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心と言葉と身体をつなぐもの①

前のブログ”表現と個性”で少し触れましたが、周りの人間や社会を変革していってしまえるような”個”、そんな人間がいるなら会ってみたい、いや存在してほしいとそう願っている私です。そして俳優やアーティストのような人種の方がそういうものに一番近い人間でないかとも書きました。

 それとは少し違うのですが、俳優やアーティスト、そういうものに一般的な憧れとは違って関心を持つようなきっかけがありました。

 今から6~7年も前の頃だったと思います。当時、既に”ハナミズキ”を大ヒットさせて一躍有名になっていた”一青窈”さん。ハナミズキがとても良い曲だったこともあり、当時の私自身も既に好きなアーティストでした。ただそうはいっても特別に好きだったということではありませんでした。
 
 ただ、仲間には好きなアーティストの一人に”一青窈”ということは話していたので、ある日友人が筑紫哲也のニュース23で特別に唄った映像をビデオで貸してくれました。その時に”一青窈”さんが歌っていたのが「一思案(ひとしあん)」という曲でした。
 
 友人から借りて見たその「一思案」を唄う”一青窈”さんの姿に私は釘付けになりました。こう言ったら失礼かもしれませんが、歌詞の意味はあまりよくわからなかったし、曲はそれほど複雑な楽曲でもない、映像に映っている”一青窈”さんの容姿だって、今より綺麗とは思えなかったし・・でも目を離せなくて、なぜか涙があふれて止まりませんでした。

 今でもなぜそこまで目が離せなかったのかは上手く表現できません。
 
 ただ驚いたのは、”一青窈”さんが紡ぎだす詞が、”一青窈”さん自身の心をあまさず表現しているように思えたし、振付も、「振付なの?」と疑いたくなるくらい”一青窈”さんの心と詞と違和感が全くないほど洗練されているように思えました。
 
 ”一青窈”さんのこの映像をみて、人間とは、ここまで心と詞と身体を統一させて表現できるのだということ、そしてそれが可能な状態で表現されたモノはこれほど強烈なモノなのかということ、その事実に驚かされました。

 以来、この映像をなんかいみたでしょう、100回以上は間違いなくみています(笑)。
 
 ただ、”一青窈”さんのように、形は違っても、自らの心と詞と身体が統一されるような表現というものが私にもできたらなってずっと思っています。
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