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多様化した結婚のかたち②

【根本要因である労働市場の変化について】

 先に、近年急激に進んだ貧困化と格差社会化、特に労働を取り巻く環境の変化が起こったという旨述べましたが、この事について首都大学東京の乾彰夫教授は、「教育学研究」第23号で、以下のように述べています。

「20世紀後半までの先進国社会においては、若者の学校から仕事への移行は、階級・階層・ジェンダー・エスニシティなどごとに集団的に標準化されていた。しかし20世紀末以降の社会変容は、こうした集団的な移行ルートを示す道標のないままに、個々人がそのルートを模索しなければならないものに、その過程を変化させることになった・・・  日本を含む先進諸国の若者たちの中に、不安定性と流動性を大きく広げているもっとも大きな基底的要因は、この間の先進諸国の労働市場変容である。それは20世紀前反から半ばまでの完全雇用と雇用の安定化の実現という方向性が大きく逆転し、発展途上国に特徴的であったような不安定雇用と不完全就労が、先進諸国に再び拡大し始めた。」

 このように、若者の<学校から仕事>への移行過程は労働市場の変容に比例するように大きく変化をしてきました。


 しかしこのような<学校から仕事へ>の移行過程の変容は、仕事以外の面にも大きな影響を与えてきました。それについても乾氏は「<学校から仕事へ>の変容と若者たち」(青木書店)の中で以下のように述べています。


「J・ジョーンズとC・ウォーレスは、こうした状況が、『従来は就職し経済的基盤を得るとまもなく親の家を出て自活し、ほどなくパートナーとの新しい家族形成へと向かっていた若者たちの離家・家族形成にも大きな影響を与えたことを指摘している』と触れている。従来は比較的直線的に、しかしあまり間をおくことなく継起していた就職・離家・結婚ということをめぐって、多くの若者たちが、就職から失業そして訓練や再就学などへ、離家から同居へなど、まるでヨーヨーみたいに行きつ戻りつしながら、なんとか大人になろうとしているのが、今日の多くの若者たちの状況であるという。    このような中で、若者たちの移行パターンはとめどもなく多様化した。それは教室の中で、一緒に机を並べた仲間たちの中に、一人も自分と同じ過程をたどるものが見出せないほどのものになった。そしてあらかじめ敷かれたレールのないもとで、一人ひとりの努力と判断でその過程を乗り切らなければならないものとなった。」
 
このように労働市場の変化が、学校から仕事への移行過程の変遷につながり、それがまた若者の仕事以外のプロセスの多様化にも大きな影響を与えていることがわかります。この仕事以外の生活の中に結婚を取り巻く一連の行動なども含まれるのでしょう。


【多様化したライフコースの選択行動が若者にもたらす困難について】

先に、「そしてあらかじめ敷かれたレールのないもとで、一人ひとりの努力と判断でその過程を乗り切らなければならないものとなった。」という乾氏の言葉を紹介しましたが、結婚をはじめとする多様化したライフコースをいかに自ら選択して人生を歩んでいくかという課題は、若者自身に新しい困難を背負わせているように思います。
 
 というのも、この記事は結婚についてが主なテーマなので結婚を例に挙げて述べるのであれば、結婚をめぐって、経済的困難から結婚に関するあらゆる行動が制約されるのはもちろん若者が抱える大きな問題です。それに加えて例えば、それまで標準的だった結婚のあり方とは違う結婚形態、例えば事実婚や入籍だけとかそうした形態を若者自身が選択した際に、周囲の人たち、特に親などの家族などから非難めいた言葉をかけられることがありうるのではないかと思います。
 そうした周囲の人から承認されなかったり、説明責任を果たさなければならなかったり、そうした新しい困難が若者の中に存在するのではないでしょうか。

 貧困化や格差社会がメディアでもこの間かなりクローズアップされ、不安定雇用や未婚の状態であることについて、個人の責任ではなく、社会構造的な問題だという見方が以前よりはある程度浸透してきていることは事実だと思います。しかし、これらの問題を依然として”若者の甘え”だなどと個人の責任に押し付ける論調は幅を利かせており、若者の雇用を巡る困難については一定程度社会構造の問題という認識を持っていたとしても、そこから一歩離れた結婚などの問題については、本当は雇用や労働の問題と密接に関係しているにもかかわらず、個人の責任に帰す人も広範に存在するように思えます。

 それゆえに、これまでとは違う結婚形態をとり、本当は経済的問題などの理由でそうするしかなかったのにも関わらず、標準的な結婚形態をとれなかったことについて周囲の大人から「あなたがちゃんとした職につかなかったから」とか「しっかり人生設計をしないから」非難めいた言葉を投げかけられることもあるかもしれません。

 このように親を初め周囲の関係者の承認を得られないことによって、経済的問題をはじめ多くの課題をもって出発した二人の結婚生活(事実婚を含む)は、本来ならば標準的な結婚形態をとった人たちより多くの支援や励ましを周囲から必要としているにも関わらず、そうした協力を得られずに、より困難な結婚生活を送らざるをえなくなるといった悪循環に陥ってしまう可能性も少なくないように感じます。


【”結婚”とは社会的なモノ】

 こうした考えると、やはりいい意味でも悪い意味でも”結婚”というのは社会的なモノだと思います。結婚生活を送る当事者たちがどんなに愛し合い努力したとしても、それに関わる周囲の人たちの協力や、ひいては豊かに生活を送るための充実した社会制度などがあって、初めて結婚生活というのは上手くいくのだと思うのです。

 きっとこのブログを見てくれているみなさんの中にも、今まで標準的だと考えられていた幸せな結婚のかたちとは違った結婚生活を歩み始めたカップルもいるかもしれません。そうした二人を色眼鏡でみたり、蔑視したりする前に、ちょっと一息いれて考えてほしいのです。

 ただでさえ、標準的な結婚形態から外れた選択をすることは勇気のいることです。今多くの若者が結婚自体、そして結婚へのプロセスを歩むにあたって有形無形の多くの困難や葛藤を抱えていることは疑いようのない事実です。どうか結婚を望むカップルが安心して”結婚”という一つのゴールにたどり着けるようにするためには、当事者がどんな選択をしたとしても、その選択が周囲の人たちに承認され、その後の生活を含めて支えられるようなそんな援助が必要不可欠です。

 人が幸せに過ごす権利は誰にも邪魔できないものです。そして、きっと人を幸せを支えようと思える人間はきっとその幸せが自分にも還ってくる。社会っていうのはそういうものだと私は思うし、そうであって欲しいと思う。

 
 最後に、この間様々な困難を抱える中で”結婚”という選択をした仲間たちに本当に幸せなって欲しいという願いを込めてこの記事をささげたいと思います。

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