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学ぶことの意味②

【「力概念の脱構築」岩川直樹さんの論文から】
 数年後、学ぶことの意味について葛藤し続ける中で、明石出版から出された「希望をつむぐ学力」の中の岩川直樹さんの論文を読む機会があり、正直それまでの葛藤が晴れたそんな気分になったのを良く覚えている。 
 論文の全てをここで書くことが出来ないけれど、岩川さんは、「それぞれの時代にはその社会を趨勢を反映した支配的な『力』概念が形成される」と述べた上で、現在の新自由主義がはびこるこの時代の「力」概念の特徴として

①『力』の発現が関係から孤立した個体の問題に還元されるようになる傾向
②『力』の養成が脱文脈的なスキル習得を自己目的化するようになる傾向
③『力』の評価がもっぱら外在的視標に基づいた数量的なものになる傾向
④あらゆる人間的ないとなみ、ゆたかさが『○○力』に転化されていく傾向

と示している。
そしてそれに対する抵抗や再編を化膿にする『力』概念として

①具体的文脈における行為に現れる
②自分のものになるプロセスを持つ
③他者との関係や場の中で成立する
④固有の経緯や物語を持つ
⑤他者のエンパワーと場へのインパクトにつながる

ということを挙げている。

【自身の学びというものを振り返って】
 上の岩川さんの論文の主旨にそって自身の学びを振り返るのであれば、大学時代の自分にとっての学びは、
①学べる能力や学んだ知識は全て”自分の力”と努力によってもたらされたものだと信じており
②学んだことをどう活かすか、何の為に学ぶのかということより、学ぶこと自体を目的としており
③読んだ本の数や得た知識の量に固執する
まさしく新自由主義の力の概念に染まっていたのだと思う。

 岩川さんの指摘を受けた上で、自身の学びを振り返ったときに、いろいろなものが見えてくる。そもそも何故自分が学べたのかと言えば、当然といえば当然だけど、大学に行かせてくれて、学ぶ為に困らないだけの仕送りをしてくれた親の存在があり、学ぶことの面白さを教えてくれた先輩たちの存在があった。自分自身、人を支えるような学び、具体的には”発達”や”教育”の分野に関心があるんだけれど、自分の周りの仲間が自身の悩みや葛藤を話してくれたことは、仲間のために学ぼうと言う自身のきっかけや問題を深める契機になってくれたし、わからないことは教えてくれる仲間の存在もあったし、自分自身が学んでくれていることを評価してくれる仲間もいた。

 こうして考えてみると、私自身が学ぶことに関して、きっかけから、その経済的土台を支え、協力し励ましあい、始まりから終わりまでそのすべてが自分以外の他者によって支えられていることに気づきました。自分自身学んでこれたのは、自分だけの能力によるものだけではなく、その全てが他者との密接な関係によって支えられてきたという事実がありました。

 もうすこし早く岩川さんの論文に出会っていたら自分自身の学ぶことへの方向性も違ったものになっていたのだろうと思う。
 改めて考えると、学びというものは自分のためにするだけのものではなく、自分を含めた他者のためにある物なんだと思う。そして他者との密接な関係から生まれた自身の学びというものは、やがて自分自身を含めた他者、ひいては社会に還元していくべきものなのだと思う。いつか竹内章郎さんの提唱する「能力の共同性」について触れたことがあったと思うけれど、まさにそのことなんだと思います。自分自身が他者の支えによって得た学びが、他者のために役立ち、その他者がまた他の誰かのために自らの学びによって得たものを還元していく。それが連鎖していくことで、学びという行為が社会全体を豊かにしていくようなそんなイメージ・・。そう学びと言うものは自分を含めた社会の構成員全てを豊かにしていく、究極的にそういうものなのだと思った。

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