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自己形成と他者承認①


---自己形成、他者承認、承認文化の形成①---

上記のタイトルの論文が埼玉大学の紀要に掲載されていました。とても興味深い論文だったのでメモがてら書き綴りたいと思います。



Ⅰ.エリクソンにおける自己形成、他者承認、承認文化の形成

【自己形成に他者の承認が必要なの!?】

「自己形成のためには他者からの承認が必要不可欠である。」←

 まず第1段落から、こうも言い切ってしまう著者のこの一言にしびれました(笑)。なぜしびれたかというと、今まで私の頭の中では、「自己形成そのものに他者の承認が必要とすることは甘えではないか」という考えがあったからです。「自分自身というものは他の人によって左右されるものではなく自分自身で築くものではないか」そんな感じで思っていたわけなんです。

 ”自己形成は自分自身の手によって”というと聞こえはとっても良いように感じますよね、なんかドラマのきめ台詞でもでてきそうだし(笑)。

 でも、この論文の冒頭で、自己形成にとって他者の承認は不可欠だと明確に指し示してくれたことで、驚いたし、そしてちょっと安心したそんな気持ちになりました。
 
 自己形成にとっての他者の承認の関わりについての詳細についてはまた後日書きたいと思います。




1.葛藤=自己形成の核心

【アイデンティティは生涯を通じて築くもの】

 P67の1の一段落目にはこのような指摘があります。

「エリクソンは、私が私であるというアイデンティティの形成を、人生のどこかで完結するものではなく、あらゆる危機に直面しながらそこでの葛藤や矛盾を生きる中で他者とともに生き生きとしながら、絶えず形成しなおすことであると捉えた。」とあります。


 つまりアイデンティティは生涯を通じて築くもの、そう指摘しています。この指摘も私にとっては重要なものでした。なぜ私が重要だと思ったかというと、私自身今でもそうですが、「小さい頃に獲得すべきものを獲得できずに今に至っているのではないか?」そんな不安を抱えながら毎日を生きているからです。エリクソンはアイデンティティの形成において次のように示しています。


●乳児期 ⇒ 「母親的人物」との間の「基本的信頼」と「基本的不信」の葛藤と通して「希望」という「基本的な徳」を形成

●成人期 ⇒ 社会的な関係で「生成性」と「停滞性」の葛藤を経験する中で「世話」という「基本的な徳」を形成。

●老年期 ⇒ この世界の人々との関係を通して自己の「統合」と「絶望」の葛藤を生きる中で「英知」という「基本的な徳」を形成


 ここでいう、それぞれの時期における”徳”というものがどんなものなのかについてはその詳細はわかりません。しかしエリクソンの言うように乳児期における基本的信頼と基本的不信の葛藤があるとすれば、私の場合それは明らかに基本的不信に偏りがちであると思うし、成人期については、エリクソンが指摘している前成人期に際立つ親密性と孤立の葛藤についても、孤立感が圧倒的に私の心の中で幅を利かせているような気がするのです。だからこそ、私は乳幼児期や前成人期に獲得すべき人間として必要な獲得すべきものを置き去りにしたまま今を生きているのではないか、そんなことでこの先もまともに生きていけるのか、そんな風に感じているわけです。


 ただ、安易かもしれないけれど、それぞれの時期に獲得すべきものが、決してその時期だけにおいて獲得しなければならないものというわけではないし、逆にいえばその時期を逃せば獲得できない類のものではない。エリクソンの指摘はそんな風に私には読み取れて、「あぁ、いまからでも間に合うんだ」と救われたような気がしました。


 人はいつになっても「えっ、まだそんなことで悩んでいるの?」というような葛藤を持ち続けるのだし、それはどこかで完結するものでもない。いまの自分が抱えている葛藤というものをオブラートにいれて覆い隠すようなことはする必要なないのだし、もし覆い隠すようなことをすれば、それこと一生獲得できなくなってしまうかもしれない。そうした危機感と構えをもつことが大切なのかなって考えさせられました。

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