「肩書き」と自分
最近、湯浅誠さんの『活動家一丁あがり!』(NHK出版新書)を読んでいる。その中で以下のような湯浅さんの言葉がありました。
「大企業を定年退職した人が、辞めた途端誰も付き合ってくれない状態になり、自分の力(自分の努力の結果)だと思っていたものが、所属企業の肩書にいかに依存していたかを知って愕然とする・・」
この言葉、今の自分に本当に戒めないといけないな・・ってそう感じました。
そうはいっても今の私に大した肩書があるわけではありません。職場では何一つ肩書のない事務員ですし。
でも、人ってそんな本当は自分の力ではなく、実は集団や組織として保有しているものであったり継承されているような”力”というものが至る所にあるのだと思うのです。
それを自分の力と勘違いしたままで、本当の自分の力や姿に目を向けないまま日常を過ごすのであれば、自らの本当の成長は望めません。もし、本当の自分の姿に目を向けないまま過ごすのであれば、それこそ上記の大企業を定年退職した人と同じように、愕然とする結末を迎えることとなるでしょう。
私自身仕事の上では何にも肩書はないけれどプライベートでは自分の所属している組織の肩書きに依拠して周囲の仲間との関係を保っているような現状があるのが課題だと思います。周囲の仲間に自らの意志と力で壁を乗り越えて関係を築いていく努力をしていきたいなってそう思いました。
「大企業を定年退職した人が、辞めた途端誰も付き合ってくれない状態になり、自分の力(自分の努力の結果)だと思っていたものが、所属企業の肩書にいかに依存していたかを知って愕然とする・・」
この言葉、今の自分に本当に戒めないといけないな・・ってそう感じました。
そうはいっても今の私に大した肩書があるわけではありません。職場では何一つ肩書のない事務員ですし。
でも、人ってそんな本当は自分の力ではなく、実は集団や組織として保有しているものであったり継承されているような”力”というものが至る所にあるのだと思うのです。
それを自分の力と勘違いしたままで、本当の自分の力や姿に目を向けないまま日常を過ごすのであれば、自らの本当の成長は望めません。もし、本当の自分の姿に目を向けないまま過ごすのであれば、それこそ上記の大企業を定年退職した人と同じように、愕然とする結末を迎えることとなるでしょう。
私自身仕事の上では何にも肩書はないけれどプライベートでは自分の所属している組織の肩書きに依拠して周囲の仲間との関係を保っているような現状があるのが課題だと思います。周囲の仲間に自らの意志と力で壁を乗り越えて関係を築いていく努力をしていきたいなってそう思いました。
2011-06-05 18:34
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