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『サイレントマジョリティ』

3ヶ月くらい前だったかな。某CDショップの入り口で、おそらく7-8歳くらいの女の子が、お店に設置されたプロモーション用のモニターを食い入るように見ていた姿が忘れられない。

モニターとその女の子の間だけ、なんか別の空間が存在するかのような雰囲気を覚え、いったいその女の子がどのアーティストのPVを見ているのかと気になってみてみたら、欅坂46というグループの「サイレントマジョリティ」という曲のPVでした。


当時、私は欅坂46というグループというもの自体を知らなかったし、そもそもショップに飾られていたグループ名の漢字が読めなかった(笑)。「46」とついているのでAKB関連のグループなんだろうな・・くらいの認識でした。

ただ、曲自体は当時の盛り上がりのせいか耳には残っていて、なんとなく良い曲だなという印象はありました。


その後自宅に帰り、youtubeで欅坂46の「サイレントマジョリティ」を聞いてみると、PVの世界観と、あと何よりも歌詞のすばらしさに驚きました。正直作詞をした秋元康氏に対してまったく良い印象を持っていなかったこともあって、「こんな歌詞をかけるんだ・・」ということにびっくりしました。

PVの世界観については、最初ダンスや衣装から軍隊の統率のイメージが感じられたこともあって、最初は拒否反応がありましたが、実際に踊っている子たちからは、そのイメージを覆すだけの個性的な何かを発しようとする気概を感じて、余計に引き込まれたように思います。


後々に秋元氏の読売新聞に掲載された「サイレントマジョリティ」について書かれたコラムを読んでみると、


「この歌が支持される背景には、若い人たちを中心に、『このままではいけない』という心の中の危機感があるような気がする。1970年代『無気力』『無関心』『無責任』の三無主義といわれたしらけ世代の僕たちが、大人になってから気づいたことは『傍観者でいられない』ということだ」


と書いています。


この曲が発売されたのが4月6日。その1週間前には、昨年国会内外で反対運動が盛り上がった安保法制が施行され、「民主主義って何だ!」というコールに見られるように、SEALDsをはじめとする若者たちが模索し、それこそ今の世の中に対する危機感が高まっていた時期でもありました。


今の世の中において、若者たちの生活の場、家庭、教室、職場、どの場においても若者の意思や主体性、総じて”声”を押し込めようとする大きな力が渦巻いているのではないでしょうか。それと共に、今若者のまわりで起こっている生活基盤の切り崩しは、人から他者や社会について顧慮する余裕を見失わせています。


しかし、一見ただうずくまっているように見える若者の中にも、こうした世の中に対する危機感を心の中に内在しており、それが「サイレントマジョリティ」という曲と歌詞への支持というかたちで表面化しているんじゃないかな・・と感じます。


先に紹介した、読売新聞での秋元氏のコラムの中で「自分の人生に積極的に参加してほしい」と最後に秋元氏は結んでいます。


『無気力』『無関心』『無責任』という言葉は、70年代だけじゃなく、今の若者にも良く指摘されることなんじゃないかと思います。しかし、一見このように見える若者の中にも、自分やこの世の中に対して主体的に生きていきたいという要求は必ず存在する。


某ショップで見かけた女の子。

たぶんあの子の中にも”自分が自分らしく生きていきたい”そんな願いや要求があって、「サイレントマジョリティ」という曲に、自分のそんな気持ちを投影していたんじゃないかな・・


『サイレントマジョリティ』という曲がこれだけ多くの若者に反響を呼び、支持されている。
その事実に、私は希望を見出したいと感じます。
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