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『対等』な関係って・・

『対等』な関係って難しいなって思うこの頃・・。

”この頃”っていうか、前から難しいなって思っていたんだけれどね。

なぜ自分にとって”対等”というものが難しいかといえば、はっきりいって、『対等な関係』というものを結んだ経験が圧倒的に不足しているからだと思う。

小さい頃は、私自身あんまり難しいことは考えていなかったし、多分まわりの友人たちもそうだったと思う。自然にしていればその関係は”対等”だったし、そもそも相手と自分が”対等”かなんて考えたことがなかった。

でも今は違う。自分自身、そして付き合う人たちも大人ばかりになって、みんなそれぞれ個性や違う価値観を持っているもの同士。年齢も社会的地位も違う人たちと付き合うようになって初めて”対等”ということを考えるようになりました。

違った個性や価値観をもった人たちと何かをなしていくためには、どうしても互いへの共感や理解、つまり意見表明していくことがもとめられるのだと思います。

しかしそれこそが私にとって一番苦手なこと・・。他者に対して自分の意見を表明することで、他者を気分を害したらどうしよう・・、と過剰に気遣うがために、そうしたリスクを負うくらいなら自分の意見なんか表明しなくてもいいや、そう考えてしまうのです。

 こうして、自分の意見を抑え込み、他者の顔色ばっかり伺って生きてきた。きっとそれがよくなかったんだろうな・・。

そんなふうにして、他者と対等な関係を築く努力を怠ってきた私。お互いが何を考えているのかということを知る機会を潰してきたわけですから、本当の意味での親密な関係、安心できる関係が築けるはずもありません。

だからこそ、他者と一緒にいること、一緒になにかをなしとげることにあまり価値や楽しみを見出すこともなかったし、他者との関係も必然的に歪んできます。

そもそもなんのリスクも負わず人間関係を築くことなんてできるわけがありません。しかし、もしそのリスクを少しでも減らすことができるのであればと思って私がとってきた行動は、相手の気に入る、もしくは恩をあらかじめ売っておくということだったのだと思います。

相手の機嫌をあらかじめ伺っておく、気にいるようなことをしておけば、何か自分が相手にとって不快なことを話したりとってしまったとしても、まあ大丈夫だろう。そんな打算的な考えがあったのかもしれません。

そんなんで対等な関係なんて築けっこないですよね。

かといって相手に意見を表明することばかり求めて、自分から何も共感しようとする気のない人もどうかと思うけれど、でもやはり意見交換は親密な人間関係を築く上で必須なことだとは思います。

なかなか難しいことではあるけれど、自分なりのやり方でこうした努力をしていけたらなって思うこのごろ・・・
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