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「ポラーノの広場」から①

かなり昔の論考になるんだけれど、今でも私の中で新鮮さをもって感じられる論文があります。それが2003年の「子どものしあわせ」という雑誌に掲載された岩川直樹さんの論文、「ポラーノの広場をつくる人たち”第5回バスを待ちながら”-ズラスという考え方」というものです。

その論文の中で私自身がとても印象的だった点について何回かにわけて紹介させていただきたいと思います。

【”文化”という視点】
 この論文の最初で、岩川さんは、自身の高校時代の現代文の先生から聞いたお話しを回想して、以下のように述べています。


「高校の時、現代文の教師がした『文化』という言葉の解説が、どういうわけか今でも妙に印象に残っている。話の中身はなんということはない。『文化というのは英語でいえばカルチャーで、カルチャーというのは”耕す”という意味なんだ』という、高校生ならたいていはきいたことのある話だった。 彼は黒板に一本の長めの横線を引いた後、その上にちょこんと一輪の花を描いた。幼児がかききそうな記号的な花の絵だ。文化という言葉はこの花だけを指すんじゃない。この花がいくらよさそうに見えるからといって、それを別の土地に植えても同じ花は咲かない。そんなことを彼は言ったように思う。 ・・ぼくは黒板のその絵を見つめながら妙な感銘を覚えていた。そうか、あの花だけが文化じゃない。あの横線の下のところに肝心なものがあるのだと。 ”教育改革”という言葉を聞くたびに、ぼくはあの黒板の絵を思い出す。『改革』『改革』という人たちの多くは、物事を文化とみなす発想が根本的に欠落しているのではないかと思う」


この「そうか、あの花だけが文化じゃない。あの横線の下のところに肝心なものがあるのだ」ということに注目する岩川さんのセンスがすごいなって思います。

花だけに問わず、物事を文化的な視点でみることの大切さというのが、今の時代において本当に重要なことだと私も思います。

日本社会が”一億総中流”と呼ばれた時代はとっくに過ぎ去ってしまい、現在は”貧困”と”格差”が入り混じる時代となっています。これまでの日本にかってないほどの巨大な富を溜めこむものも存在する一方、かってないほどの貧困の状態に陥る人も少なくありません。

 そのため、まったく異なる経済状況や成育歴を歩んできたために、互いの生活背景や心情について想像することが難しい、そんな状況が生まれているのではないかと思います。

 特に、この間の日本経済の不況による倒産や雇いどめの影響や、社会保障の切り捨てによって、多くの方々が経済的困窮状態に陥っています。そうした多くの困難を抱えた家庭状況の中で多くの傷を抱えながら生きてきた子どもたちは、経験を積んだ教師や福祉職に携わる専門家ですら想像しがたい葛藤を抱えていることも少なくありません。

 まさに、かってないほど文化の土壌が荒廃する中で育ってきた子どもたち。そうした子どもたちを理解するためには、表面的な問題行動などの部分だけを見ていてもなにも解決はしないでしょう。子どもが育ってきた生活背景を見ずに子どもたちを理解しようとしても、「最近のこどもはおかしいのだからしょうがない」という結論になってしまいがちです。

子どもたちを真に理解し、本当に成長を保障したいと願うのであれば、やはりその子どもたちが育ってきた”土壌”を見ていくことが絶対不可欠でしょう。

 子どもの問題行動を子どもだけの問題に還元するのではなく、その一人一人の子どもの生活背景を見ていくことで、はじめてその子どもの行動が理解できるようになり、そのことを通じて土壌の在り方、社会のあり方をもとらえなおしていく契機となっていく。こうしたプロセスを通じてこと子どもたちにとっての真に成長を保障する”文化”が築けるのだと思います。


岩川さんの論文は、この事実を私に気づかせてくれる良いきっかけとなりました。物事を文化とみなす発想、大切にしていきたいと思います。




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