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居場所と社会参画の間②

湯浅誠さんがメディアにでるようになってから”活動家”という言葉が大分知られてきたのではないかと思います。

私にとっては湯浅さんみたいな”活動家”が出てきてくれたことは非常にうれしいことで、それまでの”活動家”というイメージを湯浅さんは大きく変えてくれた、そんな風に思っています。

正直これまで”活動家”という言葉に対するイメージは良くないものだったと思います。80年代生まれの自分には縁がないことだったけど、過激な学生運動や政治活動が”活動”という言葉を聞いたときに真っ先に連想されるのが一般的だろうと思います。
 そして活動家というと、理屈っぽく、頭でっかちで、融通がきかない、私自身そういうイメージを持っていました。なんというか、活動家の人というのは自身の中に学びによる社会変革への確固とした道筋を持っていて、人間の主体的なエネルギーはなによりも社会変革への具体的な道筋への自身の認識によってもっぱらもたらされると思っている、社会変革に足を踏み出さない人間は、もっぱら社会認識の不足によるものだとそういう風に思っているように感じました。
 正直今でも私みたいな主体性がなく、人間関係を築くのが苦手な人間には、足を踏み込めないものだなってそう思います。

そうはいっても自分以外の他者や社会のために何かしたい、そういう気持ちはあるつもりです。そんな中で湯浅さんが、このテーマのブログ①で述べたように、活動の幅を、異議申し立てだけでなく”居場所の形成”の重要さを指摘することを含めて広げてとらえているという事実は、こんな私でも何かできるのではというそんな希望を与えてくれるものでした。

 社会がどうあるべきかを認識していても、そこに向かって足をなかなか踏み出せない、そんな潜在的な”活動家”といえる若者がこの世の中にはかなり広範な範囲で存在するのではないかと思います。活動というものを自ら狭めるのではなく、広範な人との共同を模索することの必要性というものもあるのではないかとそんなことを考えたりする日々です。

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