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~Responsibility~(2)

先の記事で鈴木氏が述べているように、

Responsibility=「約束をもってお返しをする能力を持つ者に課せられる、ある種の義務の負担。」

確かに、それは世間一般に考えられている、 「責任がある」 という意味が持つ、外部から強制的に背負わされるイメージとはかなり異質なものだと思います。

「それは、本質的に自発的であり、恩恵を受けた人やものに対する約束であると同時に、何よりも自分自身に対する約束、けじめであるように思う。」
と鈴木氏が述べているように、もし”責任”なるものが、「恩恵を受けた人に対する約束」というような他者との関係性の中で生じるものであるならば、今私たちが想定している”責任感”という言葉も大きく意味を問い直す必要があるのではないかと思います。


「あいつは責任感のないやつだ」と巷でよく使われている言葉には、無意識的に”責任感”というものを個人の意識の問題に還元する意図が含まれていると思います。

しかし、”責任”というものが、他者との関係性の中で生じるものであるのならば、”責任感”というものも、同じく関係性の中でとらえなければならないはず。
 ということであれば、”責任感のない人”というのは、「他者による恩恵などを受けてこなかったために、約束をもってお返しする能力を発達させれこれなかった人」また、「本質的に他者に対して応答する能力を育てるための資源を欠いた人」と捉えた方がより正確な表現となるのではないでしょうか。

”責任感のない人”に対して、そうした認識に立つのであれば、責任感のない人に対していくら「責任感を持ちなさい」と責めたところで、それは砂漠で花を咲かせようとするようなもので、本質的な解決にならないことは明らかです。

”責任感”というものは、決してその当事者を責めることで生じるモノではなく、先ほどの花の例を再びあげるのであれば、水をあげることでしか花は育たない、当事者に対して数々の期待や感謝・信頼というような”恩恵”という水を与えることでしか、本当の”責任感”というものは育たないのではないでしょうか。


今の若者、いやすでに若者だけではなくなってきていると思いますが、様々な日常行為において責任感が欠如としているとしかいいようがない人が多くなっているのかもしれません。

それは、ただ単に「無責任な人が増えた」というわけでなく、社会的な資源の枯渇により、他者、ひいては社会に対して応答する能力を育ててこれなかった人が増えている、そういう一種の社会問題として捉える視点が必要なのだと思います。


もし私たち大人が、未来を担う若者に対して、今存在する関係、集団、ひいては社会に対して主体的に担っていく責任を持ってほしい、そう切に願うのであれば、私たちに求められるものは、若者へのバッシングや説教ではなく、若者の心に水をあげるような姿勢そのものではないのでしょうか。

私たちが今一度若者に対する認識を問い直し、日常生活において若者に対して、期待や信頼・感謝という水をあげることでしか、若者が今のこの世の中を主体的に担っていこうという責任感は生じえない。経済的側面をはじめとする社会資源を欠いているこの世の中ではなおさらこのことが求められているのではないでしょうか。


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