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学ぶことの意味①

【はじめに】
今年度ももうあと1週間足らずで終わろうとしている。学生にとっては”卒業”という別れの季節。わかっていたことではあっても、実際体験する寂しさだったり悲しさは本当にどうしようもないものなのだな・・と思う。
 
 【高校生までと大学時代】
 自分にとっての学生時代、特に大学生であった時の年月は今でも人生の中での最大の激動期だと思っている。外でサッカーばかりやっていた高校生までの自分が、いつのまにか図書館で読書する時間が長くなってしまっていたり、人付き合いはなるべく避けていた自分が、毎日誰かと集まって話すようになっていたり、高校生のときの自分にとって、数年後の自分がそうした人間になるなんて夢にも思っていたなかったと思う。基本的なところは変わらないまでも・・・。
 
 【仲間の中での価値観の変遷】
 高校までの仲間の中で大事にされていたものとそれ以後の仲間の中でのそれとはやはり異なるものであったと思う。高校まで自分や仲間の中で一番大きなウエイトを占めていたのはサッカーであり、学力だった。大学生になってからは、”学び”というものが大きなウエイトを占めていたと思う。大学時代の一番中のよかった仲間の中では、先輩がかなり勉強されていた人だったしその影響も大きいのかもしれない。
 高校時代は部活では1回もレギュラーを獲得することは叶わなかった。技術的な問題もちろん、なにより体力不足。サッカー選手にとって走れないということは致命的なことだった。正直部活の中では惨めな思いをした。そして、学校の成績は正直中の下くらい。高校時代の仲間の中で最も価値をもっていた事柄の中で自分が誇れるようなことは何もなかったというのが実態だった。

【集団の中で”価値”と権威】
 大学時代は、文化系のサークルに所属していたこともあって、どれだけ学んでいるかということが仲間の中では価値を持っていたと思う。高校まで本を読むことに良いイメージをもっていなかった自分だが、やってみるとそれほど苦痛でもなく、それなりに読書や学びに励むようになった。
 そんな中で、先にも述べたが大学の先輩たちはやたら学んでいる人が多かった。そのこともあってか仲間内では学んでいると言うことが重宝され、学んでいないとその場にいづらくなるようなそんな雰囲気があったような気がする。学ぶということが尊ばれるというより権威的なものとして存在している、そんな感じだったかもしれない。

【権威的なものへの同調】
 たまたま大学生になり学ぶことの楽しさを知った自分にとって、この仲間内の学んだ分だけ良く思われる雰囲気は都合の良いものだった。とりあえず、授業に出なくても、テストの成績が悪くてもそのサークルの中で学ぶべきものを学んでいればとりあえずほめられる。それまでの人生の中で仲間内に自分の誇りと言うか居場所を築けるような経験がなかった自分にとって、初めて他者に認められるようなものを獲得できた瞬間だった。気分が良くないわけがない。学んで得た知識の量こそが自分にとっての全てだった、そう思っていた時期があったのだと思う・・。仲間に自分が認められたいがためにその知識を披露したことも多々あったと思う。本当に恥ずかしいことだけれど・・。

【権威的なものへの疑いと学びの意味】
 自己弁護するつもりではないけれど、そうした学んだことが権威に転化しがちになっている雰囲気について疑問を持っていないわけではなかった。自分自身、学んでいたと言っても誰より学んでいたわけではなかったしそれもあってだろうか、学んでとにかく人から認められたいと願う気持ちと、仲間内で学ぶことが権威的に顕在している事実について疑問に思うその境界線上に自分自身が存在していた気がする。具体的には、自分より学んでいない仲間には権威的に振る舞い、自分より学んでいるような人間にとってはその学ぶ意義を問いかけるといった、今思うと自分自身にとって非常に都合の良い、傲慢な立場をとっていたものだと思う。

【学ぶことの意味】
 そんな中で、はっきり自分にとって”学び”ということの意味を問われた瞬間があった。仲間の中で、うつ状態にちかい仲間がいて、その仲間のために何かしたいと思い、自分自身勉強していた時期があった。ただ自分の学んだ知識をもとにその仲間を励まそうとしても、時にうざがられたり、逆効果になったり、意味がなかったりと自分の力が全く及ばない現実にさらされた時期があった。
 今思えば、その時の自分の学びというものが本当の意味で相手のためではなく、きっとどこかに自分自身の力を誇示したかったり、そんな自分の為であったと言うことを見抜かれていたんだろうと思う。学びと言うものが相手を救うものではなく、逆に追い詰めるものになる。相手にとっては自分自身の存在意義について葛藤する心理状況の中、権威的なものをもって相手を支えようとするとすれば、相手にとっては逆に自分の存在意義を揺るがすようにしかならない。当時私はそのことに気づいておらず、自分自身の無力感に突きつけられる中で初めて、”学ぶことの意味”について気づかされたのだと思う。

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