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夏の終わり


月日とは早いもので、もう8月も終わってしまいました。8月は全然ブログ更新できなかったな・・・。

8月の後半は気分も↓↓で何にもやる気がでませんでした。休みが欲しい(笑)。

今年の夏は本当に暑いですね、東京でも猛暑日の記録を更新中とか・・。夏はやっぱり嫌いです。

前回のブログの更新は8月の中旬でした。ちょうどその頃は終戦記念日ということで、どの番組も『戦争』をテーマにした番組をたくさんやっていたのを覚えています。あんな悲劇はもう2度と繰り返させてはならない、ありきたりな言葉だけれど、それが遺された人の責務であり、後世を生きる私達の責務なんだろうと思います。


加えて、私にとっては夏の終わりのこの時期は、”もう一つのくりかえしてはならない悲劇”を想起させられるのです。

そう、大切な仲間(以下”A”)を失ったこの季節。何も出来なかったことへの後悔と遺恨がこの時期になると、再び私の心を覆う。

今でも”大切な仲間”だと思っているけれど、何も出来なかった私にはそんな風に語る資格はないのかも・・。いまだにそんな考えも頭をよぎったりする。

あれからもう何年経ったんだっけ・・。もう7年かな・・。

この件については、昨年の9月のブログ「故人に対してどうむきあうか」(記事自体はその2年前に書いたものでした)でも少し書きました。また今年もこの件について書きたいと思います。


あの夏の仲間を失った出来事についての私の最大の後悔は勇気を出して”一歩踏み出す”ことで関われなかったことへの後悔でした。”A”が悩んでいたのも知っていたのに、そんな手の届かないところに居たわけではないのに、なぜ一歩踏み出して関われなかったのか、今でもそう思わずにいられません。

もう二度と自分の周りでは同じことを繰り返さない、繰り返させるものかと思いました。

それから7年、私の7年前の決意は果たして実行できているものなのかな・・。

確かにこの7年間で、私が仲間を失うということはありませんでした。しかし、友人が悩み苦しんでいる時に必ず一歩踏み出して関わってこれたかといえば、首を縦にふることは出来そうにありません。そう、この7年間は自らのふがいなさを実感させられる7年間でもありました。

もともと私自身、人と深く関わることに対してかなりの恐怖感や苦手意識があるのだということも改めて実感させられた月日でもありました。


そんな私だけれど、全く何も出来なかったわけではないんだろうと思います。自分自身迷い、ためらいながらも一歩踏み出せたことはあったと思う。

ただ、その”一歩”を踏み出せたのは、間違いなく私の力ではなく、失った仲間である”A”から与えられたもののおかげだということは骨身に染みて実感しています。

悩み立ちすくむ友人に直面した際に、関わろうか否か迷う私、そんな時決まって私の背中を押してくれたのが、”A”の存在でした。これまで私自身、周りの友人に出来たことはほんのわずかなものかもしれません、ただ、”A”の存在がなければ、きっとそのわずかな”一歩”すら踏み出せなかったであろうということは間違いありません。

”A”の存在が私にとって大きいということと同時に、私以外にも”A”の存在が大きいと思っている仲間は多いと思います。私や私以外の仲間を通じて、”A”は今でもこの世界で大きな”力”を発揮しているのだとそう思うのです。

私はこれからも”A”の存在を力に多くの人に関わっていきたいと思う。きっとそのことこそが、私にとって生前は果たすことができなかった私が”A”と関わっていくための唯一の道なのだと思う。
きっと人と人が”関わる”というのは、相手の中に自分を刻み込む相互の営みなのだろう、そんな風に思う。


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