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表現と個性について

 先日、日本平和委員会の全国大会に参加してきました。この日は代議員・評議員合わせて350名の大人数での開催となりました。私自身は2日目だけの参加となりましたが、普天間基地の移設問題における民主党の態度が日本中の注目を集める中で、全国各地の基地や平和に関する運動の盛り上がりを知ることができたのは非常に有意義なことだったと思います。
 
 大会には21歳~90歳までの幅広い年齢層の方が参加しており、どの参加者も非常によく学ばれていて、改めて”平和”というものがここまで人を結集し、突き動かすものなのだと、その事実に触れたような気がしました。平和運動に取り組んでいる人のそれぞれの動機は、本当にさまざまなモノがあるのでしょうが、全国各地で懸命に取り組まれている方には本当に頭が下がる思いです。

 そしてこの大会の最後には次期大会までの役員が選出されましたが、その中で注目を集めたのが、平和委員会の理事でもあり女優でもある有馬理恵さんが、代表理事に選出されたことでした。
 新役員の代表挨拶も有馬さんがしたのですが、さすが女優だな・・と思ったのは、挨拶をするだけでその会場の全ての人の視線が一点に集中するような雰囲気を作り出していたことでした。

 2年間に、有馬理恵さんが主演の『釈迦内棺唄』を観に行く機会があったのですが、その舞台でも有馬さんの存在感は際立っていました。有馬さんがライフワークとするこの舞台にかける想いについては事前に資料として知ってはいたのですが、舞台において、有馬さんから語りかけてきたモノは、私の想像を超えていました。
 
 昔から私は、誰かが何かを誰かに表現するときの、”心と身体の統一性”と私自身は勝手に呼んでいるのですが、そうしたことに注目していました。何かを表現する際に、言葉の意味だけにとらわれず、その言葉が身体と調和するなかで語りだされるという行為、それが実現出来た時、人は本当に心動かされる体験をすることとなるとそんな風に思っています。

 有馬さんの『釈迦内棺唄』を観た時に、私は「この人は自分の想いを心身を通じて表現できる人なんだ」と素直にそう思ったことを覚えています。

 このブログを少しでも呼んでくれた方なら分かるかもしれませんが、私は人をみるときに、いわゆる機械的な”環境決定論”的な人の見方に陥りがちなところがあると思います。自省しなければならないなと思いながらもなかなか進歩がない私ですが、でも、そんな考え方をしている私にもちょっとした夢というか期待を抱いていたりするのです。

 それは、あまり人間の”個”というものに対して注目する視点が弱い私ですが、もし周りや社会を変革していけるような強烈な”個”を持つ人がいるのであれば、会ってみたいというか、そういう人が存在してほしいなって思うのです。

 そしてきっとそういう”個”をもつような人というのは、自身を考えを余さず”表現”できるという行為を獲得した人に他ならないのではないか。それはきっと有馬さんのような、そうした人なんだろうな・・なんて考えてしまうのです。

 そう、いつかそういう人に会ってみたい、そう思います。
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