選挙と地域つながり
【市議会議員選挙の最中の出来事】
私の働いている地域では来月に市議会議員選挙が予定されています。私自身も現在、応援する候補者の当選を目指して活動中。そんな中で一つ考えさせられるエピソードがありました。
【離婚女性のその後の人生】
地域の知り合いの方を車で自宅まで送っていく機会があったのですが、その方は現在70歳前後の女性の方。数十年前にご主人とは理由ありで離婚されて以来、懸命に定年まで働き、現在は市営住宅に一人で暮らしている方でした。
今も昔も女性が単身で生活していくことは楽じゃありません。現に、この方も自身の生活のためによっぽど働き過ぎたのでしょう、ある時肩に痛みが走り整形外科を受診してみると、医師が驚くほど肩の骨がすり減っていたそうです。男性が肩の骨がすり減っていることは力仕事を長く続けてきた方なら珍しくはないそうなのですが、女性がここまですり減っていることは稀とのこと。どれだけこの方が懸命に働いてきたかの表れだと思います。
【定年後はゆっくり楽しもうと思ったのに・・】
それだけ働き続けてきたから、定年後はゆっくり過ごそうと思っていたのもつかの間、上記のような肩の痛みから始まり全身に痛みが走るようになってしまいました。「なってしまった」というのは正確な表現ではないかもしれません。きっとこの方が働いている時もすでに体は悲鳴を上げていたのでしょうが、懸命に働いているゆえに気付かなかっただけなのかもしれません。
定年後は好きな読書と旅行を楽しもうと思っていたのに、身体の痛みからそれらも満足にできないまま現在に至ります。「離婚も働き過ぎたのも自分で選んだことだからしょうがないことだけど・・」と物憂げに語る姿はなんとも言い難い雰囲気でした。
この方は離婚も働き過ぎも”自分の選択”と話していましたが、客観的にはきっとそうではないのだと思います。相手の男性の未熟さや、単身女性が生活していくためには、健康管理が行き届く以上の労働条件で働かざるをえない今の日本の社会保障の貧困が根底にはあったはずではないでしょうか。
【「私はなんにもつながりないから大丈夫よ」】
そんなことに想いを馳せながら、来月の市議会議員選挙のお願いをすると、「私は何にもつながりがないからだいじょうぶよ」と一言。
私はこの方のその言葉をきいて、私の応援している候補を支持してくれたという嬉しさよりも先に、またしても何ともいい難いせつなさを感じました。
私の働いている地域はとても田舎の地域です。市議会議員選挙というと、血縁関係や消防団組織や部落候補など、候補者への政策や人柄といったもの以外のことが大きな力を発揮します。この方もそのことがわかっているからこそ、「私は何にもつながりがないから大丈夫よ」と話してくれたのでしょう。
でも私は支持してくれたことを素直に喜べませんでした。「なんにもつながりがない」だからこそ、私の応援する候補を支持してくれたわけです、それを裏を返せば、つながりがあったら支持してくれなかったかもしれないということです。だからといって、その方につながりがなかったことを喜ぶわけにはいかないからです。
地域自体対して潤っているわけでもなく、大きな産業も観光資源もないこの地域で、地元の方々がそれなりに生活してこれたのは、間違いなく地域のコミュニティが大きな力を持ち、互いが助け合いながらやってきたからだと思います。
きっと単身女性が生活していくには、生活費を稼ぐために働きづめで地域のつながりを重視する余裕もないし、さもすれば離婚した女性に対する偏見もあったのかもしれません。そんなことがこの方をコミュニティに所属することが困難な条件として立ちはだかったのだと思います。
【革新候補を支持する方々の抱えているもの】
こう考えるのはおかしいかもしれませんが、革新候補というのは、自身の政策や人柄を売りにして人々の支持を得ます。其れに対して、保守の候補というのは上記で指摘したような地域の血縁やコミュニティに依拠したつながりをもとに支持を得るのだと思います。
こう考えると、地域のコミュニティが壊れているほど、選挙の際には保守のしばりが届かず、投票の際に政策や人柄に関心が向き、革新候補を支持する可能性が高いとはいえないでしょうか。
もしそういった事実があるのであれば、皮肉なことだと思います。私は60~70年代の産業構造の変化による大都市部への大量の人の移動であったり、最近であれば構造改革により地域切り捨てや貧困や格差の増大は、明らかにそれまであった地域のコミュニティを破壊してきました。
私たち革新勢力は、再び地域のコミュニティを活性化させようと活動しているのにもかかわらず、コミュニティが崩壊している大都市部や貧困層の人に幅広い支持を得ているという事実。もちろん、コミュニティの崩壊具合だけが支持の是非に結びつくわけではないのだけれども、喜ぶにも喜べないこの事実をどう受け止めたらよいか、難しい問題だと思います。
私の働いている地域では来月に市議会議員選挙が予定されています。私自身も現在、応援する候補者の当選を目指して活動中。そんな中で一つ考えさせられるエピソードがありました。
【離婚女性のその後の人生】
地域の知り合いの方を車で自宅まで送っていく機会があったのですが、その方は現在70歳前後の女性の方。数十年前にご主人とは理由ありで離婚されて以来、懸命に定年まで働き、現在は市営住宅に一人で暮らしている方でした。
今も昔も女性が単身で生活していくことは楽じゃありません。現に、この方も自身の生活のためによっぽど働き過ぎたのでしょう、ある時肩に痛みが走り整形外科を受診してみると、医師が驚くほど肩の骨がすり減っていたそうです。男性が肩の骨がすり減っていることは力仕事を長く続けてきた方なら珍しくはないそうなのですが、女性がここまですり減っていることは稀とのこと。どれだけこの方が懸命に働いてきたかの表れだと思います。
【定年後はゆっくり楽しもうと思ったのに・・】
それだけ働き続けてきたから、定年後はゆっくり過ごそうと思っていたのもつかの間、上記のような肩の痛みから始まり全身に痛みが走るようになってしまいました。「なってしまった」というのは正確な表現ではないかもしれません。きっとこの方が働いている時もすでに体は悲鳴を上げていたのでしょうが、懸命に働いているゆえに気付かなかっただけなのかもしれません。
定年後は好きな読書と旅行を楽しもうと思っていたのに、身体の痛みからそれらも満足にできないまま現在に至ります。「離婚も働き過ぎたのも自分で選んだことだからしょうがないことだけど・・」と物憂げに語る姿はなんとも言い難い雰囲気でした。
この方は離婚も働き過ぎも”自分の選択”と話していましたが、客観的にはきっとそうではないのだと思います。相手の男性の未熟さや、単身女性が生活していくためには、健康管理が行き届く以上の労働条件で働かざるをえない今の日本の社会保障の貧困が根底にはあったはずではないでしょうか。
【「私はなんにもつながりないから大丈夫よ」】
そんなことに想いを馳せながら、来月の市議会議員選挙のお願いをすると、「私は何にもつながりがないからだいじょうぶよ」と一言。
私はこの方のその言葉をきいて、私の応援している候補を支持してくれたという嬉しさよりも先に、またしても何ともいい難いせつなさを感じました。
私の働いている地域はとても田舎の地域です。市議会議員選挙というと、血縁関係や消防団組織や部落候補など、候補者への政策や人柄といったもの以外のことが大きな力を発揮します。この方もそのことがわかっているからこそ、「私は何にもつながりがないから大丈夫よ」と話してくれたのでしょう。
でも私は支持してくれたことを素直に喜べませんでした。「なんにもつながりがない」だからこそ、私の応援する候補を支持してくれたわけです、それを裏を返せば、つながりがあったら支持してくれなかったかもしれないということです。だからといって、その方につながりがなかったことを喜ぶわけにはいかないからです。
地域自体対して潤っているわけでもなく、大きな産業も観光資源もないこの地域で、地元の方々がそれなりに生活してこれたのは、間違いなく地域のコミュニティが大きな力を持ち、互いが助け合いながらやってきたからだと思います。
きっと単身女性が生活していくには、生活費を稼ぐために働きづめで地域のつながりを重視する余裕もないし、さもすれば離婚した女性に対する偏見もあったのかもしれません。そんなことがこの方をコミュニティに所属することが困難な条件として立ちはだかったのだと思います。
【革新候補を支持する方々の抱えているもの】
こう考えるのはおかしいかもしれませんが、革新候補というのは、自身の政策や人柄を売りにして人々の支持を得ます。其れに対して、保守の候補というのは上記で指摘したような地域の血縁やコミュニティに依拠したつながりをもとに支持を得るのだと思います。
こう考えると、地域のコミュニティが壊れているほど、選挙の際には保守のしばりが届かず、投票の際に政策や人柄に関心が向き、革新候補を支持する可能性が高いとはいえないでしょうか。
もしそういった事実があるのであれば、皮肉なことだと思います。私は60~70年代の産業構造の変化による大都市部への大量の人の移動であったり、最近であれば構造改革により地域切り捨てや貧困や格差の増大は、明らかにそれまであった地域のコミュニティを破壊してきました。
私たち革新勢力は、再び地域のコミュニティを活性化させようと活動しているのにもかかわらず、コミュニティが崩壊している大都市部や貧困層の人に幅広い支持を得ているという事実。もちろん、コミュニティの崩壊具合だけが支持の是非に結びつくわけではないのだけれども、喜ぶにも喜べないこの事実をどう受け止めたらよいか、難しい問題だと思います。
2011-06-04 21:16
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