきっとそこなんだろうな・・。

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