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自己形成と他者承認②

6年前に、書きかけてずっと放置していた岩川直樹さんの論文のまとめの続きですが、久しぶりに続きを書きたいと思います。



2.自己形成と他者や共同体からの承認


1)自己形成と重要な他者からの承認


2-1)で、岩川氏は以下のような指摘をしています。


人生のあらゆる場面において、葛藤や矛盾を生きる中で自己形成しようとする者には、その都度他者からの承認が必要である。自己形成するもの葛藤や変容を関与的に捉える重要な他者からの承認は<私>にとって重要な足場になるからである。


アイデンティティの形成には、私が変容しながら私である「自立の感覚」という主観的側面と重要な他者によってその意味を承認される「相互依存の感覚」という社会的側面が必要であるというのである。


自己形成の渦中にある本人は、自己自身の変容や葛藤の意味をかならずしも自覚していない。そういう場合、自己の変容の結果を承認されるだけではなく、変容以前の葛藤や試行がもつ未然の可能性を承認されることが意味を持つ。


誰かが自身の変容についておぼろげながら自覚していたとしても、重要な他者からの承認がなされない場合、あるいは、承認があっても自己の変容の感覚と食い違う場合は、アイデンティティはリアルなものにならない。ときには、そのときの他者からの承認不全によって、自己の基層に深刻な傷つきを抱える場合もある。


自己形成と他者からのその意味の承認の両者が重なることによって、はじめて自立の足場が形づくられるのである。


上記の岩川氏の指摘を私なりにまとめると、主に3つのポイントがあると思います。


(1)自己形成するものの葛藤や変容を関与的に捉える他者の必要性。

(2)自己の変容を自覚していないものに対する、変容以前の葛藤や試行が他者に承認されることの意味の重要性

(3)自己の変容の感覚が、当事者と他者からの承認したものが重なることの重要性

の3点です。


自己形成にあたり、重要な他者の存在とその承認こそがとても大事ということなのですが、そう考えると、私は、現代社会においてはこの「重要な他者」、自分の葛藤や変容を関与的に捉えてくれる他者の存在を獲得し、相互依存の関係を築くことについて特別な困難さが存在するのではないかということを感じました。


私がそう感じたのは、理由の一つ目に、現代社会においてはいわゆる「重要な他者」、具体的には家族や友人、教師や職場の同僚、地域の仲間だったりが想定されると思いますが、社会自体に効率が最優先される思想が推し進められ、誰もが余裕がなくなっている今、家族・学校・職場・地域のいずれにおいても、人間同士の相互関係の構築自体が物理的にも難しくなってきているのではないかということがあります。


そして2つ目に、自己責任論の思想と価値観がこの社会の隅々まで押し寄せている中で、自分も他者も、相互依存の関係を構築すること自体が”甘え”として忌諱されることで、精神的にも相互関係を構築することを自主的に放棄してしまいがちな風潮が存在するからです。



本来、アイデンティティや自己形成に必要な重要な他者の存在と相互関係の形成が、物理的にも精神的にも構築することが困難となっている。

そのために、今の若者を中心に皆が様々な形で承認不全のために心に傷つきを抱え、かつ人間関係においても様々な問題を抱えてしまう状況に陥っている。

現代日本における新自由主義政策の一環としての効率最優先の市場原理や自己責任論の思想の浸透は、人間形成の観点からも非常に大きな障害をもたらしているということが、再認識させられる指摘だと思いました。

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