”声”が生まれる瞬間
ここ数年、年末は大学時代の仲間と旅行にいくのが通例となっています。今年は静岡の旅館に集合して一泊して過ごしました。
今回もとっても楽しかった。こうした思いが出来るのも、年末の忙しい時期に集めようとする仲間、集まろうとする仲間がいるからこそ実現できるもの。ホントに幸せなことだと思う。
今回、一番印象に残ったのが、後輩の一言。みんなで「今年一年で一番”やってやった”と思うこと」を交流してた時に、後輩の一人が、「今度仕事をやめようかと思うのですけれど、職場の上司に『もうやめたい』っていったことですかね・・」と話してくれました。
毎日夜の10時まで仕事、大変なことが多くもう耐えられないと思い上司に「やめたい」と告白したことが昨年内で一番”やってやった”と思ったのだとのこと。この言葉が私にとってはとても印象的でした。
なんで印象に残ったかというと、そもそもみなさんはこの言葉をどう思いますか?
今の社会の中で仕事を「やめたい」っていうことはとても勇気のいることだと思うのです。なぜなら今巷では”就職難””就職氷河期””フリーター””失業””ワーキングプア”という言葉があふれかえっています。仕事をしたくてもできない人がたくさんいる、そんな情勢をみんな理解しているからこそ、つらくても仕事を辞めないで続けている人もたくさんいるわけだし、だからこそ離職する人にたいしての風当たりも強いわけで、「甘えている」「我慢が足りない」と非難する人も後を絶ちません。
こうした情勢の中で、「仕事を”やめたい”といったこと」を挙げるということは、やめる決意を上司に伝えること自体相当の勇気のいることですが、それを昨年の一番の出来事に挙げること自体もやはり非常に勇気のいることだと思うのです。
もしかしたら、仲間内のあの場でも「甘えているんじゃないの?」「もう少し我慢したら?」「この将来どうするの?」などの非難や叱責が投げかけられたかもしれません。しかし、敢えてあの場であの仲間に対して、非難や叱責が予想されるようなことを敢えて話してくれたことは私にとってはとても感慨深いものでした。
その後輩がもし本当にこの仲間に対して話したら非難や叱責という応答がされるだろうと予想していたら、決してこの事を話してはくれなかったと思うのです。本人の心の中に、「きっとこのメンバーだったらこの思いを受け止めてくれる」そんな予感があったからこそ話してくれたのだと思うのです。
そんな”信頼感”とも言うべきものが存在していたのだと思うのですが、きっとそれは、その後輩が仕事をやめざるをえない状況が本人の「甘え」や「弱さ」では決してないという共通認識があったということ、そして、これまでの関係性の中できずかれていた信頼あってのことなのだろうな・・って個人的には思いました。
この言葉を話してくれた後輩は5つ以上年下なので、大学時代はともに過ごしたわけではありません。いわば”後輩”の”後輩”にあたるわけだけれど、後輩同士で良い関係性を築いていたんだろうな・・っていうその片鱗が感じられて、とてもあったかい気持ちになりました。
ただし大前提として、一人の人間が仕事を「やめます」と言わざるを得ない状況をつくっている会社と社会状況については改善していかなければならない大きな問題がそこに存在するのだろうと思います。
いったいそんな時なにが自分にできるのか・・ふがいない気持ちにもなるけれど・・。
今回もとっても楽しかった。こうした思いが出来るのも、年末の忙しい時期に集めようとする仲間、集まろうとする仲間がいるからこそ実現できるもの。ホントに幸せなことだと思う。
今回、一番印象に残ったのが、後輩の一言。みんなで「今年一年で一番”やってやった”と思うこと」を交流してた時に、後輩の一人が、「今度仕事をやめようかと思うのですけれど、職場の上司に『もうやめたい』っていったことですかね・・」と話してくれました。
毎日夜の10時まで仕事、大変なことが多くもう耐えられないと思い上司に「やめたい」と告白したことが昨年内で一番”やってやった”と思ったのだとのこと。この言葉が私にとってはとても印象的でした。
なんで印象に残ったかというと、そもそもみなさんはこの言葉をどう思いますか?
今の社会の中で仕事を「やめたい」っていうことはとても勇気のいることだと思うのです。なぜなら今巷では”就職難””就職氷河期””フリーター””失業””ワーキングプア”という言葉があふれかえっています。仕事をしたくてもできない人がたくさんいる、そんな情勢をみんな理解しているからこそ、つらくても仕事を辞めないで続けている人もたくさんいるわけだし、だからこそ離職する人にたいしての風当たりも強いわけで、「甘えている」「我慢が足りない」と非難する人も後を絶ちません。
こうした情勢の中で、「仕事を”やめたい”といったこと」を挙げるということは、やめる決意を上司に伝えること自体相当の勇気のいることですが、それを昨年の一番の出来事に挙げること自体もやはり非常に勇気のいることだと思うのです。
もしかしたら、仲間内のあの場でも「甘えているんじゃないの?」「もう少し我慢したら?」「この将来どうするの?」などの非難や叱責が投げかけられたかもしれません。しかし、敢えてあの場であの仲間に対して、非難や叱責が予想されるようなことを敢えて話してくれたことは私にとってはとても感慨深いものでした。
その後輩がもし本当にこの仲間に対して話したら非難や叱責という応答がされるだろうと予想していたら、決してこの事を話してはくれなかったと思うのです。本人の心の中に、「きっとこのメンバーだったらこの思いを受け止めてくれる」そんな予感があったからこそ話してくれたのだと思うのです。
そんな”信頼感”とも言うべきものが存在していたのだと思うのですが、きっとそれは、その後輩が仕事をやめざるをえない状況が本人の「甘え」や「弱さ」では決してないという共通認識があったということ、そして、これまでの関係性の中できずかれていた信頼あってのことなのだろうな・・って個人的には思いました。
この言葉を話してくれた後輩は5つ以上年下なので、大学時代はともに過ごしたわけではありません。いわば”後輩”の”後輩”にあたるわけだけれど、後輩同士で良い関係性を築いていたんだろうな・・っていうその片鱗が感じられて、とてもあったかい気持ちになりました。
ただし大前提として、一人の人間が仕事を「やめます」と言わざるを得ない状況をつくっている会社と社会状況については改善していかなければならない大きな問題がそこに存在するのだろうと思います。
いったいそんな時なにが自分にできるのか・・ふがいない気持ちにもなるけれど・・。
2011-01-09 14:07
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