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”陽光桜”と”ハナミズキ”

☆映画『陽光桜-YOKO THE CHERRY BLOSSOM-』を観て


先日、ある映画を観る機会がありました。

映画のタイトルは、『陽光桜-YOKO THE CHERRY BLOSSOM-』という映画で、愛媛県川内町(現在の東温市)で生まれ2001年に92歳で亡くなった高岡正明さんという方の生涯をモデルに描かれたヒューマン・ドラマ映画です。


戦時中、軍国教育を行っていた青年学校で教師だった高岡正明さんは、終戦直後から「わしが教え子たちを戦地に送り込んでしまった」との自責の念に苦しみ続けていました。

「戦争という、二度とこのような悲惨なことを繰り返してはならない。戦死した教え子たちの鎮魂と、世界恒久平和への願いを託して新しい桜を自分の手で作ろう」と、生涯を賭けた桜の新品種開発を高岡さんは誓います。


そして、高岡さんにとって、その桜は「新しい桜」でなければいけませんでした。

教え子の中には、「厳寒のシベリアで散った子たちもいる。亜熱帯のインドシナ半島で亡くなった子もおる。教え子たちの鎮魂と世界各国への平和のメッセージを託すには、これまでの桜ではいかん。どんな気候でも花を咲かせる、病気にも強い樹勢が良い品種でなければいかんけん」 その挑戦は苦難の連続でした。植物遺伝学上、桜は人工受粉で新たな品種をつくることは「不可能」だと言われていたからです。


しかし、高岡さんは自らの誓いを胸に秘め不屈の精神で試行錯誤を繰り返し、30年後、ついに桜の新品種登録第一号となる「陽光」を生み出します。

そして、「陽光桜」という新種の開発に成功した後も、その桜を営利目的で販売することはなく、「平和」を祈願し、「陽光桜」の苗を無償で世界中に送付する。

というストーリーです。



自ら教師として教え子を戦地に送り込んでしまったことに対して自責の念を心の内に秘め、その鎮魂と世界平和への願いを桜に託し、30年もの長い間、不屈に新種の桜開発に自らの人生を捧げたその姿には、心打たれるものがありました。



☆100年前にも存在した、日米間での桜の贈呈


実は、日本と他の国との間での桜の贈りあうということは、今から100年前にも存在したのです。

1912年。当時東京市長だった尾崎行雄氏が、当時のアメリカ大統領夫人の希望に応えて、親善交流の目的でソメイヨシノをアメリカに贈呈しました。

後の1915年。アメリカからその返礼としてハナミズキを日本に贈呈(※ハナミズキの花言葉は”返礼”)するというエピソードがあったのです。


それから100年後の2012年には、桜の贈呈から100周年を記念した行事も日米間で開催されました。

時の政権の思惑により、軍事的な交流の内容も幅広く含む内容となってしまっていたのは残念ではありますが、それでも桜の贈呈がきっかけとなり、日米間の様々な交流行事の開催や、この前年に起こった東日本大震災の復興を祈願しての交流なども幅広く行われ、いまなお日米間での親善交流の礎となっているそうです。



☆高岡さんの死と9.11テロ

恒久平和を願い、「陽光桜」を開発した高岡さんは、残念ながら2011年9月10日に永眠されました。

そして、皮肉だったのは、この高岡さんが永眠された翌日に、あの9.11テロが起こってしまったことです。

9.11テロをきっかけにこの後、アメリカは対テロ戦争ということでアフガニスタン、そしたイラクとの泥沼の戦争を行っていくこととなります。


恒久平和を願う高岡さんの志は、本人の死と共にこの世の中から途絶えてしまったのか?
そう思わざるをえないくらい9.11テロは衝撃的な事件でした。



☆9.11をきっかけに生まれた曲『ハナミズキ』


話は変わって、みなさんは『ハナミズキ』という曲をご存知でしょうか。2004年にアーティストの一青窈さんがリリースし、今なおカラオケや結婚式などで長く重宝されている曲です。


実はこの曲は、9.11同時多発テロ事件をきっかけに描かれた曲なのです。


「イラクでさ、三人拘束されたじゃない? みんなも例えばそう、家族だったり、好きな人だったり、そうなったら何が何でも帰ってきてほしいじゃない? こういう状況になって、私たちははじめて『ああどうしよう!何かしなきゃって』署名運動だったり、チェインメールだったり・・・」 「今から3年前。9月11日。NY。みんなちょっと忘れそうになってるでしょ? あの時私の友達がNYにいました。 そのときわたしはやっと、戦争のことすごく身近に感じられました みんなはきっと教科書で、フランス革命とかなんかの合戦とかいろいろ学んできたと思うけど、全部他人事じゃない?あのことを勉強して今私たちは何ができるか思ったら、何もできないんだよね。だって、私も痛まってないし、私の好きな人も痛まってないし。 でもそれってすごく当たり前なことなの。人間ってすごく勝手ないきものだから、私みたいに誰か友達とかまきこまれないと自分のことを考えません。 自分と自分の好きな人の幸せを願うのことは、当たり前なこと。 せっかくここにみんな来て、何かやってほしいと思うのです。 だから好きな人とね、その好きな人の、一歩先、そこの幸せを願ってください。 そこから気持ちが連鎖して優しい世の中になると思います。 まずは私から。 あなたとあなたの好きな人が百年続きますように。」

DVD:《一青窈 LIVE TOUR 2004〜てとしゃん〜》より文字おこし



「たとえば私たちが生きていて残せるものは何かと考えたときに、想い、があると思います。 もちろん想いは目に見えなくて、不確かなモノだから時々不安になるんだけど、やっぱり自分のことでもでもいいですし、たとえばもっと次の新しい人間に同じような景色を残せてあげたらいいなと思うのです。 この前のツアーでは、ハナミズキの苗木をツアーに来てくれたみなさんにプレゼントしましたが、今回はくちなしの木をここに来てくれたみなさん全員に、ぜひ受け取ってほしいのでもらってください。 あの・・嬉しい? 本当は「ハナミズキ」を作ったとき、昔東京の市長で尾崎行雄さんという方がいて、その人が日米国交のために桜をアメリカに贈ったんですよ。 その返礼でもらったのがハナミズキで、そういう、文字通りハナミズキの花言葉は「返礼」なんですけれども、実際に見えるもので想いを交換しあうってすごい素敵だなって思いました。 私とあなたの中にも、何か残せるものがあったらいいなって思って、想いを目に見える形にして、くちなしとかハナミズキとか、これから生まれるんであろう木が埋まっていって、素敵な森になったらいいじゃないですか。 本当はその想いの交換みたいなものに気づいたのは、9.11のテロの起こった日に「ハナミズキ」という曲は書いたんですけど、どうかあんな悲しいことが起こらないように、想いの優しい気持ちの連鎖をここからはじめたいと思うので、私から皆さんに願わせてください。 あなたとあなたの好きな人が百年続きますように。」

DVD:《一青窈 Yo&U Tour '06》より文字おこし


一青さんの、「ハナミズキ」という曲に込められた想いというものは、上記の2つのツアーで本人より語られた言葉に触れればとってもよくわかるのではないかと思います。


☆時空を超えて引き継がれる想い


でも、なんか不思議じゃないですか?

陽光桜を開発した高岡さんが亡くなられた次の日に、9.11テロのような事件が起こってしまったわけですが、それと時を同じくして「ハナミズキ」という曲がこの世に生まれました。

その「ハナミズキ」を書いたアーティストは、100年前の日米の桜の贈り合いのことに思いを馳せ、そして高岡さんのように、平和を願い桜の苗を他者にプレゼントしていたのです。

一青さんが、高岡さんの存在と功績を知っていたかどうかわかりません。

しかし、高岡さんの志は決して途絶えてはいなかったのだと思います。

想いはきっとどこかでつながっているし、受け継がれていく。そういうものなんだなって強く感じさせられました。


最後に、私が一番びっくりしたのは、高岡さんと一青さんの間には、平和を願い、桜の苗木を他者に贈る、ということ以外にも共通点が存在していたことでした。

実は、高岡さんが開発した「陽光桜」という桜は、” 天城吉野”と”寒緋桜”という2つの桜の交配によって生まれた品種なのですが、”天城吉野”というのはその名からわかるように、日本の桜です。そして、「寒緋桜」というのは、別名「台湾桜」と呼ばれており、中国~台湾にかけて広く分布する桜なのです。

日本と台湾のそれぞれの桜の交配によって生まれた桜。

そして、一青さん自身も、日本人の母と台湾人の父から生まれた存在です。


これは偶然? それとも必然なのでしょうか?

いつかその真実が明らかになる日を夢見て・・

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