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登校拒否・不登校の子どもをもつ親たちのつどいに参加して

昨日、登校拒否・不登校問題全国連絡会にも結集している団体の地域のつどいに参加してきました。

何年も前から、地域に登校拒否・不登校の子を持つ親たちがつどう会があるってことは知っていたけれど、自分自身まだ親でもないし、なかなか参加してみようって勇気がでなかったが、この日は元中央大学の横湯園子さんが講演されるということで、ようやく足を伸ばそうという気持ちになり参加してきました。

この日は、横湯さんの講演の他にも、ミニコンサート、不登校経験者の体験談、詩の朗読など多彩な企画が用意されていて、かつ参加者の交流会では、登校拒否・不登校の子どもさんを持つ親のみなさんの貴重なお話を聞くことができ、非常に有意義な集いでした。

※横湯さんの講演や参加者の発言については、個人情報を含むので割愛します。


私が、横湯園子さんを初めて知ったのは、大学2・3年生の時だったかな・・。当時から、不登校やひきこもりの問題に関心があった私はそうした問題に関する論文等をいろいろ読んでる中で偶然横湯さんの書いたものに触れる機会があったのだと思います。

横湯さんの書き物についての私の印象は、読んでいると横湯さんの世界観の中にどっぷり浸かるような感覚になるということです。不登校や登校拒否・非行やいじめなどの当事者と真摯に接する横湯さんの葛藤や苦悩を含めた子どもに対しての世界観が描かれたストーリーの中に自分も入っていくような、そんな不思議な印象がありました。

この日の横湯さんのお話もやはりそうで、横湯さんが真摯に子どもと向き合ってきた中でつちかってきた経験や認識・世界観は、理屈はもちろん、しかし理屈抜きにでも自分のみに沁みこんで来る様なお話で、そうした世界観に触れることができたということが今回の一番の収穫だったと思います。自分もいつかそうした世界観を持てるような人間になりたいものだと心から思った瞬間でした。


つどいの参加者交流も私にとっては非常に有意義な時間でした。参加者がマイクをまわしながら一人ひとり語っていくスタイルだったのですが、印象的だったのは、この会では”話したくない人は無理に話さない”という方針で、無理に全員に発言を求めないということです。また、”話す人は話しっぱなし”というスタイル、私的には「話し手に対してあれやこれや判断評価しない」という意で捉えたのですが、そういうスタイルで会運営をしていたことです。

昔読んだ、「非行に向き合う親たちの会」だったかな・・。この会も、非行経験を持つ子どもの親たちが、一人ひとり当事者同士で語り合い、その語りに対して決して否定しないというスタイルでやっていことを思い出しましたが、きっと同じような目的でおこなっているのではないかと思いました。

「語り手が話しっぱなし」というと、その言葉だけでみるとあまり良い印象はもてないかもしれませんが、参加者は、誰もが語り手の話の一挙手一投足を聞き逃すまいという様子で、また語り手の話に共感の涙を流し、語り手が話し終わった後には惜しみない拍手を送る、そうした雰囲気がそのまま語り手の話に対する応答として、語り手を確かにエンパワーするようなそんな場だったように感じられました。

私が所属する他の団体では、”あたたかいツッコミ”という言葉があり、ただ漫然と人の話を聞くのではなく、積極的に語り手に関心を示すというようなことが重宝されていますが、目的自体はどちらの団体も一緒だとは思いますが、まったく逆の発想で体現されているそれぞれの場があることを知れたのは非常に勉強になりました。

参加者の方々の発言はどの方のお話も想像しがたいような苦悩や葛藤を経た体験談だと感じましたし、そうした思い出すことすらはばかれるようなお話を、大勢の人の前で語れるというそれぞれの強さには感銘を受けました。

自分自身も、過去の負の経験をあそこまで堂々と人前で語れるのか、また語れるような人間関係を築けているのか?そうした自分自身を見つめなおす良い機会になったと思います。





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