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第46回総選挙(5)-維新の会の台頭と民主主義-

【日本維新の会の躍進と登場した背景】

また今回の選挙では日本維新の会が躍進しました。合計獲得議席では民主党の57議席に迫る54議席を獲得し、比例代表選挙では、民主党の926万票を超える1226万票を獲得しました。
日本維新の会の政策については、自民・民主以上に反動的であり、掲げている政策も「維新八朔」を見ても、道州制の導入や公務員制度改革などの行政のスリム化、TPPの導入をはじめとする規制緩和の推進など構造改革・新自由主義的なものが多く見られるのは周知のとおりです。
日本維新の会が登場した背景にはまぎれもなく財界の期待があると思います。その目的としては主に2つあると思います。

1つ目は自民・民主から離れた票の受け皿としての役割。

2つ目は、自民・民主よりもより反動的で急進的な構造改革の政策を掲げることによって、有権者の中で構造改革や消費税増税・TPP推進・原発再稼動などの政策を規定路線と思わせること。

つまり、今回の選挙の争点を”自民・民主もしくはそれ以外の第3極か?”という問いが有権者に生まれても、構造改革をはじめとする諸政策の是非という問いは決して生んではならないという狙いです。
 もし、今回の選挙で、自民・民主以外に有力な政党が、反構造改革の党である共産党や社民党しかなかったのであれば、必然的に有権者の問いは、構造改革推進か反構造改革かという問いが生まれていたことでしょう。しかし、実際には自民・民主よりも急進的な構造改革を掲げる日本維新の会(またみんなの党)が存在したがために、構造改革や上記の諸政策には否定的な見解を持っている有権者も、「維新は危険だから自民でもしょうがないか」と自民に投票することに決定した方もいるでしょうし、自民・民主も維新の会も後続改革を進める立場は共通していたため、構造改革是非という点についてはあまり注目されない結果となってしまいました。

このような財界の意図を汲んで登場した日本維新の会について、今回の選挙に限っては、見事な働きを果たしたといわざるをえないと思います。


【日本維新の会の躍進が示す現在の日本社会の危険性】

日本維新の会の掲げる政策の危険性については多かれ少なかれ有権者が気づいている方も少なくないと思います。ただ、それでもこれだけの支持を獲得してしまうというところの要因は、大雑把に言えば、現在の日本の社会状況の厳しさをどうにかしてほしいという切実な願いと、自民・民主への不信感がいかに強かったのかというところに尽きると思います。”決められる政治を”とリーダーシップを掲げる石原・橋下両氏に対して、有権者が「今の生活を何とかしてほしい」と期待をかけるのも無理はないかもしれません。それだけ有権者の生活状況は厳しさを増しているのだと思います。

ただ、私は今回の選挙でも現れたであろう、この有権者の”何とかしてほしい”という心象について真剣に考えなければならないと思っています。


【日本社会における国民の持っている政治的力量と弱体化について】

この「何とかしてほしい」という気持ちは、字面だけみればある意味他力本願的な言葉にも聞こえます。今の日本の政治や社会状況について、”自分たちに何ができるか”という視点でなく、政治家任せのある意味依存的な態度ともいえると思います。

人間の本性として、自身が弱い立場におかれた際に、その窮地を脱するために自分以外の強い何かに依存したいという気持ちは当然のことだと思います。人は一人では生きてはいけないし、他者の力に依拠すること自体には確かに何も悪いことはありません。

問題なのは、今の日本において有権者の一人ひとりが政治的に果たすことができる力を持ちえていないという認識が弱まっている。根本的には自分自身が他者や社会に対して何ができるかということになるのですが、自分自身が動いたところで身近な他者や地域や大きなところの社会というものを変えられるか?という、効用感的な感覚が弱くなってきているのではないかということです。

自分自身が何か動いたところで政治も社会も変わらない。だから力のある誰か(→石原や橋下)に任せよう、そんな様に考えている有権者の方々が広範に存在するような気がするのです。


【政治不信の光と影】

 しかし、一方で、昨年からは毎週金曜日には原発反対の官邸前行動に自発的に参加する人たちも増えているように、自身が声をあげることの大切さを自覚し、政治的行動に踏み出すことで何かを変えられると信じている人々も広範に存在していることもまた事実です。

つまり、今の自民・民主の政治への不信感がポジティブに働けば、「政治家頼りではもう駄目、私たちが声をあげるしかない」というように、自発的な官邸前行動への参加などの取り組みに発展するわけですが、ネガティブに働けば、「石原さん、橋本さんよろしくお願いします」というような維新の会への依存的な投票行動となって現れているのではないかと思うのです。

今回の総選挙ではかってないほど無効票が多かったことも注目されましたが、このことからも有権者は自分たちの生活がどれだけ政治と深く結びついているかについては一定程度の理解はあるのであろうと思います。ただ、政治の大切さを理解しながらも、自分がその政治に対して何ができるかということについては自信が持てていない。政治家以外の有権者の側が政治に対してどれだけのことができるかというと貧しいイメージしか持てていない。だからこそ、強いリーダーシップを持っているように見える維新の会を支持してしまう。


【民主主義の成熟と今後の日本社会のあり方】

そう考えていくと、私は今の日本社会にとって一番必要なのは、社会に存在する一人ひとりの政治的力量、突き詰めていくと、自分自身が政治や社会、ひいては自分以外の他者の存在に対して何かできるんだという効用感を高めていくことなのではないかと思うのです。

そうした力は、有権者一人ひとりと草の根で結びつき、政治や社会、地域や他者に対して一緒に今の自分たちの生活をよりよくしようという自発的なそして良心的な活動の積み重ねの中ではじめて生まれてくるものだと思うのです。

日常の中でどんなささいなことでも構いません。自分以外の他者に対して、何か行動してみる。そして互いに支えあい励ましあう。そうした多用な取り組みの中で、「自分も他者に対して何かできるんだ。変えられるんだ。」という経験を積み重ねていくことが、今の社会の中でもっとも必要なことだと思うし、ひいては日本社会の政治的力量を高め、より良い社会を形成していくための基盤になっていくのではないかと思うのです。

それが結果的には、維新の会の躍進を押さえ込み、有権者自身が真の意味での民主主義が強固に根付いた日本社会を築いていくことにもつながっていくのだと思います。

選挙活動ということを考えたときに、自身の党を如何に大きくするかについてとか、自身の党の政策をどれだけ多くの有権者に理解してもらえるかという狭義の活動にとらわれず、それを大事にしつつも広義の意味での社会活動全体に注目し励ましあうことが大切なんじゃないかと今回の総選挙を通じて思いました。


※この記事は以前2013年1月17日に書いた記事、「総選挙の結果から思ったこと」の再掲です。

このテーマについてはその後いろいろ情報を集める中で、私の実感に一番近い問題提起をしてくれていたのが湯浅誠さんの考えでした。

「ヒーローを待っていても世界は変わらない」 湯浅誠 朝日新聞出版 2012年8月版

湯浅さんについては、内閣参与辞任後、『世界』に掲載した論文をめぐって様々な民主的活動家の中でも評価が分かれていたりするところも大きいですが、一度読んで見ていただいて損はない内容と思います。
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