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”無関心”を装った関心②

私はなぜおばあさんと一緒にいたお孫さんには目も合わせず帰ってきてしまったのか?


よくよく思い出してみると、この日の私は同じバスに乗車していた参加者全員に声をかけているつもりでしたが、そのおばあさんのお孫さんには一言しか声をかけていないことに後で気づきました。もちろん、そのお孫さんが乗車していたことには気づいていましたし、姿も見えていました。


私は、無意識的ではありましたが、しかし”当然のこと”としてそのお孫さんに声をかけなかったのです。


後々なぜ私はこんな行動をとってしまったのか考えてみたときに、そもそもこれまでの人生の中でずっと同じようなことを何度もしてきていることに気づきました。


私自身、幼い頃から、自分なりに美人にみえる人に話しかけるということが苦手でした。理由は普段は意識していないのですが、一つは、美人な女性は、自分みたいな人間から話しかけられるのが嫌がられるのではないかと考えてしまうことです。

昔、クラスではぶられてたり、いじめられていたり、そういう子から話しかけられたりすると、周りから、はぶられてたり、いじめられていたりする子の仲間と思われてしまうんじゃないかと考えて、意図的に距離を置くようなことをしていました。恥ずかしい話ですが、そんな感覚に近いと思います。

私自身、目に見えてハブられていたり、いじめを受けることもありませんでしたが、周囲の人間から、どちらかというと付き合いにくい人間と思われているであろうそぶりを感じたことは何度かありました。 

だからこそ、クラスでかっこよい男子や、美人な女子に自分から積極的に話しかけるようなことは昔から意識的に忌諱してきたように思います。

それが習慣化して、今では自分でも意識せずに、かっこよい男性や美人な女性には声をかけないようになってしまったのではないかと思うのです。


この日、おばあさんと一緒に参加したお孫さんは、容姿のきれいな方でした。だからこそ、自分も無意識的に声をかけなかったのだと思います。


もう一つ考えられるのは、これも昔からの話なのですが、ちょっとかわいい女性がいると、やたらになれなれしくする男性の行動があまり好きではなかったということです。

これはそうできない自分のひがみかもしれませんね・・・とにかく、そうした理由も間違いなくあったと思います。



しかし、ここまで書いてきて、自分でもあきれるくらい自分勝手な思い込みだと感じます。


自分勝手な思い込みで、せっかく善意でボランティアに参加してくれた若い女性に、声をほとんどかけなかったばかりか、お礼の一つも言えず、目もあわせずに帰ってしまったのですから・・・


もしかしたら、周りからみたら私の行動が違和感のあるものに映っていたのかもしれません。


とかく、自分は、おばあさんのお孫さんに対して、「自分みたいな人間から話しかけられたら嫌だろうな・・」という勝手な思い込みと、気軽になれなれしくする同姓への忌諱からこのお孫さんに対して声をかけませんでした。

本当はせっかく参加してくださったのですから、感謝の意と、本人がこうした取り組みにもっと関心や積極的にかかわってくれるようにエンパワーするようなかかわり方をしなければならなかったと感じています。

でも私はそうできなかった。お孫さんに対して、終始”無関心”を装っていました。


そう、”無関心”を装っていましたが、実は私自身そのお孫さんに対して、もしかしたら他の参加者以上に関心を払っていたのかもしれません。なぜなら、思い返してみると、そのお孫さんに、自分が関心を示していると気づかれないようにしつつも、自分の一挙手一投足にどういう反応を示しているかについて、気にしている自分がいたからです。


言い訳になるかもしれませんが、別にそのお孫さんに一目ぼれをしたわけでもないし、特にどうこうしたいということを考えていたわけではありません。しかし、客観的に見れば特異な関心を示していたんだな・・って思います。


”無関心という方法で、他者に関心を示す”ということで、エリクソンの分析についての岩川直樹さんらが書いた論文について①の方に掲載させていただいたのですが、ここには自分の人生について考えなけれならなない重要な問題が含まれているように感じました。


しかし、改めて振り返っても情けないな・・・って切に思います。



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