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若者と政治・選挙⑤

これまで、若者と政治・選挙の関係についていくつかの側面から考察してきました。
 
 これらのことを踏まえた上で、再度、現代の若者が政治的無関心な態度をとる背景について考えるのであれば、いわゆる”信頼感”というものが欠如していることが大きな原因ではないかと思うのです。
 
 ただ”信頼感”といっても抽象的だと思いますので、もう少し詳しく述べるのであれば、
①身近な他者への信頼感
②政治や社会への信頼感
③自分自身への信頼感
これらが現代の若者を観た時に総じて不足しているものだと思うし、これらの欠如が政治や社会に対して無関心を決め込んでしまう理由の大本にあると思うのです。

何度か紹介させていただいた法政大学の平塚眞樹さんの指摘はそのことを明快に伝えています。

 雑誌『高校生活指導』の2006年秋号に掲載されている論文「いかにして生徒たちと世界のあいだの『信頼』を形成するか?」では以下のように述べられています。

「人が活動的になる時に、最低限の信頼が必要だということが、ここで申し上げたいことです・・・  人はどのようなときに活動的になったり、不活発になったりするのでしょうか。私は、人が活動的であるにはそれを支援し可能にする条件があると思っています。  たとえば、私たちが活動するとき、しやすい場としづらい場があると思いますが、しづらいのは、その場とその場にいる自分の双方に信頼が持てない時ではないでしょうか。年長世代の方々が会議の場で若い人が何も発言してくれない、と嘆かれるのを聴くことがありますが、私の経験からいえば、自分が何か発言することが、その場でなにか意味をなすと思えなければ、言ったってしょうがないと思うわけです。学生たちもまた、自分が何か行動すれば社会が少しでも変わるという気持ちが持てない。社会に対する信頼感を持てていないと同時に、社会に働きかける自分に対する信頼も持てていない、ということです。このどちらかでも持てていれば動けますが、両方とも持てない時、人は動けません。」

 そう、若者は政治や社会、そして自分自身にすら”信頼”を持てていないのです。政治や社会が変わるとも思えないし、さらに、政治や社会を変えよう思ったとしても、自分なんかが変えられるとも思っていない。そういう意味では”二重”の意味で今の若者は政治や社会に主体的に関わっていく条件をはく奪された状態にさらされていると言えるのではないでしょうか。


 ここまで考察してきた中で、改めて若者の政治的無関心というものは、若者自身の責任ではなく、この社会を構成する全ての人の責任、特に財界をはじめとする支配階層の意図的な構想によって形成されてきていることを実感します。

 こうした中で、私自身そろそろ若者・もしくは若者を卒業しようかという年齢に達するわけですが、当事者として、もしくはこれからの社会を主体的に形成していく立場の人間として、今、そしてこれからの若者に対してどういった態度をとっていくのかが問われていくのだと思います。
 こうした背景を理解しながら、少しでも多くの若者が政治や社会に対して関心を持ち、学び、自分自身や社会や政治に信頼を持てていくような場をつくっていけるように頑張りたいと思いました。




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