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人にとっての”還る”場所

☆はじめに

昨日はうちの母親の誕生日でした。
63歳の誕生日。
40代でがんを発症してから早15年。今日までよく元気に生きていてくれて良かったなって思う。改めて誕生日おめでとう。

話は変わって、一昨日は私の職場の飲み会がありました。
もう10年働いてる職場。でも、実は来年いっぱいで退職する希望を、この前行った面接で伝えてあるのです。
それ以降、上司には度々「残って欲しい」と飲み会の度に言われています。


☆「親をこっちによべ」という選択肢への違和感


上司が、なぜ自分に残って欲しいと言っている理由については、正直何回話を聞いてもよくわかりません。上司の日頃の発言や態度からは、私自身を必要としてはいないことだけははっきりと伝わってくるのに、実際の発言だけは「残って欲しい」と話される。その真意は私には測りかねます。

面接では、実家では、90歳過ぎの要介護状態の祖父母を、病気がちの母親が一人で面倒を見ていること。(父親は婿ということもあってあまり介護力はないのです。)かつ家事全般も母親が一人で担っている現状を話し、私自身が長男ということも含めて、実家に戻りたい趣旨を上司に伝えました。
しかし上司からは「親はこっちに呼べばよい」との一点張りで、なかなか話が伝わらないな・・という想いだけが募ります。

そうはいっても、上司だってこれまでの人生の中で、似たような葛藤を抱えながら選択を繰り返してきたのだろうし、軽々しく「親を呼べ」と言っているわけではないのであろうとは思います。しかし、「親をこっちに呼べ」という言葉を聞く度に、私は違和感を感じるのです。


☆母親の人生の軌跡と価値

話は変わって、私の母親はどういう人なのかというと、”普通の人”としかいいようがないかもしれません(笑)
母親は結婚してからはずっとパート職員として働いており、一方父親はずっと長距離運転手として今でも働いています。若いころたまたま同じ運送会社で働いていたのが最初の出会いのきっかけだったそうです。

二人の結婚後、すぐ私が生まれ、その3年後に妹が生まれます。
正直、バブル崩壊以後の長距離運転手の業界は一変し、規制緩和も相まって、正直、私の子ども時代において、長距離運転手の待遇は決して良いとはいえないものだったと思います。

私自身、子ども時代にお金に困るという経験はしたことはないけれど、それは両親の懸命の自己犠牲の賜物だったのだと今は思います。父親も母親も趣味にお金を使ったり、どこかに遊びに行ったりした姿をほとんどみたことはないからです。

母親も、もっと自分でやりたいことがあったんじゃないかな・・とたまに思うことがあります。子ども2人ともに大学に進学させてくれたけど、自分自身のやりたいことを我慢しながら、自ら病気を抱えながら、祖父母の面倒と家事全般を一人で担ってきた、それがこれまでの母親の人生だったのではないかと思うのです。

そんな母親にとっての人生は、私たち子どもを育てること、祖父母の面倒を見ること、自らの家を守ること、それらのことこそが母親のこれまで生きてきた人生の軌跡であり、残してきた価値だと思うのです。


☆人生の軌跡や価値は、生きてきた時間・場所・人間の中にこそ宿る

決して料理が好きではない母親が毎日料理を作ってきた台所、2階建ての決して狭くはないのに、ほこりもほとんどないほどよく手入れがされている部屋、そんなに仲は良くないけど、長い間自治会などの活動をしてきたご近所さんとの関係、待遇について組合を通して何度も議論の攻防を積み重ねた職場、嫌味をいう人も多かった同僚、年に1回食事会をする同級生の集まり、今でも付き合いのある私の小学生時代のPTA仲間。

そんな良くも悪くも、母親が生きてきた軌跡や残してきた価値は、そうした実家の人や物や場所にこそ宿っているのだと思います。


昔観た映画に「砂時計」というものがありました。
以下は、その映画の中で主人公の杏が語ったセリフです。

「忘れられない風景がある
その一つ一つの思い出が今の私をつくっている
あの道もあの川もあの駅も
そこであったすべてのことも私の時間を刻んだ砂時計の砂粒たち
その思い出と共に私はいまも生きていく」

そう、人間は誰だって、自分が生まれ育ち、共に生き抜いてきた時間や空間や人間とは無関係に独立して存在しえないのです。

私は、母親が生きてきたその軌跡や価値を決して否定したくはありません。その延長線上を生きていきたいと思うのです。



「あなたにはあなたの人生がある」
そう指摘する人もいるかもしれません。

確かに、今の私が自分の人生をかけてやりたいことに携わっているのであれば、実家に戻らないということも一つの選択肢として考えられるかもしれません。
しかし、今の自分にそうしたものが見いだせるかといえば、それは残念ながら「NO」としかいえないのです。

そして”誰かの人生を肯定して生きていくこと”それこそが唯一、私にとって主体的にやりたいと思えることなのです。

だからこそ、私が私の人生を生きていくためにも、「親をこっちに呼ぶ」という選択肢は出てこないし、「親をこっちによべ」という言葉についても、軽々しく言っているわけではないのかもしれないけれど、それでも親の人生の価値が軽視されているような印象を感じるし、それこそがきっと私にとっての違和感の正体なのだと思います。


☆終わりに-生まれ育ったところに”還る”権利-

最後に、私自身、保守的だと思われるかもしれないけれど、やっぱり人は自分の生まれ育った場所で学び成長し働き、結婚し、年老いて、召されていく。それが人間にとってのべージックなライフスタイルとして保障されるべきなのではないかと思います。


資本主義の社会において、資本による利潤追求のため、そして人間としての基本的な人権意識の向上のために、人間は生まれ育った土地と人間関係から解放され、どこで誰とでも生活を送ることが自由を得ました。

しかし、その自由は現代において様々な弊害を内包するものとなっています。

こうした時代において、私は今一度それぞれの人が自分の生まれ育った土地と人間関係に自らの意思でもう一度還る、いや”還ることができる”べきなんじゃないかと思うのです。

その”還る”選択肢が保障された時に、人はもう一度新たな形で大切な価値を取り戻すことができるのでは・・という風に思うのです。
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