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スポーツを支える環境

 先日、南アフリカW杯において、日本においては初戦となる試合がカメルーンを相手に開催されました。4年に一度のサッカーW杯。日本人の私としてはとにかく勝ってほしいと心底願っていましたが、結果は1-0の勝利。本当に良かったと思います。
 
しかし、これまでW杯に近づいても結果を残せないままだった岡田ジャパン。以前から強かった”岡田バッシング”はさらに強くなり、風当たりは一層激しいものとなっていました。

 テレビは何か事あるごとに岡田監督の采配ミスや、指導力に疑問をなげかけ、国民もそれに同調していったといえる。
 しかし、私が疑問に思うのは、日本代表の命運というのは”岡田監督”だけが背負うものなのか?日本代表が強くなるためには、岡田監督をたたけば強くなるのかといったら、そんな簡単なものではないだろうと思う。

 日本代表の命運を岡田監督の個人の責任に追い込む風潮には正直同意できない。逆に問われるべきなのは、私たち一人一人の国民であったり、国を挙げて日本代表を支えることができていたのか?ということでないかと思う。

 そもそも、日本のスポーツを支える環境というのは本当に貧弱なものだと思います。数ヶ月前に開催されたバンクーバー五輪を振り返ってみたい。
 この冬季五輪は、近年の日本の冬季競技で長く続いた不振を多少ながらも払しょくする結果を残したと思う。しかし、この冬季五輪において代表選手を支える環境は非常に厳しいものがありました。

 この間、トップ選手を支えてきた多くの企業のスポーツ部は不景気で廃部や縮小が続き、企業が個人のスポンサーに転換したことで不安定なプロ化を余儀なくされました。ジャンプの伊東大貴選手のように所属企業の廃部により五輪目前まで所属先が決まらない選手もいました。

 JOCによれば、2008年の北京五輪以前の一年間に欧米主要国が投じた夏季・冬季五輪の選手強化費はドイツが274億円、アメリカ165億円、英国120億円で、日本は27億円と桁違いの少なさでした。

 さらに、事態はオリンピックの代表選手だけの問題ではありません。地方自治体レベルでも、財政事情の悪化から、競技会の運営も難しく、ここ数年は、毎年のように国体のスキー競技会の開催地がなかなか決まらない苦境にあります。
 長野五輪の収益で約40億円の基金が作られ、12年間にわたり、国際競技会などの援助を続けてきたが、それもついに底をついたといいます。地方自治体まかせでは競技会も開けない。日本のスポーツ文化そのものが衰退していく危険があると思います。

 今回のW杯についても、岡田ジャパンを支える環境はどうだったのか。公的な機関より適切な援助が受けれない状態で、岡田バッシングに終始しても結果は何も変わらず、監督や選手にスタッフと心境としては追い込まれていくだけでしょう。

 私自身、スポーツを愛する一人の人間として、こうした文化を積極的に支えていく体制を国を挙げてつくっていくことに期待したいと思います。
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