SSブログ

心と言葉と身体をつなぐもの②

 もうひとつエピソードを紹介したいと思います。

 これは2007年6月30日に、当時防衛大臣だった久間大臣が、以下のような発言をして、被爆者団体をはじめとして、日本中で大騒ぎになった問題がありました。

久間大臣: 「本当に原爆が落とされた長崎は、本当に無傷の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなという風に思っているところだ。米国を恨むつもりはない。勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという、そういう思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るということも頭に入れながら考えなければいけないと思った。」

 といわゆる「原爆しょうがない」発言としてしばらくマスコミをにぎわしていました。当時私もこの発言をニュースで聞いていました。

 ここからは恥ずかしい話なのですが、恥を忍んで紹介したいと思います。

 当時、直後に国政選挙が控えていたこともあり、自民党の閣僚からもこの発言について苦言が次々に出されたことも覚えています。そしてこのニュースをリアルタイムで聴いたときに、私の頭の中に浮かんだこと、それは「これで自民党はまた票を減らしたな・・」ということでした。
 
 まったくもってお恥ずかしい話ですが、この久間大臣の発言を聴いたときに、真っ先に被爆者の方々の心情を察しなければならない問題であるのにもかかわらず、私の頭の中にはその事実は全く顧みられず、ただその後に控えた選挙での影響のことしか頭に浮かばなかったのです。

 私がその恥に想いが至ったのは次の日の朝のことでした。朝刊に目をしたときに一面に大きな写真とともに、久間大臣の問題発言を批判する記事が掲載されていました。その写真には、久間大臣の発言を受けて、抗議行動をする、現在も平和運動を職業とする大学時代の先輩の姿が映っていました。

 その写真にはビラを配布する先輩の姿が映っていたのですが、その写真に映る先輩の表情を見た瞬間、私の脳裏に初めて”被爆者”の姿がよぎりました。別に私は”記事を一文字も読んだわけではない”のです。ただ写真の先輩の表情を見ただけで、私の頭の中に、被爆者の存在がよぎり、私がこの問題に対して、選挙の動向との関係でしか問題をとらえておらず、真っ先に想いを馳せなければならない被爆者の方々の想いを察することができなかった事実について気づくことができました。

 今思えば、先輩としたら、この発言を私とは違って、被爆者をはじめとする人たちにとってどういう意味を持つ発言なのかということを真に理解していたのだろうと思います。だからこそ、心からあの発言に対して怒りを感じ、そういう気持ちでビラを配っていたからこそ、写真を通して見ただけの私にもその怒りが伝わり、私が被爆者に想いを馳せていなかったことにも気づく契機になりえたのでしょう。

 そう、このように、人が心からあふれ出るような想いを行動として表現できたとき、それは写真を通じてでも、他者に何かを伝えることができるんだということを学ばされた瞬間でした。

 
 後日談ですが、先輩にこのことを話した時に、もっと驚くべき事実を知りました。ちょうどあの写真に写っていた宣伝行動をしていたときに、先輩がハンドマイクで街頭で訴える際、「被爆者の方々の気持ちを考えたら、このような発言はできないはずでは・・」ということを訴えるべきかどうか迷っていたというのです。

 ただ被爆者の方々を前に自分がそのようなことを先立って話してよいかどうかということに思いを巡らせて、結局はそのような話したということでした。

 この話を聴いたときに、「こんな偶然があるのかな」と思ったものですが、でもきっと偶然ではなかったのだろうと思います。きっとあの時、先輩が「被爆者の方々の気持ちを考えたら、このような発言はできないはずでは・・」と訴えようかどうか迷ったというのも、先輩が被爆者の方々に想いを馳せていなければ、浮かんでこなかった葛藤のはずです。

 先輩が、そのように被爆者の方々に対して真摯に心から想いを馳せることができていたからこそ、先輩の訴えは写真を通じて私のところまで伝わってきたのだろうと思います。
 
 私にとって忘れられないエピソードです。

タグ:被爆者 原爆
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。