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若者と政治・選挙③


「若者と政治・選挙②」では、現代の日本における政治というものが若者に対して冷たいということ。政治そのものの内実が若者に対して不十分なものに留まっていることが、若者の政治への無関心・あきらめの温床になっているのではないかと書きました。

 ここからは、若者が日常生活の中でもっとも大きな位置をしめる、学校や家族間の関係から若者が政治への無関心やあきらめの心境について探っていきたいと思います。

 今回は”若者と教育”との関係について書きたいと思います。

最初に指摘しておきたいのは、政治に無関心な若者をつくろうという意図をもった人たちが確かに存在するということです。ちょっと古い本ですが、明快に書いてあったのでちょっと長いですが引用します。

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 『政治と教育のあいだ』 増田孝雄 新日本新書 P138~

「ところが実際にはまったく別の角度から教育を考えている人たちがいます。それは、日本で毎日、何十万という人たちを雇って働かせている人たち、つまり財界という人たちです。この人たちにしてみれば、今の大学生や高校生・中学生は数年後には間違いなく自分たちの所有している工場や事務所で働いてもらわなければなりません。ですからいつでもそういう立場から学校教育の制度や内容を見ているわけです。

そこで、教育制度全体を審議する中央教育審議会とか、勉強の中身などを検討する教育課程審議会などに、自分たちの代表を送って、いつも日本の教育のあり方に注文をつけ、自分たちの望みどおりにする為に強い圧力をかけています・・・

2つ目のねらいの、どうして、『なぜ』を考えない子どもをつくるのかということについてです・・財界が学校教育に期待することは、実際に良い製品(労働力)に仕上げる為に加工(企業内教育)は、必要に応じて会社でしたり別の方法でするから、せめて学校は、そのために一番良い素材を提供できるようにしてほしいということです。つまり、どんなに加工しても、壊れたりゆがんだりしない、そして財界の重いとおりの製品(労働者)に仕上げることが出来る(人間)をつくってほしいということです。

ところが、これがなかなか厄介な仕事です。というのは人間というのは、物質と違ってそれぞれが自分の要求、自分の意思、自分の考えをもっています。ですから同じように加工しても同じように反応するとは限りません。それどことかめいめいが全く違った反応をすることもありますし、壊れてしまうことや反発することだってあります。
そこで考え出された方法が、人間をできるだけ物質に近づけてしまうことです。そのために一番良い方法はどんな場合でも自分の要求、自分の意見、自分の考えを持たないこどもをつくってしまうことです。そうしておけばおくほど、企業にとっては将来、必要な加工がしやすくなり安全だからです。

もちろん企業や財界でも、労働者の創造性や自発性を必要としています。しかしそれらは、あくまでも自分たちが求めていることを、彼らからいわないでも、労働者が自分で工夫し、自分からすすんで実践するような創造性や自発性のことです。企業や財界の要求に束縛されない、自立した自由な人間だけが持つことの出来る、批判的精神、つまり本当の意味での創造性や自発性を求めているわけではないのです。」 

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近年になると、この関係はグローバル化による経済体制の変遷とともに変化してきている実態もあるかと思われます。その辺は、以前このブログでご紹介した”社会が求める人間像”というタイトルの記事にも少し書いたので、再掲はしません。

 今回述べたいのは、数年前になりますが、ジャーナリストの斉藤貴男さんが書いた「機会不平等」(文芸春秋)の中で紹介されている、教育改革国民会議(当時)の構成メンバーの一人である三浦朱門さんの言葉です。

 「出来んものは出来んままで結構、エリート以外は実直な精神だけ養ってもらえばいい」

当時の教育改革について議論する最高機関において、そうした発言が飛び出すということ自体信じられないことですが、しかしこの発言こそ日本の経済界のトップの人たちが、どういう人間が望ましいかということを刻銘にあらわしているのだろうと思いました。

 簡潔に言えば、「日本の政治はエリートに任せておけばいい。その他大勢は、エリートのいうことに文句を言うのではなくただ実直に従っていれば良いのだ」ということなのでしょう。
 もし今の若者たちが政治に興味を持って、「消費税を上げるな」「無法な解雇はやめろ」「法人税を引き上げろ」「賃金をあげろ」なんてことを主体的にみんなで言い始めたら、企業財界としては身勝手ができなくなるわけです。

 財界の人にとってもっとも都合の良いのは、政治に関心なんか持たず、ただただ自分たちが無法な状況に置かれていても、「しょうがない、自分のせいだ」と、本当は政治や社会のあり方がおかしいのにも関わらず、自己責任として処理してしまうような若者を作り出すことに他ならないのでしょう。彼らのその試みは、教育現場の中で、学習指導要領や教育委員会などを利用し管理を徹底することでかなりの効果を果たしてきたといわざるを得ないでしょう。

 しかしそのおかげで、実際の教育現場は大変です。落ち着きのないこどもが増えて、授業が成立しない。授業以外にやることが多すぎる。子どもがなにか問題を起こすと親が大騒ぎする。そんな声が多く聞こえてきますが、その中でバーンアウトしてしまう教員もいるというのが現状です。大変な状況におかれながらも懸命に子どものために頑張っている教員の方々がいることは確かだし、そうした方たちの努力が結実する場面もあることと思います。

 どうか願わくはこうした良心をもった教師の方々が安心して自分たちの実践にとりくめるようなそういう環境が整備されることを心から願ってます。

 

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