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臨床家と運動家①

『子ども理解のための12の月の物語-教育臨床の立場から-』 新科学出版社 横湯園子 より

 私たち臨床家が「個」という場合、それは、社会的・歴史的状況の中で生きる個人、わが目の前に現れたその人をさします。関わりつきあっていきますと、目の前に現れたその人、その子どもの中に、文化的、社会的、同時代的なものが見えてきます。
 
 臨床の場には、子どもの人権を踏みにじるようなあらゆる問題が持ち込まれてきます。目の前に現れた人の苦悩や困難の悪循環を前にして、胸の内でどれほど多くの涙を流し、義憤にふるえたことでしょう。このような涙、義憤をくぐりながら、関わり方や人間観の問い直しをしていくわけですが、そうした、心の作業なしには、私は子どもたちとも付き合うことはできませんでした。
 
 そのこども・当事者にとって必要なこと、できることをしながら、子どもの人権を蹂躙するようなあらゆる問題と立ち向かわざるを得なかったとも言えます。しかし、臨床家は運動家ではありません。あくまでも内的世界を推測し、それに基づいて働きかけをしつつ、周りとの関係の中でどのように動いているのかを考えながら関わっていく人間です。
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