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「生きる意味」

「ずっと・・
ずっと考えてた

死ぬために生まれたぼくが
この世界に存在する意味って何だろうって

何も生み出すことも
与えることもせず・・

たくさんの薬や機械を無駄遣いして
周りの人たちを困らせて・・

自分も悩み苦しんで・・・

その果てにただ消えるだけなら・・

今この瞬間にいなくなった方がいい・・

何度も何度もそう思った・・

何でぼくは生きているんだろうってずっと・・


でも・・
でもね・・

ようやく答えが見つかった気がするよ

意味・・
なんて・・
なくても・・

生きてて・・
いいんだ・・
って・・

だって・・
最後の瞬間がこんなにも・・
満たされているんだから・・

こんなに・・
たくさんの・・
人に囲まれて・・

大好きな人の胸の中で・・
旅を・・
終えられるんだから・・


ボク

がんばって

生きた・・


ここで

生きたよ・・」


【Sword Art Online -Mother's Rozario-より】


上のセリフは、作品の中で登場するユウキという少女がAIDSという病気との闘いの末、天に召される直前の言葉です。


人がこの世の中に存在する意味って何なのだろう・・

原始、人が一人生きるためのギリギリの生産力しかない時代。
病気や障害を持ち、生産活動に携わることのできない人間は確かに生きることを許されなかったのかもしれない。

でも今は違う。

病気や障害自体が本人の生命活動を奪うこと以外には、生産活動に携わることができないといったような外的な要因で生存を脅かされる時代ではなくなりました。

現代は、誰もが生きていていい時代になったのです。


もし「生産活動に携わることのできない人間は価値がない」なんて風潮が現代において振りまかれているのであれば、それは人類がこれまでの歴史の中で築いてきた遺産を否定すること、つまり退化を示すもの以外の何物でもない。


「生きる意味」なるものが何なのか。
それに対する問いは、私一人が定義できるようなものではないのは明らかです。

でも、私自身が今この時代に生きていて感じることは、現代は、そのような「生きる意味」を見出す行為すら、自らの責任に還元されるような風潮が非常に強くなってきているということです。


「生きる意味」

それが何なのかは、私にもまだわからないけれど、でもきっとその”意味”は、自らの心の内だけに見いだされるものだけではなく、他者との関係の内にも見いだされるもののはず。


きっと、「生きる意味」なるものは、私が私の心の中に見出すモノと、あなたや他者が私の心の中に見出すモノが交錯する場所に見出されるものなのだと思います。


だから、もし”あなた”が、”あなた”の心の内に「生きる意味」なるものを見出せないのであるならば・・

”わたし”や他者が”あなた”の中に見出しているものを伝えること。
そのことに大きな”意味”があるのだと思うのです。












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